人民服日記
一 大連~ハルピン~鶏西
大連を去る
オデッサ号
貨車は往く
東北に入る
鉱工処宿舎
長期留用宣告
郊外の宿舎
曹よさらば
地質家●城(トンチョン)
二 鶏西、かずかずの話
鶏西に着く
●城(トンチョン)と資料
呼子の笛
日本人たち
馴化の方式
李陵の心境
研究室成立
学習会始め
鶏西の立地
三 鶏西の地質調査など
滴道へ行く
調査に入る
九・一八の哀歌
調査の成果
孫然と語る
ドイツ技師
製鉄の意欲
冬入り余執
越年と迎年
麻山炭鉱へ
再見聶同志
四 天宝山から敦化を経て夾皮溝へ
延辺地区へ
雪峰に呼ぶ
敦化より山へ
馬橇の旅宿
原始樹林
旧正月の除夜
夾皮溝序説
いろんな人
孫鴻儒と語る
五 第一次夾皮溝滞在記
鉱脈調査始め
工人の発動
清算大会
二人の幹部
鉱山地質
革命の風土
流通の言葉
夾皮溝を出る
六 夾皮溝での地質教育記
再び天宝山
大地の住民
また夾皮溝
地質の教育
広まる舞台
沈陽へ出る
七 有色金属管理局の総工程師
清原の調査
反動党団登記
生活、給与
知之為知之
修建と技師
夾山銅山へ
遼東山地へ
実事求是
重点的工作
北京の教授
ソ連の専家
石咀子銅山
芙蓉鉱山へ
四九年回顧
八 五〇年、平和から戦争へ
平和ムード
二道洋岔発見
困った人
鉱山と工場
朝鮮戦争
五〇年は終る
九 五一年、急進する波の中で
環境の変化
性急な増産
地質論文執筆
反革命鎮圧
新記録運動
新しい建設
ソ連の探鉱家
孤独感の解消
北京、熱河
権威者と権威
楊家杖子鉱山
十 三反運動の見聞
糖衣の砲弾
李の道、張の道
大虎狩り
運動の展開
運動の収束
十一 終章
出水事故の前後
キャタストロフィ
エピローグ
あとがき
装丁(安彦勝博)