図書オカアサン サヨウナラ000051902

お母さん、さようなら

サブタイトル1~10
皇国第四六二二工場派遣勤労報国隊学徒の記録
編著者名
横須賀市立商業学校殉難勤労学生追悼集編集委員会 編集
出版者
[横須賀市立商業学校殉難勤労学生追悼集編集委員会]
出版年月
2005年(平成17年)4月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
215p,図版22p
ISBN
NDC(分類)
916
請求記号
916/Y77
保管場所
閉架一般
内容注記
非売品 参考にした資料:p215
和書
目次

はしがき
 
学徒勤労動員中殉難された横須賀市立商業学校生徒氏名
 
追悼のことば
 
第一章 勤労動員に至るまでの世情
小学校一年生の頃 一九三六年(昭和十一年)
小学校二年生の頃 一九三七年(昭和十二年)
小学校三年生の頃 一九三八年(昭和十三年)
小学校四年生の頃 一九三九年(昭和十四年)
小学校五年生の頃 一九四〇年(昭和十五年)
小学校六年生の頃 一九四一年(昭和十六年)
横須賀商業学校一年生の頃 一九四二年(昭和十七年)
横須賀商業学校二年生の頃 一九四三年(昭和十八年)
横須賀商業学校三年生の頃 一九四四年(昭和十九年)
 
第二章 勤労動員令下る
川崎市四谷下町、株式会社東京鍛工所川崎製造所へ
当時の見取図と現況
 
第三章 勤労動員中の勤労作業について
鍛型機械工場における勤労作業
資材倉庫における勤労作業
運輸課における勤労作業
防衛課における勤労作業
勤労課における勤労作業
研究所における勤労作業
検査課における勤労作業
 
第四章 昭和二十年四月四日 悲劇が突然やって来た
親友の死を隣にして(桑名勇)
お母さん さようなら(沼田博)
焼けたアスファルトの道を素足で夢中で駆けた(青木茂)
花も咲かずに散った友(富永冨士應)
通信簿の空白が悲劇の期間を物語る(平川博之)
生き埋めになった材木の隙間からちらりと星空を見た(金子宏三)
終戦記念日を今年も迎えた(名取宏雄)
十二名の御霊よ安らかなれ(栄田文雄)
十七歳の忘れられぬ悲痛な体験(石渡正夫)
耳元をかすめてゆく機銃弾の音に思わず「お母さん助けて」と叫んだ(平戸浩)
煤で真黒な顔をして裸足で帰った私を見て、母はものも言わずわっと泣き出した(長沢喜明)
亡き友を偲んで(島崎勉)
うしろめたい話(興津武)
辻堂での辛い日課(金子功)
追悼記(小林進)
学徒動員辻堂組の日記(大岡哲夫)
左側に横たわっている友人が「ママ、ママ」と呟いて斃れた(今村安明)
被爆重傷を乗り越えて(石井敏夫)
ああ恐ろしい地獄とはこのことか(松尾正巳)
 
第五章 学生寮被爆状況と川崎臨港消防署の報告
昭和二十年三月五日空襲の状況
昭和二十年四月二日空襲の状況
昭和二十年四月三日の状況
昭和二十年四月四日の空襲の状況
昭和二十年四月四日の東部軍管区情報
昭和二十年四月四日川崎空襲時の通信機関及び電灯故障の状況
昭和二十年四月四日、川崎に敵機来襲及投弾の状況
川崎臨港消防署による昭和二十年四月四日、東京鍛工所研究所及び寮被爆時の防空消防活動状況に関する報告書について
官設消防本部空襲下消防活動上危険逼迫並に顕著なる功績調査に関する報告書
消防詳報
 
第六章 遺族の悲しい想い出話
「ひ弱な子が頑張っていた姿が今でも眼に浮かびます」(亡秋元由栄君母・秋元好江さん(82才))
「母の手の中の炭団は涙で水も布海苔もいりませんでした」(亡池上習之君の姉妹・長女・池上幸子さん/二女・増山登美子さん/三女・鈴木京子さん/四女・下星康子さん/五女・酒井忍さん)
 
第七章 住友特殊製鋼株式会社の学徒動員の記録
一部の生徒は辻堂の住友特殊製鋼株式会社(現在の関東特殊製鋼株式会社)へ勤労動員さる
辻堂動員組の勤労作業について
辻堂勤労動員組は自宅より通勤、且工場空襲の時間帯が幸いして、犠牲をまぬがれる
 
第八章 川崎の東京鍛工所より横須賀の田浦造兵部へ
 
第九章 終戦から復学まで
広島に原爆投下される
終戦
復学
 
あとがき