「証言録」海軍反省会
海軍反省会及び海軍反省会資料について(戸高一成)
海軍反省会記録第一回 開催の趣旨――反省会の意義・理由・運営方針
海軍反省会発会の趣旨――野元氏の提案
議事進行役は土肥氏に――出席者の依頼
野元論文「これからの日本を考える」――反省会発会の理由
反省会運営方針の検討――議題の選択と出席者の人選
反省会では意見の一致がなくてもいい
開戦の責任所在をめぐって――「大東亜戦争開戦経緯」の所感を中心に
各論か総論か――一年間の計画を決めるべきだ
海軍は何故負けたのか――開戦~終戦の経緯を辿る
軍人勅諭と明治憲法の関係
人事・教育の検討から始めよう
海軍反省会記録第二回 海軍の人事行政・教育問題
人事制度――検討項目の優先順位
能吏型軍人育成は人事配置の失敗を招いた
指揮官と幕僚の関係
能吏型指揮官と叩き上げ指揮官の参謀の使い方
海軍士官は勉強しない――兵学校の成績順で決まる配置
予備員制度・戦時定員――海軍人事制度の欠陥
飛行機搭乗員の養成制度
海軍の人事行政は戦時要因を考慮していなかった
頭角を現す人間は不要――海軍の人材育成の指針
永野修身大将をめぐる問題
規則に縛られた諸命令は人事を疎外する
海軍反省会記録第三回 艦隊決戦をめぐる問題
艦隊決戦作戦は有効か
水上部隊決戦至上主義
実戦では長官と参謀の組み合わせが成果に表れる
大砲も魚雷も欠陥兵器だった
クラスヘッドは優秀な人材か――ハンモックナンバーが人事配員の基礎
人事当局の配員は考課表重視――兵学校の成績は将来まで影響する
優秀な指揮官には私心がない――考課表には記載されない人の使い方
軍政官・指揮官の適性――考課表からは読み取れないもの
アメリカ流の実力主義の人事は日本人には馴染まない
精神主義では戦えない――個人の人生観・世界観を確立しない教育
海軍反省会記録第四回 機関科問題を徹底討論する
機関科問題とは何か――概要と経緯
一系問題――終戦直前まで解決せず
一系問題は長年の懸案――発端は日露戦争後から
昭和十七年に一系になった理由
機関科問題の解決を阻害したのは軍令承行令
機関科問題の根本原因――明治初期からの教育制度の不備
僕は騙されて機関学校に入った――久保田芳雄
切羽詰まらないと手を付けない海軍の悪弊
機関科問題解決に親子二代で取り組んだ西郷従道・従親
西郷従親クーデターを画策する
機関科問題は戦後も尾を引いた――防衛庁の人事行政
法科万能の思想では技術は進歩しない
機関科出身者は戦後産業復興の牽引役
機関科問題の検討から見えてくるもの
技術面から見た統制力の問題――品質管理・マネジメントの知識が欠如
機関科士官にも問題あり――特准・下士官の功績を認めない
昭和八年の軍令部条例改定――大東亜戦争の遠因・機関科問題も先延ばしに
理想は一系、現実との妥協がうまくいかなかった
明治初年機関学校独立・分離のいきさつ――独立・廃止を繰り返した機関学校
明治時代の機関科・兵科への振り分けは成績順だった
機関学校生は文官か武官か
海軍反省会記録第五回 陸海軍の体質・政治性の違いと開戦経緯をめぐる軍政官の責任
少数精鋭は便宜的な措置――人事局・軍務局の対立
開戦の抑止力にならなかった井上大将
教育訓練の欠陥――政治・防備を疎かにした海軍
人事教育問題から開戦是非論は導き出されるか
開戦前後の永野元帥の責任を考える
海軍大学は戦術・戦略中心の教育
戦時における軍事参議官の役割――岡田啓介の例
陸軍の下克上はいつから醸成された――海軍と陸軍の体質の違い
社会科学的な教育が欠如した日本の陸海軍
陸海軍の教育内容・性質の違い
反省会のテーマ、大項目の提出――議事進行・運営についての見直し
海軍反省会記録第六回 教育訓練について考える
野元提案の回答・意見を発表――終戦直前まで解決せず
戦略軽視・戦闘重視の海軍教育
精神教育の涵養
型にはめるのが海軍の本質――兵学校の教育だけではない
軍人勅諭と五省をめぐる是非
軍人勅諭の精神を拡大利用した陸軍――統帥権の独立
統帥権の明快な定義のない海軍
総理一任のいきさつ――総理を諫めるのも大臣の役目では
機関学校の教育――実践・技術理論には長けるが独創性では欠ける
教育綱領の狙いと乖離した海軍の教育内容
特色ある人間は不要――海軍諸教育機関に共通する方針
鈴木論文――兵学校の教育、少数精鋭主義、野元提案の所感など
戦争前の兵学校の教育
予備仕官教育の概略・成果
5計画、6計画から教育の重要性について再考する
海軍反省会記録第七回 教育訓練再考
反省会主要議題の見直し
教育訓練の欠陥――高級将校の再教育制度の不徹底・大学校の戦闘訓練偏重
海軍教育は点数主義・成績主義
人材育成の余裕がない人事行政
戦時教育体制の準備がない海軍の教育
艦隊教育の欠陥――戦技検定制度は戦時には役に立たない
少数精鋭・名人教育は戦争抑止軍備から生まれた
初級士官教育の不徹底――戦史教育の軽視
明治の士官進級試験は人員整理のために行われた
初級士官教育の欠陥――戦争哲学の不足・戦術教育偏向の戦史教育
初級士官教育はプラスかマイナスか
海軍反省会記録第八回 海軍の問題点を洗い出すには
あいさつ
潜水艦作戦の失敗は、教育訓練の失敗にある
潜水艦乗組員の経験から
再び野元案の見直し――各論から続行議題を選定しよう
総論を叩き台に修正・検討を
総論の前提から各研究項目の体系的な整理が必要
野元総論を叩き台にすることは議事を進める上でも有効
人事行政・軍令と軍政の人事配置の再検討を
野元構想検証の前段階――野元総論の検証から各論項目の系統立てが必要
小委員会の設置――一つの問題を数人で検討
野元総論の構想
野元総論骨子への反応
「高木海軍少将覚え書」に物申す
澤本手記の所感と満州事変
加藤寛治氏の評価をめぐって
海軍における皇族の扱い――伏見宮の扱いをめぐって
世論に疎かった海軍
海軍反省会記録第九回 小委員会研究項目の検討
研究項目の検討
国際問題の淵源をどこまでさかのぼるか
国策問題・国防方針問題は実務担当者が議事進行の指導を
海軍の作戦の検討には、組織制度の大局的な総括が必要
海軍制度・軍備の総括・軍縮・人事行政
座談会聴講者へ、参加者の紹介
澤本手記をめぐる所見1――海軍教育制度の欠陥を痛感
澤本手記をめぐる所見2――迷走する軍政軍令部
澤本手記をめぐる所見3――反省は必要、全責任は嶋田大臣にあり
澤本手記をめぐる所見4――陸軍参謀暴走を止められなかった海軍・陸軍
開戦の責任――陸・海軍は同罪
参謀本部の作戦課の動勢
開戦の主張には明確な理由がなかった
陸軍と右翼による内乱を避けるため海軍は開戦に応じた
外務相の情報を活用しない日本の陸海軍の責任――情報収集と政略
海軍反省会記録第十回 野元総論
反省会の経緯・目的――澤本手記と所見、「戦訓録」執筆の動機
保科氏の所感――「大東亜戦争秘史」執筆の動機
「戦訓録」について
参謀本部の現場では内乱の可能性ありと実感
満州事変から開戦までの十年間――海軍省、海軍大佐、軍令部の動向
開戦の是非――作戦計画の検討不足
永野元帥の無謀な行動を止められなかった参謀
開戦不可避――負けるつもりで開戦したのか?
陸・海軍で米・独情報の判断に違いがあった
三国同盟の空洞化、陸軍の中国大陸撤退を行えばアメリカとの戦争は回避できたか
戦争か内乱か陸軍に押されて無謀な賭けに出たのでは
永野参謀総長はアメリカの最新事情を把握していたか
負ける戦争にあえて飛び込む――海軍の存在自体への疑念
開戦の是非論の遠因は日露戦争後から
議論の根源――「軍人は政治に関わらず」という海軍の姿勢
各論から戦訓を導き出す
新たな展開へ――反省会の充実を
関連資料
資料1 大東亜戦争戦訓調査資料 一般所見
資料2 米内光政大臣の、奉答文草稿
資料3 太平洋戦争の反省録(野元為輝)
資料4 反省会研究項目および担当者
資料5 海軍反省会発言者