ガダルカナル稲垣大隊勇戦奮斗決戦篇
第一章 名も知れぬソロモンの孤島
岡村少佐が島に飛行場建設
米哨戒機飛行場工事発見
ゴムレイ中将二万将兵率い上陸
英米連合軍に占領を許した理由
第二章 餓島は単なる島の名ではない
大東亜戦争突入初めての日米決戦場
日本軍三万二千全滅的敗戦を嘗る
我が軍白骨二万壮絶なる戦場地獄
第三章 稲垣大隊ジャワ島スラバヤ駐屯警備
二大隊チモウル島デリイ出帆スラバヤ港入り
翌朝六中隊捕虜収容所監視命令受る
女優慰問団が来て慰安大会鑑賞
ビックニュース予備、後備の召集兵13年兵帰還
土井大佐殿ラバウル重要会議に飛行
第四章 沼兵団命令第二二八部隊、海軍基地ラバウル終結
第二大隊は一等巡洋艦足柄号に乗艦
艦内給食と歩兵野戦食の相違
一兵隊即死演芸場より誤って転落
思巡足柄号は前戦基地ラバウル入港
五日間陸揚中毎晩ボウイングの爆撃
第五章 土井部隊は海軍前線基地ショウトランド島出航
足柄一路ソロモン群島疾走ソウトランド沖着
密林伐採道路建設訓練中、淡水小河を発見
洗濯、水浴が許可、カラス貝の群生発見
五中隊の兵隊鰐に喰われ船舶工兵隊に頼み遺体探す
第六章 我が土井聯隊に餓島救援出動命令下る
第二大隊本部と六中隊は駆逐艦夕暮れに乗り疾走
艦内食白い銀飯生味噌汁等生鮮食に有り付く
餓島東海岸コナンボナ沖五百マイルに停泊
敵哨戒機我が軍上陸発見照明弾投下
餓島砂浜に全員上陸戦闘隊形に移る
第七章 敵機監視厳しく中隊長訓示飯盒炊事注意
焚火や煙りを発見されぬ様炊事壕の工夫
赤錆の帯剣片手に哀れな日本兵に驚いた
椰子林檎の喰へ方コプラを焼いて薬代用学ぶ
無敵陸軍今餓死寸前の哀れな敗残兵と成る
第八章 土井聯隊命令二大隊はアウス天山岡聯隊防御陣地に増援部隊とし配属を命ず
勇川下流岩山の入口迄来るに落後者五名
稲垣命により六中隊は九〇三高地警備せよ
展望硝一番立硝に自分が指令服務に付く
我が魚雷攻撃で駆逐艦五隻、巡洋艦三隻轟沈
土井聯隊命に従い九〇三高地早川大隊と交代す
第九章 第六中隊は九〇三高地と見晴台中間地点露営準備
鈴木伍長の手土産に梅千二十個を戴く
立哨下番聯隊砲前田隊の砲帯鏡を覗く
午後四時起床、第六中隊は見晴台目標に出発
突然友軍機現れ頭上空中戦が展開された
山腹斜面勾配強い為シガラ皆段が設置有り
六中隊は全員見晴台稜線に到着一夜の露営
第十章 稲垣命令第六中隊は塩焼を命令さる
石川少隊は二泊三日海岩に戻り塩焼に出発
装具監視に十名残り又二河で河壺を探す
若林中尉殿が三十センチ程の魚を捕えて来た
第十一章 若林中尉より臨時ニュース 近海孤島飛行場完成
石川少隊は塩焼きを終り帰る
午前三時起床石川小隊は六中隊復帰追跡
三角州を抜け又二河水中行軍
シュホウス山麓に到着、道案内が待っていた
石川少尉殿は弱者を助け励まし全員中隊復帰
第十二章 第六中隊長命令にて石川中隊は早速露営準備
始め宿営壕、厠屋造り、炊事壕堀り
各小隊防空壕堀りと檳椰丸太を穴の上に並べ土盛
第十三章 稲垣大隊命令六中隊はアウス天山防禦陣地構築せよ
又二河で檳椰樹群生地見付伐採に出発
太くて長い檳椰は二人一組になり岐阜砦迄担ぎ登った
土人が通う林道は途中草原となり危険苦労した
第六中隊指揮壕の一敵状眼下に見える処決定
戦場を語り合い制海空権が何日我が方に還るか話し合う
第十四章 岡聯隊命令第二大隊はアウス天山に掩蓋銃座24号支給構築せよ
五中隊を左第一線に六・七・八と右へ馬蹄型陣地を構築
稲垣会報ニュース ソロモン群島地域ち飛行場三ヵ所完成
副官命各中隊二名糧秣受領 使役岡聯隊経理部行く
岡聯隊と稲垣大隊長殿アウス天陣地視察
突然作業現場に野戦銃砲15発着弾
星の少尉殿の命20号掩蓋銃座応援者六名
20号銃座完成 星野少尉検査帰りを待つ
第十五章 稲垣命令中隊より四名選抜し糧秣受領隊編成
副官殿の頼み各中隊、重症患者一 独歩患者一名担送
担送者川本軍曹、独歩者川島清一一等兵に決定
与吾准尉殿を団長とし又二河を担ぎ前進
吾々空腹と疲れ足腰ふらつき肩痛み左右交互に替える
雨坂道は滑り苦労、途中シガラ階段が造られ助かる
又二河本流は増水渡河危険なり息杖を使用渡る
見晴台中腹斜面岩が出没至難危険なり一組八名に増員二往復
第十六章 見晴台には西山部隊が陣地を構え岐阜六八編成部隊
佐久間と自分は若林中隊分硝に連絡一夜の露営を頼む
前田聯隊砲と北山立独山砲が砲撃を開始
一日一合の配給米、不足は檳椰の芽、蟻の巣、山菜で補う
中腹坂道次第に道幅狭く担架の横木を切り縮める
洞窟を弾薬庫に利用し附近の檳椰樹、伐採禁止
茗荷背丈伸び細き道 猛暑五〇度超える中担ぎ前進
岩盤の上道は狭く二人で担架を吊り下げ運び苦労する
第十七章 九〇三高地稜線を越え中腹降り露営地と決定
九〇三には友軍の陣地なく安全なる場所を探し洞窟を見付た
堺台山頂迄狭き道登り越え伊道と丸山三又路に降りた
勇川下流には河原が多く土井野戦病院有り担送、独歩患者依頼した
重症、独歩患者担送任務を果せ准尉殿より感謝された
第十八章 今日より准尉殿を隊長に本格的糧秣受領に活躍す
百武台中腹露営地決定、夕食無く経理部より一斗先借す
三叉路に迷い近道を選ぶ危険なれど視界まだ暗く駆け足
水無し川に向かう道端で蜜柑の木一本拾数個もぎ取る
高射砲陣地近く露営設定し下士官に怒なり叱られる
自分が海水を汲に出道端に屍臭漂よう工員を見付る
佐久間と自分が太郎芋を探しに歩き蟹を捕獲した
米巡洋艦開眼一帯を照らし目暗討砲撃開始
第十九章 三島野戦重砲を通過突然敵機頭上旋回し飛び去る
一本橋に進出米軍機旋回し来機銃弾を浴びせる
主計中尉より揚陸米を密林内に移す仕事を約束白米一斗を戴く
ボネギ河口白浜に我が上陸用大、小発動艇の残骸有り
敗残兵食を盗み廻ると聴き銃前哨を立て警戒する
ボネギ河を上る河原に天幕病院有り数十個の墓標を見る
第二十章 吾々はコカンボナ岬に着き主計中尉殿の指揮下に入る
米は叺に詰め壕内に隠され砲撃を避けるため密林奥へ移動
天幕を広げ二斗の米を包む時こぼれた米は搬送者の余力
二斗の米を運び届け鈴木伍長より代走に一台づ々戴く
ボネギ河で蟹捕え中船員が塩鮭を売りに来た
岩塩を買い帰り道蜜柑の木に登り赤蟻に喰われる
集積所に向う道マアマアラ岬で山浦丸船員と出会ふ
第二十一章 第二糧秣集積所に到着各隊の受領兵の混乱敗残兵の暴動
特に頭に来た野戦重砲達の大胆なる行動は許し難い
二人一組でドラム缶を転がし密林内に運ぶ
ドラム缶より米・塩・マッチが出、瓢箪から出た駒だと驚いた
稲垣大隊迄米一斗八升を背負い陸送せよ
主計助手木村伍長にお礼に一升三合づ々戴く
重量米を背負い午後二時半タサファロング岬出発
足腰疲れ大休止海上を眺めれば鬼怒川丸の炎燃残骸有り
第二十二章 敵機旋回機銃乱射椰子の根元に身を隠くし米を守ること数回
小川の水は透き通り椰子良く育ち空を覆い昼食炊事場に決まる
椰子の実二つ海岸の土産にと隊長と准尉殿に持ち帰る
丸山街道は急坂多く難行軍末数本の大木の根基で露営と決まる
水無し河下流で三島野戦重砲初年兵に出会う
爆音と共 星条旗頭上を旋回し飛び去る全力絞り密林内に逃げた
密林内は湿気多く急坂は滑り柵階段が造られ助かる
九〇三高地中腹迄降り水音が聴こえ唯れか勇川の滝だと答えた
第二十三章 稲垣大隊は今朝一粒の米もなく一刻の猶予も許されぬ 早速届けよと伝達
准尉殿は受領任務を果すため足腰の強い兵を半数集め先行後に続く
一斗八升を背負い見晴台斜面を登るは困難なるも克服し、山頂に登る
見晴台は名の通り素晴らしい眺め肉眼で敵陣が見降せ手も足も出せない
又二河の渓谷で露営炊事の準備日没と共に戦場は静まり返った
一日五勺の米に不足分を蟻の巣で増やし五目飯を炊き峻険急坂を登った
第二十四章 午前五時起床渓谷又二河本流に降り両側岸壁で河原無く水中を渡る
丸山草原は稜線迄急斜面に草原が続き昼間は危険なれど登る
皆精根付果て足動かず飢餓を救う戦友愛に燃頑張り予備隊迄担ぎ上げる
准尉殿は寝食を共にし努力のやつれ嬉し涙にむせびねぎらいの言葉
副官殿は君達の至難の働きで将兵が救われ有難度のねぎらい
准尉殿に別れ遮蔽木無き丸山草原は空の難所肝に命じ頑張り登る
中隊長殿と高桑准尉の労らいのお言葉頂だい土産に椰子の実を渡す
第二十五章 食糧事情最悪、泥水す々り草を咬むの軍歌通り今現実と成った
粥雑炊を喰べ銀飯を腹いっぱい喰べたい甘味品以外脳裏に浮かばず
山猿同様生活続き町育ち喰べず嫌い、豪傑者大飯食らいは早死にした
稲垣大隊には岐阜の山奥育ち、百姓生まれ多く足腰強く岐阜の山猿と呼んだ
一合の米を三日間に喰い伸せという至上命令が発令された
僅か一握りの米を手の平に乗せ拝む姿は哀れ情けない
第二十六章 敵九十機三倍に殖し日本軍の食糧弾薬を遮断し餓死に追い込む作戦に有り
我が駆逐艦闇夜を利用隠密輸送を鼠輸送と呼んだ
鼠輸送も危険となり潜水艦に依り輸送をモグラ輸送と呼んだ
師団長命輜重兵三十七聯隊に稲垣大隊へ食糧を緊急陸送を命じた
如何輜重兵も人力での峻嶮山河越え輸送は無理難題であった
指揮官が激励落後者に貴様達怠けるな倒れる迄頑張れと怒鳴る
シーホウス高地迄米を背負い得たる兵 僅か30余名他は力尽き果て行き倒れ
第二十七章 岡命令 今朝各中隊に糧秣を配給する岡聯隊経理部迄受領に行け
第六中隊は受領兵に経験の有る道の明るい川井兵長を選んだ
天幕一枚又二河へ駆け下りシーホウス山麓に着き主計より米、梅干、粉醤油受領
又二河水中を渡る脚力の疲れ肩の痛みを解ぐす為、休憩し息切れ止り出発
丸山草原傾斜面多く息杖に頼よりつる草をつかみ亀の様に四っん這で登る
何故仕打ちか我が聯隊と別れ九州出身岡部聯隊に配属され継子扱いとなる
第三、四回と糧秣受領を出した峻嶮山河猛暑に負け任務を果せる兵四割
相互愛に燃え飢餓を救う為死闘身を犠牲にし死に至る兵永久に称えよう
砲撃中木の実蟻の巣を探し求め直撃即死、又這い廻り精根尽果て動けず死、皆必勝の為
第二十八章 米陸海空軍の砲撃活気を呈し稲垣大隊正面では随時銃撃戦を展開した
六中隊21号掩蓋銃座前二百米先分哨敵襲に合い二名戦死
中村正雄分哨長部下二名を失い自責の念に悩み狂乱状態となり死亡
加藤昇軍曹殿病死、河本軍医の手厚い看護の甲斐なく永眠
佐久間伍長殿迫撃砲大腿部骨折出欠多量名誉の戦死
第二十九章 大晦日岡会報戦闘機二百機ソロモン諸島に南下制海空権奪還ニュース
元旦の夜は明け敵戦勝祝いの酒盛か静かな戦場に米哨戒機年始に現れ消え去る
敵前正月、白米一合、特配、栄養食、三粒、恩賜の煙草三本の配給を受ける
稲垣防御陣地は十重二重に包囲され正月の特配が最後で糧食届かず
糧食絶え銃座を覆い守りし檳椰樹も伐採し喰べざるを得なくなった
六中隊長伝令横山保雄病魔に倒れ自分が替りを務めお世話した
中隊長の軍刀を借り檳椰を切り倒した処蔓にからみ二度切り直し取る
第三十章 稲垣大隊本陣と予備隊の中間地点に第二展望哨構築監視に服す
敵機第二展望哨発見砲撃中米兵進出激戦物量放火に屈し占拠される
稲垣命第二展望哨奪還せよ第六中隊田中准尉以下八名夜襲敢行
米軍展望哨跡に迫撃砲陣地構築し我が軍を袋の鼠にし頭上より叩き潰しにかかる
第三大隊は急岐阜六十八部隊で編成山家育ち百姓生まれ山岳戦は滅法強かった
衣服は雨に濡れ体温で乾かす土地汚れは手操みおとし着のみ着たままごろ寝
食糧断たれ空腹尚激闘を続け痩せ衰え肋骨が洗濯板同様となる
陣地では頭髪生毛に替り将兵の生命限界を越え生命日数統計表が出来た
第三十一章 我が防御陣上空に落下傘舞い落ち友軍の食糧空中輸送と信じて喜んだ
中隊命敵斜面に落ちた落下傘梱包を取りに自分が指名され駆け降りる
食糧と違い迫撃砲の弾驚き一時落胆、火薬を白い落下傘に包み持ち替える
敵哨戒機密林閉鎖作戦展開、防御陣上空を旋回、食糧弾薬等運搬を遮断せり
自分の喰う者自分で探せが鉄則、砲撃中這い廻り木の実蟻の巣を探す
大蜥蜴逃げ足早く射殺以外捕獲無理残念弾丸は総攻撃用節約使用禁止
今後主食に替る木の実、山菜等探す行動範囲縮められ死活問題と成る
稲垣部隊は山岳戦に滅法強く米豪軍おそれ苦手岐阜の山猿と呼んだ
第三十二章 飛行場攻略戦の為岐阜高地防御陣地を死守確保が重大且つ必要であった
岡部隊は再三の攻防戦に参加し生存者百五十名戦闘可能成る兵半数
師団長命 アウス天山死守防衛岡聯隊に援軍を送れ稲垣大隊拝命受ける
翌朝稲垣命 アウス天山に馬蹄形に各中隊六個掩蓋銃座を構築せよ
敵陣犬猿方面よりスピーカーで投降を呼び掛ける、逆に敵害心旺盛と成る
予告通り砲撃開始され艦砲迫撃砲が打ち込まれ頭上炸裂した
援護砲撃中米豪混成歩兵部隊が掩蓋銃座前方に現れ接近し来る
吾々の敵を敗退後直ちに敵死体に駆け寄り兵器所持品全部分捕り帰る
第三十三章 塩分、糖分、淡白質が欠乏し生きれ無い俺が死んだら食べて戦えと固く誓い合う
分哨勤務帰り土産だと人肉を天幕に包み持ち帰り分隊に配給した
21号銃座報告敵兵三名射殺、中隊長殿死体収容せよと自分に軍刀を手渡した
両股切断し天幕に包み背負った時敵に狙撃され進退窮まり動けず
連合軍は我が砦岐阜高地の兵隊を人食い人種だ山猿だと呼び恐れていた
頼みのマッチも無く火縄を吊り下げ火種を残し火薬に引火使用
粉醤油の配給 風邪薬り一服分12名分に分け一人耳掻き一杯分を空缶に分ける
三日に一度黒い大便 スピンドル油を尻の穴に塗り長時間力み出す
第三十四章 敵哨戒機岐阜砦を偵察無線連絡し艦砲野砲迫撃砲五百発一斉に開始
迫撃砲には死角無く何処も危険となる状況一変し益々友軍の不利と成る
米豪兵岐阜砦正面に接近、輕機・重機関銃で迎撃退去掩蓋銃座で助かる
安田勉上等兵21号銃座前分哨勤務中迫撃砲炸裂左り大腿部骨折重症
松波末一上等兵棒ふらの泳ぐ塹壕の泥水すすり悪性アメーバ赤痢にかかり病死
佐藤民雄衛生兵治療中迫撃砲手首重症予備隊に戻る途中再度直撃即死
第三十五章 稲垣命 第三回糧秣受領の為各中隊より二名、河地徳三、山田勇上等兵を選出参加
河地徳三上等兵九〇三高地迄担ぎ過労衰弱し高熱続き病死
山田勇上等兵峻嶮悪路をも克服し見晴台まで担ぎマラリア誘発倒れ高熱死亡
稲命鈴木誠一伍長落後兵救援決まり包囲網脱出の際迫撃砲弾受け戦死
第三十六章 岐阜高地砦敵囲網は確く兵力増強、迫撃砲陣拡張食糧遮断攻勢
加藤力夫上等兵は狙撃種で敵前に潜伏し米兵に包囲され頭部貫通即死
山本由松一等兵軽機関銃士銃座構築に良く働き栄養失調でマラリア高熱死亡
永岡一郎上等兵縫工兵 餓島では小滝副官の伝令兼分哨に務め過労衰弱死亡
神谷国正一等兵、星野少尉伝令、22号銃座分哨勤務中迫撃砲の直撃を受け即死
小島孝兵長九六式軽機の名射士23号銃座前方潜伏斥候志願し銃撃戦中貫通即死
宮田忠治上等兵19号銃座下番途中艦砲射撃炸裂重症出血多量戦死
加藤三郎上等兵料理献立が上手 将校さんのお気に入り、22号銃座潜伏中迫直撃即死
第三十七章 連日米軍歩兵と激戦艦砲迫撃砲物量砲火機銃掃射を浴び戦死傷兵後をたたず
稲命、河田繁雄軍曹岐阜高地砦へ至急増援せよ、22号銃座に登り分哨長引き継ぐ
河田軍曹戦死、米軍40正面接近乱射 応戦弾尽き日本刀で切り込み即死
波多野功上等兵23号銃座前潜伏斥候警邏中迫撃砲胸部刺傷即死
稲命報告臨時ニュース餓島近海の制海空権を奪還新鋭二個師団上陸
高沢登軍曹殿戦死河本軍医の許で静養中艦砲射撃の直撃を受け爆死
高木有三兵長予備隊陣地分哨勤務中艦砲射撃の直撃弾炸裂即死
補充兵西田兵長21号銃座任務終わり帰り道迫撃砲直撃即死
林芳夫上等兵、小松軍医殿の伝令を勤め傍ら立哨中狙撃され貫通即死
小川輝男上等兵24号銃座勤務中、泥水飲みアメーバ赤痢高熱病死
第三十八章 月が鏡なら我が子の死が映(ウツ)りお念仏を唱えるに知らずして武運を祈る親心ろ
米軍兵力増強し包囲網次第に狭められ稲垣部隊本陣と予備隊は孤立
米豪歩兵日課とし救護射撃中我が陣地に接近して来たり迫撃応戦撤退す
陣地は硝煙の臭い漂い屍は血腥(ナマ)臭く共に枕を並べ眠る事幾度ぞ
俺が死んだら喰べ必勝せよ、蛆虫ども食われぬなと誓い合う心の情けなさ
第三十九章 戦車一両歩兵を伴い六中隊正面に現れ火炎(カエン)放射機を使用掩蓋銃座の焼き討ち
我が砦戦車再度攻撃して来たり必死の応戦空腹に耐え撃退する
君が代前奏降伏勧誘が流れ勇敢なる日本兵諸君戦争は終わりだと呼ぶ
総攻撃開始、迫撃砲、山砲、野砲、艦砲、計四十門約一千七百発打ち込まれた
第四十章 稲垣少佐殿は各中隊を招集し大隊本部に集結させ緊急会議を開催した
午後23時脱出突破決行す、食糧と水と確保、撤退先は見晴台
第六中隊長殿死を覚悟軍人の礼節を重んじ肌着褌(フンドシ)まで着替える
戦友の塚穴住み馴た蛸壺塚に声なき別れを惜しみ又、迎えに来ると告げる
中隊長訓示 永い間ご苦労だったとお礼恩賜の煙草吸い廻し最后となる
第四十一章 稲垣大隊は一月二十三日午後二十三時遂に米豪軍包囲網脱出強行突破決行
中隊長殿は右手に軍刀左手に拳銃を握り左翼を前進自分は銃剣を握り後に続く
稲垣西畑両大隊合せ僅か百余名充らず七中隊正面より決行
鶴田中隊長殿軍刀を抜き突進中銃弾胸部貫通壮烈極まる最後であった
自分はトウチカの背後に迂回し手榴弾を投込み二人殺し隊長殿の恨みを晴す
第六中隊23名中九死に一生を得 脱出せる兵僅か七名に過ぎず玉砕
激戦の一夜は明け玉砕された稲垣少佐殿以下将兵八十五名の死体が放置有り
第二大隊は強敵伍阡名を釘付にし転進一万の人柱となり散華玉砕した
第四十二章 餓島戦軍撤退の盾(タテ)と成り、死して護国の稲二大隊守りぬく最后の砦岐阜高地。永久に燦(サン)たるその偉業
稲垣敏夫竹パイプ四っ切り巻煙草一服吸わせる休んでくれと頼む
佐藤正義伍長は四、五米の歩行かなわず体の自由失い崩れ倒れる
稲垣予備隊陣地を的に艦砲、野砲、山砲、迫撃砲の一斉集中砲撃開始
脱出者七名肩を寄せ合い眠れど寝付かれず脳裏に夢幻が浮ぶ
知念康正鳴子に引か々り分哨兵に感知され追跡乱射を浴びる
七名は逃げ断崖に追い込まれ無我夢中で飛び降り草叢に身を隠し助かる
佐藤伍長倒れ六名も精根尽きて休憩取り看護すれど甲斐なく死亡
残る六名夜中出発九〇三高地へと亀の様に遅い足に合わせ助け登る
第四十三章 静寂の朝撤退する日本軍に追い討を掛ける弾丸が頭上を飛び越え遠く炸裂す
塩分と主食が欠乏し歩行困難となるも助け合い堺台早川部隊跡に到着
敵襲参加食糧分捕り持ち帰ると言い戻らず死体放置蠅の黒山
自分と知念と二人食糧を探し敵分哨を狙い牛肉二個盗み帰る
体力の衰えと伴に地下足袋敗れ死体中より良い品さがし履き替える
銀飯腹一杯、甘味品食べたい話、敵陣に盗み出る相談中次第に眠る
昼間の草原越え危険為夜、行動し黎明前に次の密林に入る計画を練る
三ヵ月頼より腰迄伸びた草叢を押し分け遅い足に合わせ次の密林に入る
偶然にも大隊副小滝中尉殿と伝令光田上等兵と岡部の三名に出逢った
第四十四章 ラバウル方面軍事司令部発表餓島放棄ラバウル転進命令下る
転進命令稲垣大隊アウス天山本陣へ再三連絡を送り包囲網確く届かず
稲垣大隊岐阜砦方面より物凄き砲音銃撃戦が鳴り響き包囲脱出と知る
副官指揮予備隊へ雪なだれの極く攻来たり本陣玉砕と知り撤退した
副官我が両玉砕状況報告に陶村聯隊に追究伝令岡部病弱自分が交代す
可哀そうな六名を残し先立つ辛さ名残惜しみ涙を呑み三名で追究した
宮崎台稜線歩行中水無し川方面に砲弾が飛び友軍がいる追究を急ぐ
ラバウル転進は28日最後船エスペランス岬終結は前日迄と聴き驚いた
第四十五章 稜線の一部に密林良く茂り米軍の分哨が構築され立哨兵が発見し追跡に合う
分哨兵の銃撃を浴び光田即死、副官大腿部、川井肩より脇の下貫通せり
二人は逃走り精根尽き果て鼻息荒く鼓動早鐘を打ち草叢に隠れ動けず
軍刀を借り檳椰樹を切り倒した処副官的接近を感知され逃げた
副官は視力衰え耳正常自分は反対耳衰え目は正常片腿方腕貫通し二人合せ一人前と成った
出血の為二人はのどが渇き渓谷に降り水筒に水を汲み日没まで休憩
日没小雨降り視界悪く岩山草原を登る草を踏倒道開け副官後に続く
宮崎台山麓で偶然出逢う、伊藤軍曹、中村伍長殿は、玉砕前日脱出、此処迄撤退
矢張り十日程前食糧を探して来ると言い動けぬ五、六人を残し撤退した
猛暑汗が塩分不足で水が滲(ニジ)み出し喉が渇き我慢し百武台稜線上に出た
第四十六章 沖川の浅瀬に友軍の死体約六十体放置され水に漬り膨張し被服破れ手足のぞく
敵弾病魔に倒れ沖川に捨て置かれ成仏できず極楽浄土も故郷も帰れず哀れ
副官と稜線に登る道黄色い有線を見付け切断を試みたが危険な為断念
変則二人三脚となり力を合わせ草原中腹傾斜を横這いで歩行を続ける
白昼行動は敵機の的急ぐため自分が草を踏み道を造り副官後に続く
腹の虫空腹を告げ牛肉の空缶を取り出し指先でこすり取り交代で舐め尽くした
月明かり海岸に敵三角幕舎に近寄り忍び込み缶詰二個盗み出し逃げ帰る
餓鬼道に落ちた悪魔同様牛肉を貪(ムサボ)り喰ベ塩分を補い少し元気を取り戻した
第四十七章 山頂良き眺遠く見降せ計画宵闇を利用海岸線をエスペランス岬に向かう
深夜敵幕舎を襲い食糧を盗むより無く山麓に降りて勇川に沿い海岸に出た
砂浜速駆け歩哨立ち容易ならず海中を渡り夜光虫が光断念する
副官殿は適中に潜り食糧を盗みに単身片足悪と跛(ビッコ)を引き暗闇に消えた
待てども副官戻らず夜は白らみ淋しく補捉を恐れ山麓密林奥に逃げる
追跡され失走荊(トゲ)の有る竹藪に飛込み無我夢中尺取虫同様這い潜り逃げた
竹藪パパイアの実一つ熟し残れり久方振り糖分に舌打ちし美味しかった
孤独感に対え百武台八号目近く這い登り疲労が募り大往生翌朝迄で熟睡
山を降り夕暮れ海岸に出大木が倒れ上に登り磁石を見、位置確認中銃撃を受ける
第四十八章 幻覚が脳裏に浮かび成田不動明王様が雲に乗り現れ次第に近く降りてこられた
蓮の花咲き匂い、山野花咲き乱れ果物が実り別天地で遊ぶ事二時間
一命を救われ不動明王に感謝をし大木下の穴に滑り込み一夜を眠る
月を無情と言うけれど隅なく照らす屍を友の野晒し残酷直無情
孤独感と疲労空腹に対えかね穴を這い登り後少しが登れず落ちる
高熱頭犯され木の上歩哨銃剣を小脇に抱え動哨に錯覚し穴を出れず
感覚鈍り意識不明幻覚見え戦い終り戦友迎え呼ぶ声穴登れど体自由にならず
第四十九章 丁度米軍のジープが通りかかり収容され米軍野戦病院に運ばれた
軍医注告一回に多く喰べ死を早め長生き望むは少しづ々半年の辛抱せよ
高熱続き意識朦朧動けず夜が更け静まりし頃脳裏に再び幻影浮び出た
美しき極楽浄土豊富な果実真赤に萌える太陽等楽天地が波間に沈む光景
故郷の山河、両親兄弟姉妹、向かふ三軒両隣りの小母さん達現れ懐かしく
勘違い友軍機縄梯子吊り下げ迎えに来たと這い出し番兵が連れ戻す
幻覚の残酷は日本兵を丸裸にし屠(ト)殺場に送り心臓、肝臓を切り取り喰べる
第五十章 担架に乗せ病院を連れ出し海岸で銃殺と覚悟した処病院船内に運んだ
行先知らず餓島出航幾多戦友の御霊と別れを惜しみ船は静かに動き出した
病院船内の給食待遇は良く久方の鶏肉、魚介類、卵料理等であった
毎日親切丁寧なる治療を受け傷口も次第に小さく体力も回復した
一命を助け今尚敵味方無く総ての処遇を心良く尽くし敵ながら天晴
第五十一章 下船ウエリントン病院に移り一両日後汽車でアンザック病院に入院
毎日二人の看護婦に抱かれ入浴し車椅子に乗せ日光浴に連れ出した
精神的悩み自殺を紛らわす為、婦長さんの好意で似顔絵スケッチを描いた
順調に回復し退院フェザストン収容所に移る前日暴動が起き延期
第五十二章 真実を克明に書き記し皆様に読んで戴き軍法会議で裁かれ死を覚悟ペンを取る
英語を学ぶ為教材を買う金の替りに日曜大工を働き煙草を集めた
英単語、文法、動詞等基礎資料と餓島陣中日記と同じノートに記した
塵集男(レヒュースマン)が捨(ステ)新聞を集め熊本君が翻(ホン)訳し朝礼点呼後戦況報告有り
収容所司令官、戦争は終結君たちを日本に送還す身辺の整理せよと指示有り
出発前に48名の忠魂碑と涙の別れを告げ汽車輸送ウエリントン港到着
乗船私物品検査、英語、基礎、勉強ノートの下に陣中日記を隠し没収を逃れた
第五十三章 復員船はLS号米軍海兵隊が敵前上陸用に使う艦艇で我が駆逐艦程度の小型艦
トラック島に帰港、我が駆逐艦が拿(ダ)捕米国旗が掲げられる友軍機の姿は見えず
米水平写真ニュース版を見て驚いた 宮城二重橋で米将兵弁当を食べていた
父島母島に近寄った処、友軍機の姿は見えず星条旗マークが飛び旋回
出航以来一ヵ月の船旅中、流石(サスガ)黒潮通過した時は大波荒れ狂い艦内大騒ぎ
LS号を日本に与(ギブ)えると言い 吾々に甲板の錆び落し使役に借り出された
第五十五章 昭和二十一年二月三日遂に親族の待つ日本国横浜市浦賀港に停泊
出迎えは親族では無くUS腕章をはめたMPが短銃を抱え立哨していた
駅構内食物も住む家も無くゴロ寝、娘髪型カール巻異国の女と見違えた
過去八年の歳月は永く世は移り変わり廃墟と化し新生日本の復興の足音
横浜駅発車内身動き出来ず名古屋迄立往生流石軍隊で鍛えし足も辛かった
名駅内家焼かれ食を求め浮浪児が一枚毛布に何人か抱き合い震えていた
第五十六章 駅を降り町は空襲で焼野原と化し昔しの面影無く岐垣バスを探がす
食料を補う為堤防斜面に大豆、河川敷にも里芋や大根、稲等作付し有
出征以来八年振り母と対面し他人でないかと見直し哀れな姿であった
実家に入り驚いた、父十七年自分十八年二男十九年と葬儀が続き三男と二人暮らし
母は深夜目覚め枕元に立ち、幽霊ではないかと確かめる夜、七日程続いた
第五十七章 仏間に白木の箱、写真、勲章が飾られ村葬慰霊祭が挙行されたと聴いた
陣中日記が聯隊副官殿に認められ聯隊史の貴重な資料と成り活用された
編集委員に推薦され資料を提供以来八年の歳月を要し昭和48年八月発行
委員は櫻花会館に集り編成以来七年有余激戦の資料を提供し編集した
第五十八章 昭和四十六年十月中旬餓島遺骨収集団が戦後初めて結成された際副官岩田大尉殿の要請を受け第六中隊代表とし団員に加わった
収骨平野知事上松市長さんに挨拶廻り、餞別を戴く家族親類と水盃を交わす
成田空港離陸し餓島に到着、岐阜高地を眺め感慨無量当時を思い合掌
七千体のご遺骨を収集、タンベア海岸で焼骨式を終り慰霊祭を盛大に挙行
中隊長殿始め上司、戦友、今は亡く日本の復興と共に振り出に戻り頑張り努力した
故第十七軍土井部隊稲垣部隊鶴田餓島戦病死者碑昭和十八年一月二十三日二十一時稲垣西畑両大隊玉砕ガタルカナル島
毎月一月二十三日命日祭と定め好物の品をお供えし五十回目法要を務めて来ました
仏語で言ふ五十回忌問い上を務め戦争体験無き若人に伝え慰霊を捧げ編集した