図書カタリ000054570

語り 2

サブタイトル1~10
山口のヒロシマ
編著者名
山口県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」 編
出版者
山口県原爆被爆者福祉会館「ゆだ苑」
出版年月
1980年(昭和55年)9月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
249p,図版[12]p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/Y24/2
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

発刊のことば
 
ああ、これが、姉さんの遺体だ(富永芳子さん)
百合子さんみたいな
姉さんはかわいがってくれた
日本はもう負けるでねえ
買い出しの毎日じゃった
その日、ハイカラな服装で
泥水をわれ先に
姉さんのシュミーズの切れ端が
かわいそうで、情けのうて
甥、伯母はわからず
思いきって被爆者手帳を
裸同士で一緒になろうか
稲光がいやで、いやで
ありがないなあーと思います
なんぼ貧乏でもええから
 
生き運じゃったと思うほど(岡修弌さん)
よう、忘れるいね
救援列車に乗って
うみがポテリ、ポテリ
養子にきたんよ
機関車掃除夫に
ガソリンカーの草分け
家内はわが子を抱いたまま
やっぱり運命よね
やせてやせて、疲れて
右肺はつぶれてしまっとる
広島まで歩かずにはおれん
江良丘陵はようけ骨が出たよ
八月が来るたんびにつらい
折り鶴を折らん日はないよ
 
忘れられてしまわんうちに(村岡茂さん)
B29の音がぶんぶん
確か広島城がこのへりに
かわいそうに、あの女の人は
地獄の情けないような世界
トラックに便乗して山口へ
とぎれとぎれに陛下の声が
タオルに髪の毛がいっぱい
人間が腐っちょるんじゃから
昨日は五人、今日は四人と
キンカじいさんになった
勝つ勝つという精神で
楽さんと初年兵のわたし
遊びごとみたいな訓練
長男は家におらんと
はよ結婚して不幸にしちゃいけん
好きで受けたわけじゃなし
こりゃ百姓もやれんように
一日でも早く救護法を
 
償いに骨一本でも拾えたら(小路隆治さん)
百姓せにゃいけん宿命
明けても暮れても戦争ばかり
行進中に原爆におうた
戸坂小で治療をしてもらう
焼けていない山口の街が
頭を洗うと痛かった
嫁は来ちゃあないでよ
弱い体にムチ打って
白血球が少ないと酒を
肺がかさぶたのように
お国のために戦争に行って
国をあてにゃせん
学生さんの行進ありがたいのう
 
それでも、生きていてよかった(斉藤楽一さん)
この傷が原爆を語りかけて
病院へまた逆戻りです
母は死に姉の厄介になろう
カルテがほこりにまみれて
この手を切ってくれ
小さな身体になった
よう生きて帰られた
拝啓 総理大臣殿
山口の連隊に甲種合格
ノドがからからに渇いて
兵隊さん、助けて下さい
布団はウミでガリガリ
あの日以来、広島を知りません
 
よき隣り人たれ(藤田晴子さん)
いつものように警戒警報がなって
あたり一帯だいだい色に
防空壕で涙がでて
真っ赤な雲が流れてくる
幽霊みたいな姉が
何にも言うことないわよ
家の中でカサさして
お姉ちゃまばっかり
学校で追悼式
たまたま原爆の時に
何のために生きるべきか
広島に行かなかったら
証人捜しがめんどうで
被爆者の会に
頭痛持ちになっちゃって
早く救護法を
平和憲法は守らなきゃ
 
三十一文字に「平和」を託して(竹内一作さん)
原爆に生き残りしを境とし吾が身を命のこぼれとも思う
吾が膝にうち伏ししまま戦友は死すあわれ欲りたる水飲みしとき
六十余年行き来し吾の身に浴びし原爆消えず眼より消えず
悲しみを明日に残さぬ生き方も苦学せし中学時代に吾が学びたり
人の世の寂かなる命に近づきて被爆に今もつ病のいくつ
核廃絶願う署名を声として国連に直に全世界にひびけ
 
付録 山口の戦後学生平和運動略史