図書目録マニラ ノ ラクジツ資料番号:000055800

マニラの落日

サブタイトル
編著者名
千治松 彌太郎 著
出版者
[千治松彌太郎]
出版年月
1994年(平成6年)5月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
323p,図版[1]枚
ISBN
NDC(分類)
289
請求記号
289/C43
保管場所
閉架一般
内容注記
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

発刊に寄せて
はじめに
 
第一部 嗚呼アリューシャン
アッツ島とキスカ島
深く静かに潜航せよ
ベーリング海の奇蹟
 
第二部 マニラの落日
落日
どん亀軍医長とラバウル・ニューギニア特急
死生の岐路
さらば ラバウルよ
今村均陸軍大將と山本五十六海軍大將
トラック・サイパン・横浜
ルッキング(見合い)
軍事裁判の證人出廷
マニラ海軍施設部事件
戦犯軍事法廷
ラウレル比島大統領(戦時)とロハス大統領(戦後)
Dr. Sison U・P總長
比島独立記念医学大会
比島、そしてマニラ市
“I shall return”
 
第三部 京城懐旧
幼い頃
龍山中学校
京城帝国大学建学の経緯
京城帝国大学予科理科
京城帝国大学医学部
海軍軍医中尉から大尉、そして少佐へ
最近のソウル市そして韓国(上)
最近のソウル市そして韓国(下)
 
第四部 私の中の海軍
真珠湾攻撃
伊17潜水艦米本土を初めて砲撃す
米大型空母ワスプ撃沈南海の奇蹟
戦艦大和の沖縄突入は断じて片道燃料ではなかった
戸塚海軍衛生学校と戸塚二期会のこと
長崎原爆救護に参加した海軍軍医見習尉官(戸塚二期会員)の二次放射能障碍調査について
長崎原爆投下直後の現場救護に参加した会員の手記
海軍軍医見習尉官の活動報告(軍医大尉・原田義道/各見習尉官・降旗良知/星晧/広田一雄/中田良三/山藤光彦/三木清春)
千戸里会(ちどりかい)第四〇二分隊
戸塚海軍衛生学校と諸教授達の話(教授・沖中重雄/椿忠雄/黒岩義五郎)
岩国海軍病院始末記
富浦会(とみうらかい)のクラスメート達
『回天』を搭載して出撃した戦没潜水艦乗員の顕彰碑建立除幕式
伊17号潜水艦士官室
伊17潜と伊24潜の海の墓標
將軍と提督
 
第五部 昭和天皇の「人間宣言」とR・H・BLITH(ブライス)教授の果した役割
ブライス教授の人物像
安倍能成教授
昭和天皇の「人間宣言」
学習院の廃校を救ったブライス教授
 
第六部 先輩
高松宮宣仁殿下
志賀潔先生
武見太郎先生
金井泉先生
中曽根康弘先生
清水保夫 宇部興産会長
高取利雄先生
 
第七部 私のハートは襷(たすき)掛け「A―Cバイパス手術を経験して」
心筋梗塞
手術
「開心貫医道」
 
第八部 この道は、何時か、誰かが通る道 PTCA手術を自験して
 
第九部 銀婚と金婚
 
第十部 運動と勉強と遊びの仲間
剣道部の青春
徳山ライオンズクラブ
轟沈会
巳年会のサムライ達
ソウルオリンピックマラソンと「漢江」(ハンガン)
PTA回想―徳山市立岐陽中学校のこと
千治松先生(蓼雅嶺)と小唄(姫野産婦人科院長・姫野英雄(蓼雅豊))
千治松先生とゴルフ(中村眼科院長・中村利幸)
千治松先生とカラオケ仲間(堀家医院院長・堀家英敏)
 
第十一部 徳山医師会病院小史
オープン制とは、医師会病院とは、病院建設
私の病院長時代の想い出(昭和45‐53年)
医師会病院は会員のために充分機能しているか
 
第十二部 医師会活動の回顧
保険医總辞退体制の中で
会長就任の挨拶
昭和49年・50年・51年創立十周年記念・52年53年年頭の挨拶
高看(夜間)設立の問題点
徳山看護専門学校開学二十周年に寄す
 
著者略歴
あとがき

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