図書ゲンバク オ サバク000053613

原爆を裁く

サブタイトル1~10
編著者名
東京都原爆被害者団体協議会 編
出版者
労働教育センター
出版年月
1983年(昭和58年)8月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
238p
ISBN
NDC(分類)
369.37
請求記号
369.37/To46
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

告発(伊東壮)
 
証言
「早く帰って風呂を沸かしておいてくれ」それが父と私の最後の会話になりました(出島艶子)
焼け残りの木切れを集めて何百という犠牲者の荼毘をしました(樫野三郎)
私はまだ燃えさかる広島に最初の救援隊として入市しました(中村仲一)
家内は倒れた家の下敷きになり火が隣家から迫ってきます(伊藤喜一)
子どもに託した願いも一瞬のうちに消え去っていきました(佐上みす枝)
いっときも早く自宅に駆けつけるべきだったと後悔しました(原巳未生)
三七年間、忘れよう忘れようとしてきました。お話しするのは本当につらいのです(宮越あさえ)
人を山積みにして石油をかけて焼いておりました。半焼けの人もいました(織田アヤ)
生きた人にウジがわき、そこから蠅がとびたっていきました(鵜沼栄)
私が廊下まで出た瞬間、ガラス窓越しに「ピカー」。目がくらむようでした(山口泰子)
もしや妹では、と市内じゅう歩きまわりました。しかし遺品は何一つ見つかりません(河合正江)
いまでも「助けてくれ」と叫んでいた悲鳴を夢のなかに聞いて飛び起きることがあります(尾崎守夫)
私を背負った母は大変だったろうと思います。いまも母の偉大さが身にしみています(広瀬清)
月明かりの中に焼けこげの乗客を乗せて鉄骨だけとなった電車を見ました(佐藤清子)
子どもたちのため、ただその日その日を何とか無事に生きられるよう、思うばかりです(前田敦子)
男の子が「熱いよ、熱いよ。看護婦さん薬つけて」と身体を震わせて走って来ました(保坂栄)
肉親や友人を助けられず、炎に追われて逃げたことを心の傷として背負っています(谷浦正通)
いまでも、光ること鳴ること揺れることはあの日の惨状につながり、まぶたに浮かびます(山根操)
私は小さいときから身体が弱く、母は原爆症ではないかと心配したそうです(大谷淳子)
雨の降るなか、夫にむしろをかぶせて焼きました(坂井キミ)
国民はいつも、世界中どこを見ても戦争の犠牲者となっているんです(福島勝男)
顔に斑点ができてからは、人前に出るのが嫌で、PTAに行っても小さくなっていました(小野美穂)
私が見捨てて逃げたおばさんの無念な気持を代弁することが、本当の供養だと思います(永坂昭)
やかんのようなものが見えました。側に寄って見ましたところ、家内の頭でした(竹平宗平)
壊れやすい大事な命ですから、命のあるかぎり私たちの苦しみ、不安を訴えていきます(黒川万千代)
ああいう生き方をせざるをえなかった夫もまた原爆の被害者だったのです(野中フミ子)
 
審判(石田忠)
 
国民法廷運動の意義(池田真規)