占領下日本の教訓
序章 私的原点としての戦後
「ミンシュシュギノコ」の占領体験
御真影とパンパン
第一章 アメリカの占領は何を企図していたか
復員兵が目のあたりにしたもの
宮武外骨の皮肉の書
餓死者、一千万人の予想
終戦のはるか前から占領政策プラン
直接統治か間接統治か
昭和天皇対マッカーサー、「戦い」の始まり
「あった」と気づかせないGHQの検閲
各紙が一斉に掲載した「太平洋戦争史」
ラジオ番組「真相はこうだ」の真相
「東京裁判」も視野に
檻に入れられていた日本国民
新しい権力の新たな「壁」
GHQの指令で揺れる内閣
第二章 臣民から市民への道筋
『国体の本義』が説く日本国とは
ターニングポイントとなった「人間宣言」
どれだけの人が「神」と思っていたのか
マッカーサーと天皇の「黙契」
「GS」と「G2」の対立
天皇の全国巡幸と日本国憲法
ぎこちない空気のなかで「あっそう」
巡幸の三つの特徴
臣民との別れの儀式だったのか
明治の六大巡幸を意識
近衛文麿と松本委員会の憲法草案
憲法をめぐる日本共産党の動き
「アカハタ」の記憶
「臣民」か「国民」か
毎日新聞のスクープ記事
第三章 軍事を支えた意識の崩壊
日本の植民地政策の「後進性」
元陸軍大臣下村定のラジオ放送
マッカーサーの三条件
GHQが憲法草案を手渡す
天皇はGHQ草案に賛成した
日本語訳で抵抗
「押しつけ憲法」では説明できない
憲法前文の顔
市民の目で読み解く
「あたらしい憲法のはなし」
教育改革の思惑
安倍能成の願い
四大教育指令
槇枝日教組委員長の証言
教育勅語の扱い
「六三制、野球ばかりがうまくなり」
「平和」と叫ぶ小学生
第四章 非軍事、経済復興の時間
学徒兵の遺稿
特攻隊員の妹と遺書
GHQの予想を超えた天皇人気
この時期に最も学んだ日本人は?
「戦争放棄」の背景
冷戦下での日本の「資産」評価
「逆コース」
分岐点は昭和二十四年一月
平和の可能性を日本に託せるのか
A級戦犯容疑者が釈放されたワケ
「ワンマン」吉田茂の体質
実娘、麻生和子の証言
橋頭堡としての経済立て直し
「竹馬経済」をドッジが叱る
他から与えられた権利の弱さ
第五章 「国際社会に復帰」という虚構
「再生日本」を目論む吉田茂
吉田茂のバックボーン
「ストライキ」と「ストライク」は違うの?
「あの家はアカだ」
朝鮮戦争への地ならし
巧妙にすすむレッドパージ
全学連の闘争
不透明事件の真実
松本清張の視点
再軍備を促すダレス
まず「警察予備隊」の発足
後藤田正晴の証言
二重構造の論理
「単独講和」を推す吉田
マッカーサーの離日に見送り20万人
消費社会の訪れ
講和・安保両条約に調印はしたのだが
終章 児孫に何をどう語り継ぐか
聞き書きの旅
A級戦犯・鈴木貞一の証言
私なりの答え
あとがき
占領期略年表
写真/朝日新聞社