図書オカアサン ニゲテ000053434

お母さん逃げて

サブタイトル1~10
ドキュメンタリー「原爆遺書」
編著者名
広島テレビ放送 編
出版者
実業之日本社
出版年月
1972年(昭和47年)7月
大きさ(縦×横)cm
19×
ページ
253p,図版[1]枚
ISBN
NDC(分類)
915.9
請求記号
915/H73
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
和書
目次

はしがき
「お母さん 逃げて」(萩原緑)
あの電話が最後だった(田上久子)
死を待つだけの一四歳の少女(近貞和義)
「あの柱の影に人の顔が・・・・・・」(飯田護)
縁のうすい母と子だった(宮地臣子)
私は一生うりを食べない(柴崎アヤ子)
原爆に殺されよと育てしや(持田郁子)
「わしを残して逃げてくれ」(江崎スナオ)
苦しんで苦しんで(島村道子)
「兄や満雄が寂しがらないように」(木村満雄)
葬儀をすませた父も死亡(石田昇)
「お母さん 鏡を見せて・・・・・・」(池田久雄)
「ウメボシは嫌いだけれど食べるよ」(上田正子)
三二歳の若さで逝った母(徳永説男)
たった一人の女の子でした(西鈴子)
私たちは黙していいか(丸本規雄)
いまなお耳に残る言葉(谷本敏子)
子供の名前を呼びながら(兜山年子)
「消して 火を消して」(滝口悦子)
長男を呼ぶ声が聞こえてくる(二井サワヱ)
残された水筒の口金(三戸玄三)
ついに行方のわからなかった長男(新谷君江)
「兄さん 私も戦死ね」(横田信一)
食事をいっぱいあげたかった(若宮静枝)
「なぜ迎えに来ないの」(山崎実義)
傷ひとつ受けない夫だったのに(坂井キミ)
「まともな死に方をしたかった・・・・・・」(加用應信)
五、葬儀は質素なること(横山マサヨ)
発狂して死んでいった従妹(城戸登久子)
でも誰も助けに来なかった(根本小夜子)
「子供だけ頼みます」(斎藤正俊)
目にウジがわいて(野崎アイコ)
親友を失った悲しみ(鎌田喜四郎)
「妻よ 商売はしないように」(森亀子)
無意識に「海行かば・・・・・・」を(田頭桂一)
もうこれ以上書けない(内山正一)
黒こげになった腕時計(押岩正人)
死ぬ勇気がほしかった(平岡真子)
「サヨナラ 私は死ぬるよ」(真木賢三)
やっとつかんだ幸福だったのに(大内ニシエ)
短すぎた妹の結婚生活(福村アツコ)
両親の看病も知らずに(大澄君人)
童顔に苦悶のあとなし(飯島乙巳)
ひと目でも逢いたかった(福岡喜義)
死体をおおう布もなく(飯田和恵)
家の下敷きになった母(工藤光子)
人間が焼かれていく!(竹内勇)
何ひとつ言い残さずに・・・・・・(土井盛登)
原爆であることも知らずに(峠岡幹登)
静かに眠らせてほしい(盛岡幹造)
わが子にひと目逢いたい(松田キク)
その人のために祈る(松岡智子)
「母ちゃん チチ 母ちゃん チチ」(八木愛子)
墓前で自殺をはかった祖母(堀野和子)
帰らぬわが子を待って(田中チエ子)
枕を並べた主人と長男(木村ハナコ)
八月七日 朝五時三〇分(山下実)
変わりはてた父の顔(川立照子)
雲と炎を人間のボロ(秋月茂子)
「包丁をくれ 自分で切る」(岡本公子)
原爆投下した飛行士の発言(阿波多美子)
姉は静かに死んでいった(梶矢文昭)
左半身のガラスの傷(若山寿代)
クジを当たったばっかりに(田原武典)
戸籍ではまだ生きているのに(浅枝キミヨ)
「あなたのそばに いつまでも」(土岸光子)
「この子だけ助けて!」(田上芳明)
戦争さえなかったら・・・・・・(八幡敏)
開いた手の平に頭髪が・・・・・・(木崎久江)
苦しみ続けてついに死へ(玉藤マタヨ)
どこの誰かもわからずに(島本スミ子)
消えた「家族は私が守ります」(長谷川進)
孫の死も知らないで(西京豊子)
とうとう弟二人は見つからず(星野敬子)
最後まで態度をくずさず(高橋忍)
最後のひと言「ゴメンネ」(穐田エキコ)
勇士の姿もいまはなく(樫野三郎)
八時一五分に祈りたい(永本スガコ)
「地獄よ 地獄よ そのまま地獄よ」(植野はる子)
家族四人の白骨を消し壷に(鈴木善輔)
いまも眼に残る三組の家族(増岡貞五郎)
平和な世界に生きさせてやりたかった(藤沢イチノ)
わが子の遺体に頭部がなかった(吉尾彰義)
「車の輪が一つになった・・・・・・」(敷村文子)
今日も父を探し求めて(寺尾敏子)
死んだ母親にすがりついて・・・・・・(両徳玉夫)
せっかくつかんだ安らぎなのに(佐々木賢吉)
遺体は正しく吾子文子なりき(村上安恵)
「次は私の番だ」(植野サダ子)
遺稿 一人一人の力は弱いが・・・・・・(植野サダ子)
娘が生きながらに焼かれていく!(末次ハナコ)
遺稿 あの青空を仰いでみたい(末次君子)