図書クリカエスマイ000056186

くりかえすまい

サブタイトル1~10
終戦40周年記念・野田地方終戦前後記
編著者名
野田地方文化団体協議会 [編]
出版者
野田地方文化団体協議会
出版年月
1985年(昭和60年)8月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
173p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/N92
保管場所
閉架一般
内容注記
編集者:山川正三郎 終戦前後の野田市年表:p150?157
和書
目次

記念文集発刊にあたって(野田地方文化団体協議会々長・池松武之亮)
平和への希求新たに(野田市長・川島健正)
戦争を知らない人々に(野田市教育委員会教育長・戸邉慶成)
 
戦いの中の青春
学徒動員のころ(今上下河岸二五七四・桝田廸子)
旧制中学と太平洋戦争(野田六九七・糟谷英夫)
戦争と野田高等女学校(野田八二五-二七・中村静子)
動員学生として(目吹一四六九・川島健正)
学童集団疎開(野田三六七・豊田隆祐)
青春真只中(清水一〇九・小林フジ)
戦争と少女(中野台六四・小笠原とり)
組合立野田青年学校(宮崎九五・岡野米司)
初恋記(上花輪一一四二・宗谷真爾)
稲架の匂い(野田五六四・井上冨月)
 
記憶の糸をたぐって
幼き日の思い出―亡き父に贈る―(中根二三・梅澤良子)
ある記憶(中根一四〇-一七四・木原徹也)
出産のころ(中野台二二七・池松龍子)
私の匂いの想い出(中野台六四・小笠原登里)
私の見た戦争(野田二三六・文道尚子)
思い出すだけでもゾッとする(上花輪一五四七・高原福)
白浪五人女(中野台八〇三・戸辺節子)
世紀の霹靂(中野台一九七・岡田悦哉)
終戦の年(抜粋)(野田二五〇・(財)興風会)
 
終戦前後の野田
医療回想記(中野台二二七・池松武之亮)
御真影をお送りする(宮崎七六・吉田清)
強制疎開(中野台三〇九・奥田ノブ)
弁当はお好み焼き(上花輪一三六七・遠藤保之)
国民服に戦闘帽(花井二四七・野口芳堂)
飛行機のエンジン修理工場となった座生荘(松戸市上矢切二一二・野口榮一郎)
欲しがりません勝つまでは(山崎一一四八・山中政右ヱ門)
戦時中の図書館と共に(中野台二八〇・東風谷フミ)
戦後再発足した婦人会(中野台四〇一・秋田とし子)
強制疎開より帰りて(中根三六-一九・伊藤吉太郎)
慥な平和を願いつつ(清水六七九・坂巻勝男)
飢えて死にし(野田三五九・佐藤雀仙人)
野田の戦争遺跡(野田六五七・茂木覚一)
 
座談会 終戦前後の野田を回顧して(出席者 川島健正/佐藤真/岡田悦哉/鎌田むめ/桝田くま/秋田とし/大柴徳次郎/山崎五郎/白籏福次/司会 池松武之亮/記録 山川正三郎/梅田宏)
 
軍隊生活と終戦
飢餓との戦い(木野崎二〇九六・石塚清二)
徴兵検査と軍事教練(船形一一一〇・石原定作)
部隊歌など(柳沢三三・浜野虎雄)
警備召集と空襲(清水七九七・駒崎徳次)
捕虜そして復員(野田三七〇・茂木左平治)
痕跡を刻む(附・戦中日記より)(野田八五一・玉ノ井芳雄)
長男長女を国にささげた栗林丈氏(宮崎七六・文責吉田清)
東部軍管区情報(野田五五三・高島正一)
 
私の八月十五日
もしもあの日が一ヶ月遅れていたとしたら(野田五五三・高島正一)
「ああ戦争は終わった」と父はぽつんといった(木野崎一六二五・大森はる)
朝からはげしい蝉しぐれであった(中根二一七・清水うめを)
異国の地で聞いた玉音放送(清水九二・関根榮助)
野菜畑の中で(清水一〇八四・長谷部美智)
無言、怒り、何もかも投げつけたい気持(宮崎七六・吉田清)
地下壕の何処にありしか判らずとも(宮崎四一・稲川準)
同年代の青年達は既に学徒出陣(清水六五五・小津ハマ)
あの時のラジオは物置に(中野台三六五・伊東清彦)
あの日の思い出(中野台一〇六三・亀崎盛之進)
敗戦と乳母車(野田三六六・市岡妙子)
白く光る道(野田三四一・矢部節子)
終戦と私(上花輪六一五・柴田信四郎)
私の八月十五日(宮崎二三・茂木伊斗子)
疎開先で迎えた終戦の日(中根一〇三・澤田隆)
身体の底から力が抜けていく(清水四五七・駒崎知子)
せっちんづめ(清水二五一-一〇・梅田宏)
 
思い出の戦争の悲しい事です 野田市中央公民館中央高齢者学級
終戦のあとあき(清水九〇・山口まつ)
敗戦により秘仏還る(野田五二四・柴崎登)
戦争の思い出(上花輪八四〇・今成庫造)
終戦の日を顧りみて(匿名氏)
軍需工場から夜学へ通う(清水二五・寺田松治)
敵陣一番乗り(野田七〇五・伊藤桓)
満州の難民収容所に(宮崎九九・椎名博)
買えなかったリンゴ(清水二六四・鈴木いち)
指物師三代目の終戦前後(野田八九一・吉見篤三)
日本は敗れたのです(上花輪六三一・鈴木きみ)
思い出の戦争の悲しいことです(中野台二二三・杉崎ます)
戦争が終って何が残ったのでしょうか(野田三六八・田辺てう)
運河の側にB29が落ちた(上花輪一三五七・小倉倉市郎)
物給支給は味噌醤油(中野台六八五・岡田浅蔵)
酒を酌み交わしたあの友はもう居ない(清水二六四・根本正一)
二度ともうやってはいけない(中根六六・茂呂ふく)
今は夢の中にいる様です(花井二七〇・矢作かね)
私の家へ泊った軍人さんが……(野田四〇九・金子喜久代)
弟よ安らかに(上花輪一三四三・大竹鉱一)
三人の子供をつれ防空壕へ(中野台四八〇・木名瀬ゆき)
当時を思い出すと今でも泣ける(上花輪一四二五・中村義雄)
食料買出し班(野田三五九・小島清三)
十三工場跡で曳航船造りに従事(上花輪一四一三・倉持永作)
母の実家の房州で機銃掃射に(中根六九・椎名よし)
銃後を守って(清水二五七・戸辺ヤソ)
死の思いで買った米も没収(中野台三〇一・横川やい)
勝って来るぞと勇ましく(野田六三七・荻原国雄)
防空頭巾にもんぺ(中野台三〇二・大石やま)
東京大空襲の夜(野田六四八・松村勝三郎)
コジキのように帰って来た夫(中野台四八・岡野とく)
硫黄島から父島へ(中野台一五二・古橋慶三郎)
火の海の中を(宮崎二五・塩島智江子)
竹ヤリ訓練(野田五七・細川延一)
 
口絵写真 終戦前後(上花輪新町二九・待山栄次郎)
資料 終戦前後の野田市年表
特別展「野田の戦中・戦後」展示目録