図書カイソウ ノ シベリア000053568

回想のシベリア 正

サブタイトル1~10
全抑協会長の手記
編著者名
斎藤 六郎 著
出版者
斎藤六郎
出版年月
1988年(昭和63年)8月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
526p,図版[6]p
ISBN
NDC(分類)
210.75
請求記号
210.75/Sa25/1
保管場所
閉架一般
内容注記
地図1枚
和書
目次

はじめに(斎藤六郎)
 
第一章 シベリアに生きる
北満の司令部
第四軍軍法会議
軍法会議のしくみ
閣下に間違えられた録事
軍法会議の最後
武装解除
大山一等兵のこと
上村中将の死
海林集結地
捕虜大隊の編成
「ポツダム」少尉
第七捕虜収容所
栄光あれタイシェト作業大隊
生死の間を彷徨う
吊し上げのなかったパラチンカ大隊
誰も書かないバムの苦闘
新しい日ソの架橋をめざして
 
第二章 シベリア再訪
異国の丘の戦友たち
遺骨送還をソ連政府に要求
ソロブィヨフ部長の回答
コワレンコ国際部次長の対応
遥けきソ連墓参の旅三十年ぶりのシベリア再訪・遺骨送還を妨げる日ソ外交の厚い壁
残念だった厚生大臣の態度
緊張した「風鈴の塔」論争
「夕焼け小焼け」の合唱にすすり泣き
ブラーツク湖上から花束を投下
ソビエト旧軍人会との交流
ゴルリンスキー将軍のメッセージ
ソ連軍医シビリツーボアの献花
イルクーツクで会った日本人たち
第二次墓参団報告記・三十八年の願いに踏むナホトカ墓地は遠かった
可哀想な捕虜の死
ソ連旧軍人会代表団の来日
露人墓地で慰霊祭
相互理解こそ問題の鍵
墓参クレーム記・墓参に関する二、三の常識
墓参という言葉はタブー
ハバロフスク日本人墓地での出来ごと
切断されていた墓標
リストビヤンカ日本人埋葬地について
ザボトスク墓地の追悼標
立入禁止の墓地
喰い違っていた墓銘標
風光絶佳の日本人墓地
続墓参クレーム記・大使館前の検問
チジョフ代理大使との話合い
ソ連の国家と人
軍人の死と墓
リストビヤンカ追記
ソ連の旅、印象記 エルミタージュ美術館の石球
「ソ連地区抑留死亡者の遺骨送還に関する請願」・外務省公表
第一、二、三次訪ソ墓参団名簿
 
第三章 シベリアを想う
吉田明男のこと
生涯の友人有江逸郎の書いた墓碑
墓守りに徹した戦後
身代わり地蔵
ソ連に帰化した人達
ノモンハン捕虜のこと
国際法に忠実だった中国軍
倒錯の奉勅命令
張鼓峰事件の捕虜の辿った運命
一銭五厘の思想
シベリア民主運動
無法の軍隊
加害者であったかも知れぬ私たち
全抑協の裁判
ソ連が眉をひそめた抑協の要求
辛かった夜半の水汲み
不毛地帯に出てくるシベリア民主運動
カチューシャ楽団の人々
引揚げを妨げたもの
帰還者たちを待ち受けていたもの
ヘーグ条約に違反していた陸軍刑法
歌と踊りにコン棒の嵐
雀の涙の帰還手当
日本帰還者同盟
シベリア民主運動の挫折
ドイツ兵とジュネーヴ条約
素早かった赤軍政治部の行動
だれも歌わなかった「異国の丘」
中国要人の見たシベリア抑留
 
第四章 シベリア裁判
シベリア抑留者の給養について・はしがき
本件問題の所在
シベリア捕虜に適用される現行法規
捕虜たる兵の地位
我が国の訓令
シベリア捕虜の国際法上の地位
捕虜とみなさざる見解
一九二九年ジュネーヴ条約との関係
国際赤十字の報告
無条件大量降伏
条約の文義
ソ連に於ける日本人捕虜処遇の実情
抑留の目的及びその組織
労働の実情
労働に関する法
労働賃銀と給養費との関係
休養の実情
我が国の軍事緒法規
陸軍給與令
大東亜戦争陸軍給與令、同細則
大東亜戦争陸軍給與令が自国捕虜に保証している給與
日露戦争における実行
国際慣習法に基づく給與受給権
給養費の負担に関する学説
給養費に関する各国の法規
給養費の精算実行
戦時捕虜の未払労働賃金・当時の国際法
米軍の捕虜となった日本兵士の取扱い
英軍の労賃カード
引揚者持帰り金との関係
シベリア裁判裏方の記録・まえがき
提訴まで
訴状
裁判の経過
国の答弁書
国の準備書面
国の再反論
山本鑑定書
全抑協の反撃
私の感想
ものをいった証拠資料
ジュネーヴ条約の訂正・中曽根首相に面会申し入れ
憲政史上前例のない誤り・前代未聞の誤訳を訂正して官報に告示
一国の政府としてあるまじきこと
【読売新聞】政府“ミス”認める
これで良いのか条約の訂正・国会を無視した外務省の措置
誤訳の背景
 
第五章 折々の記
秋雨に哭くか韓国五英霊三十七年ぶりに祖国へ
台湾元日本兵補償問題
手さぐりで掴んだ援護法
山形新聞の報道から
サイパンの悲劇を繰り返すな
拝啓、石橋委員長殿
「書評」捕虜体験記を読んで
瀬島(元)参謀の虚と実・瀬島論争
今も氷解しないシベリアの対立
全抑協会員の訴え
ジャールコヴォの停戦交渉
ジャールコヴォで何が話し合われたか
実現しなかった近衛・スターリン会談
返り「忠」を認めなかったソ連
東京裁判前後
謎を秘めた言動
あとがき
椰子の実(シベリア捕虜のこえ)・捕虜はタブー
欧米の捕虜観
東条首相の遺言
東条さんの戦争犯罪
作家、大岡昇平氏の場合
パーシバル捕虜委員長
捕虜の地位
「世紀の遺言」を読んで
知らざるものとの違い
北方四島とシベリア抑留
ソ連旧軍人との交流
戦後特別の犠牲
この裁判の意義
 
巻末資料 ソ連抑留全作業大隊名簿
拉古集結地
海林集結地
敦化集結地
東京城集結地
蘭崗集結地
金蒼集結地
間島集結地
佳木斯集結地
牡丹江集結地
掖河集結地
孫呉集結地
北安集結地
綏化集結地
哈爾浜集結地
嫩江集結地
斉々哈爾浜集結地
博克図集結地
海拉爾集結地
吉林集結地
新京集結地
公主嶺集結地
四平集結地
奉天集結地
鞍山集結地
海城集結地
錦州集結地
承徳集結地
三合里集結地
秋乙集結地
美靱洞集結地
古茂山集結地
宣徳集結地
富坪集結地
五老里集結地
興南集結地
幌筵集結地
占守集結地
松輪集結地
得撫集結地
色丹集結地
択捉集結地
豊原集結地
大泊集結地
上敷香集結地
作業隊を編成せず入ソしたグループ
 
添付資料 タイシェト(七)地区収容所分布要図