高橋是清
日本語版への序文
謝辞
はじめに
第1章 比類なき始まり◆一八五四~六七〈嘉永七~慶応三〉年
ある足軽の誕生
江戸末期の足軽の子弟の教育
高橋、英語を学ぶ
高橋、アメリカに行く
第2章 サンフランシスコでの高橋◆一八六七~六八〈慶応三~明治元〉年
危険いっぱいの異国の地へ
高橋、不注意に書類に署名する
高橋、強制労働から逃れる
高橋、帰国する
若き日の経験は高橋の後半生にどのような影響を与えたか
第3章 先輩は多いが、先生は不在―政府や民間の職を転々とする◆一八六九~八一〈明治二~一四〉年
ゲウイド・フルベッキ―若い高橋に与えた重要な影響
一難去ってまた一難
高橋、東京に戻る
第4章 日本初の商標特許法令◆一八八一~八九〈明治一四~二二〉年
高橋の二度目のアメリカ行き
高橋の初の欧州行き
高橋、帰国して論争に巻き込まれる
第5章 前田正名と産業政策論争◆一八八二~八五〈明治一五~一八〉年
前田正名
『興業意見』
興業銀行論争
『興業意見』の末路
第6章 ペルーでの銀山経営◆一八八九~九〇〈明治二二~二三〉年
高橋、東京農林学校長となる
高橋、ペルー行きを決心する
高橋、ペルーへ行く
ペルーでの鉱山会社経営
「憐れにもはかなき一場の夢」
結語
第7章 高橋、日本銀行に入行する◆一八九二~一九〇五〈明治二五~三七〉年
高橋、日本銀行二入校する
日本銀行本店の新築
高橋、日本銀行西部支店を開設する
日清戦争
高橋、横浜正金銀行に入行する
高橋の四回目の海外への旅―一八九八(明治三一)年一月~一〇月
横浜正金銀行、市中銀行となる
高橋、日本銀行副総裁となる
市中銀行としての日本銀行―政府資金と経済発展
結語
第8章 日露戦争の戦費調達(一)◆一九〇四〈明治三七〉年
高橋、ロンドンへ行く
ジェーコブ・シフの登場
第二回日露戦時公債(一九〇四〈明治三七〉年一一月
第9章 日露戦争の戦費調達(二)◆一九〇五〈明治三八〉年
束の間の帰国
再びヨーロッパへ―第三回日露戦時公債
第四回日露戦時公債
講和条約の交渉―いま一度の外債発行
第10章 戦争の教訓◆一九〇六~一九一八〈明治三九~大正七〉年
鉄道国有化
シフの来日
高橋、ロンドンへ戻る
激烈な引締めか?管理された成長か?
高橋、山本内閣の大蔵大臣に就任する
第一次大戦と対中国政策
第一次大戦と軍部
第一次大戦期の経済発展
第11章 大正デモクラシー◆一九一八~二七〈大正七~昭和二〉年
高橋と戦後の反動恐慌
「内外国策私見」
「東亜経済力樹立ニ関スル意見」(一九二一〈大正一〇〉年五月)
高橋内閣(一九二一〈大正一〇〉年一一月一三日~一九二二〈大正一一〉年六月一二日
憲政擁護運動
一九二七〈昭和二〉年金融恐慌
第12章 「日本のケインズ」―日本と世界恐慌◆一九二九~三四〈昭和四~九〉年
昭和恐慌の始まり―日本の金本位制復帰(一九二九~三一〈昭和四~六〉年)
世界恐慌、日本へ波及する
恐慌化の日本
高橋、再び大蔵省へ
暗殺による政治―経済的自立(Autarky)から専制政治(Autarchy)へ
高橋の財政政策
高橋財政の経済効果
第13章 高橋の財政政策と軍国主義の台頭◆一九三二~三六〈昭和七~一一〉年
軍国主義に対する高橋の反対
斎藤内閣における高橋の軍部との闘い
高橋、岡田内閣に入閣する
一九三六〈昭和一一〉年度予算編成
高橋路線の終わり
終章 高橋の経済思想とその源流
【付録】『高橋是清自伝』について
訳者あとがき
訳注一覧
引用文献
高橋是清年譜
人名索引
事項索引