あかい三角形
目次
表紙絵(大沢正夫先生)
題字(武藤海雲先生)
旧校舎時代〈昭和十九年四月から昭和二十年七月まで〉
御挨拶―上級生との対面式
我が母校を想う―入学式前後
風雪の学び―その一
水郡線通学の頃
武道の授業の思い出
寒稽古
薙刀の記録を拝見して
家政の時間―失敗したこと
汽車通学の思い出(茨城鉄道)
A先生のこと
B先生の授業―環太平洋造山帯の思い出
こっくりさん
勤労奉仕
古いノートから
農作業の思い出
日記から
水府農園の想い出
命がけの通学
通学の想い出
お辨当
戦争と私
ぜいたくは敵だ。欲しがりません、勝つまでは
小松寺と薪運び
図画、工作の時間の思い出
転校で得たもの
水泳訓練の思い出
汽車通学
艦砲射撃から分散授業まで〈昭和二十年七月から十月下旬まで〉
恐ろしかった艦砲射撃
水戸空襲のこと
校舎炎上
その時私は(一)
その時私は(二)
その時私は(三)
機銃掃射
戦災と長靴
古いノートから
本への哀惜
焼けだされた人々の行列
空襲
空襲
水戸空襲について
心に残る戦時中そして終戦の想い出
終戦の日のこと
古いノートから
疎開
疎開
そけえさま
都会からの新しい風―迎えた側から見た疎開
海を越えて
空襲前後の生活―思い出すままに
笠間分教場の想い出
長岡分教場の思い出
分散授業
岩間地区分教場の思い出その一
その二
勝倉地区の友
飯富村での通学区別授業
仮校舎の授業(旧四十二部隊兵舎跡)〈昭和二十年十月より昭和二十二年十一月まで〉
兵舎での授業
旧四十二部隊の校舎
赴任の想い出
水浜電車通学の思い出―その一
その二
その三
その四
戦後の水郡線通学のこと
湊線通学
水戸線通学―その一
その二
農繁期休業
終列車に乗りおくれて
水戸駅から四十二部隊道中記
友情の中で
日記より
占領軍
疎開生より
おべんとう
古いノートから
社会の勉強と私
茨鉄転覆事故
風雪の学び―その二
終戦後の食糧事情
討論会について
旧四十二部隊のあれこれ(1教えることの苦しみと難しさ)
日記より
古いノートから
水害のこと
台湾から引揚げて過ごした水戸
筑波山は依然として筑波である
大町へもどって〈昭和二十二年十一月から〉
教育課程激動のころ
新しいカリキュラムの思い出
水高入学のこと
合併
食物の時間のこと
美術時間の思い出
モデル婦人会―会議の進め方
マックタガート氏とデモンストレーションチーム
生徒会
混声合唱―ル・クール・オンディーヌ
日記より
焼跡の詩歌
作文「我が家」によせて
我が家
巣立ちの頃
修学旅行
旧四十二部隊のあれこれ(2)修学旅行の復活
もう一つの修学旅行
樹永
卒業式
高校三年生
夏休みの「絵日記」から
ラブレター
高三修学旅行
卒業
クラブ活動
映画クラブの想い出
思い出すままに
文芸クラブについて
合唱のおもいで
美術グループの活動
演劇の思い出
プレケケケックス・クオラックス
演劇部の想い出
思い出すこと
華をいける
遥かなるアルプスの少女
青少年赤十字誕生の頃
戦後の籠球部
テニスコートの青春
卓球クラブの思い出
先輩の記録より
バレー部のことあれこれ
バレー部
旧四十二部隊のあれこれ(3)運動部合宿の復活
バレー部合宿のことなど
――終戦前後
ダンスクラブ
ありありて いま
ありがとう
『あかい三角形』に憶う
あのころ
ストをやったらよかったのに
「ぼける」この頃
いたずら書きノートより
くりかえすまじき戦争
笠間の同窓会のあとで
忘れられない歌「海行かば」
敗戦記念日に想うこと
私の半生
三十年後に想う
思い出を振り返って
レクイエム
安東先生の横顔
ジャーナリスト先生を偲ぶ
故岩渕旭先生追悼の詞
小薗江賢先生
中山泰三先生
長島先生の御作品
永井先生を偲んで
永井先生御遺詠
吉田一徳先生
小野寺節子さんのこと
小室としさんを悼む
坂本恵子さんをしのんで
お姉さんのようなはなこちゃん
島田好子さんをしのんで
竹内櫻さんのこと
亡き中川昌子さん
田沢信子さんのこと
茨城文学と中庭ミネノさんの思い出
山崎胡蝶さんの思い出
下村千代子さんの思い出