赤紙従軍回顧録
題字・序(元歩兵第三十四聯隊第二大隊長・愛知県議会議員(元議長)・竹下喜兵衛
はじめに 赤紙召集令状を受けて…昭和十五年九月
第一章 入隊前
家庭の状況
送別会は組中総出で接待
出征時の餞別帳
応召の門出
第二章 入隊と教育訓練…昭和十五年九月
中部第十三部隊への入隊
員数合わせもビンタも教育の一端
家族への初信
二泊三日の死別外泊
護身用に宝剣の借用
第三章 支那大陸への派遣…昭和十五年十月
男子の本懐
揚子江上流へ六百粁
第四章 旅団司令部への転属…昭和十五年十一月
運命の別れ道
大別山脈を越えて信陽警備地へ
花谷閣下に転属の申告
愛馬「赤城」との出合い
大陸より家族への初信
旅団酒保勤務
第五章」 予南作戦…昭和十六年一月
初陣の便り
従軍行動
人糞貯蔵槽へ落ちた馬
黄砂の戦場
花谷旅団長の勇姿
牛蒡剣の員数合わせ
第六章 病気入院と父の死…昭和十六年三月
旅団指令部に電灯
漢口陸軍病院へ後送
故郷への便り
実父の死
故郷での父の葬儀
盲腸炎誤診での入院
九死に一生
陸軍病院から故郷への便り
第七章 浙贛作戦…昭和十七年五月
大東亜戦争に発展と浙贛作戦
第二十九旅団長閣下の交代
浙贛作戦の概要
第一次集結
雨期の戦闘行動
水馬で初渡河
第八章 歩兵第二十九旅団指令部の改編…昭和十七年七月
信陽警備地へ反転
歩兵第三十四聯隊第二大隊本部へ転属
第二大隊本部事務室勤務
第九章 大別山作戦…昭和十七年十二月
塚田軍司令官搭乗機の墜落
作戦参加と戦果
遊河地区へ警備の交代
第十章 江南殲滅作戦…昭和十八年四月
第一期作戦(遊河から東港附近まで)
第二期作戦(東港から陣家店まで)
第三期作戦(陣家店から反転まで)
第二大隊本部岩崎副官の戦死
反転と夜行軍
歩兵第三十四聯隊に感状授与
バッタの大群と住民の救済
横山軍司令官の敵前陣地の視察
第十一章 常徳殲滅作戦…昭和十八年十月
作戦の概要
第一期戦(遊河から官搾峪まで)
第二期戦(林家橋から石門南方まで)
第三期戦(石門東方から下徒山の戦)
房の聯隊旗と共に敵地へ潜入
下徒山の戦
第四期戦(常徳南岸から反転まで)
反転作戦と其の後
第二大隊長並に副官の交代
歩兵第三十四聯隊に感状の授与
第十二章 湘桂第一期作戦(遊河から来陽まで)…昭和十九年五月
作戦準備(竹下大隊長従軍手帖参照)
竹下第二大隊の行動開始
作戦開始
淄陽の攻略
衡陽攻略と第三師団の活躍
米空機二機を撃墜
茶陵周辺の攻防戦と日の丸戦闘機
竹下大隊大、小行李敵に襲わる
反攻重慶軍と茶陵攻防戦
弾薬の補給で活力の回復
衡陽攻略第三次戦
来陽地区で第二期作戦準備(二十日間)
黒砂糖造りに初挑戦
第十三章 湘桂第二期作戦(来陽から永明まで)…昭和十九年八月
常寧、祁陽に向かい戦闘開始
零陵飛行場の占領
竹下大隊永安関進攻の遥山越への苦闘
第三期作戦の準備(永明三十八日間)
第十四章 湘桂第三期作戦(英明から柳州まで)…昭和十九年十月
不眠不休五日間の急進攻
平楽攻略に竹下大隊長の急追撃
溶津渡河点の空襲
荔浦進攻と夜間突破
竹下大隊長の策謀
糧秣徴発と敵便衣隊
中井第一大隊長の戦死と竹下大隊の救援
竹下大隊非戦闘員馬匹部隊に米空機の襲撃
柳州攻略と竹下大隊の活躍
竹下大隊長幡襲山と大保塁攻撃の策謀
第十五章 湘桂第四期作戦(柳州から黎明突破まで)…昭和十九年十一月
桂林が柳州と同日攻略
非戦闘馬部隊等思恩で待機
黎明関進攻の戦い
黎明関の攻防戦
コレラ病の流行
最後の死闘戦
竹下大隊長の勇姿と策謀
反転の命令
第十六章 湘桂終期戦(黎明関反転と忻城警備地)…昭和十九年十二月
忻城警備地へ反転(大隊長日記)
本部炊事班の掌握と運行
忻城警備地の思い出
第十七章 南寧作戦と移動途次の終戦…昭和二十年五月
南寧作戦と作戦構想
作戦行動
ソ満国境へ第三師団の移動
本部小行李へ復帰
終戦の詔勅
第二大隊本部の戦病死者数
第十八章 本牛鎮警備地と丹陽収容所の生活…昭和二十年八月
奔牛鎮警備地と大隊慰霊祭
竹下大隊長との訣別
丹陽収容所の生活
武装解除と労役作業
合同演芸大会と中国要人の検閲式
第十九章 故国へ生還…昭和二十一年三月
丹陽収容所から帰還乗船
船中の舟酔
故国佐世保港への感激の上陸
感謝状と善行証書の授与
敗戦の故国を実感
第二大隊本部県別生還者数
戦友との訣別
畳の上で帰還の一夜
夢に見た故郷へ生還
家族との再会
お礼まいり
特記
歩兵第三十四聯隊第二大隊
湘桂作戦従軍将兵芳名(昭和二十一年一月)
歩兵第三十四聯隊
第二大隊本部戦友会員(昭和五十九年度会員)
おわりに