國史の研究 各説上
第一章 神代
神代は國史として取扱はるべきか
史前時代と有史時代
神話と傳説
神代研究の困難
徳川時代の神代研究
新井白石の古史通
本居宜長の古事記傳
平田篤胤の古史徴
外國人の神代研究
我が學者の神代研究
重野博士の國史綜覽藁
久米博士の古代史
津田博士の新研究
神代の言語學的研究
神代の神話學的研究
肇國に關する問題
国史の曙光
大八洲生成神話に對する考察
大八洲神話の理想化
天照太神が皇祖と仰がれ給ふ所以
史話と神話とを分界するは困難
神代の御陵
天孫降臨逸話
高千穂峯に關する兩説
武甕槌神と經津主神
猿田彦命
天鈿女命
饒速日命大和降臨傳説
高天原に關する考察
中國の鐵山と武器
日本と朝鮮との交通
宗像三神
沖島の地位
海北道中
山幸海幸説話
豐玉姫物語
隼人の犬吠
産屋傳説
記紀の神代卷と太古の信仰風俗習慣
第二章 氏姓時代
古代又は上代
封建時代
皇室を中心とせる氏姓制度の時代
大和開都時代
神武天皇の東征説と東遷説
本居宣長の東征説反對論
皇都恢復説
東征東遷否定説
神武天皇紀の記事と大和風土記
八十梟帥時代
皇化發展時代
神鏡神劔を笠縫邑に祭る
祭政一致
天社國社と神地神戸
皇化發展の徑路
四道將軍の派遣
弓弭の調と手末の調
伊勢皇太神宮の鎭座
魏志倭人傳の卑彌呼及び邪馬臺國
邪馬臺國の九州説と大和説
魏志倭人傳の研究
殉死の禁
埴輪
日本式殉死
熊襲征伐
日本武尊
蝦夷征伐
日高見國
野燒物語
橘姫入海物語と吾妻傳説
日本武尊東征の地理的考證
日本武尊東征の奧地
日本武尊の御墓説話と御病名
東山道筋の蝦夷綏撫
後世常陸上野下野は大守の任國となる
國造と稻置
韓土服屬時代
氏姓時代に於ける日韓の關係
任那の國號
我が國と三韓國時代の朝鮮
大伽羅國
三國時代
敦賀津の位置
神功皇后の新羅克服
好太王の碑
日韓關係の研究と日本書紀の紀年
史學雜誌の日韓關係論文
任那日本府
儺津と難波津
百濟の服屬
我が國と高麗との關係
日韓關係と筑紫
歸化人の優遇
支那文學の輸入
王仁の一族
難波津の歌
高きやにの歌
大鷦鷯尊と菟治雅郎子皇子
大和朝廷の隆盛時代
歴代の御陵
世界第一の廣大なる山陵
前方後圓型古墳
圓墳型古墳
方墳
上圓下方墳
前方後方型古墳
古墳墓の副葬品
墓制に對する道教の影響
墓制に對する佛教の影響
御歴代陵墓名稱所在表其一
斎藏内藏及び大藏
大臣と大連
次第に閥族の跋扈を生ず
我が國と朝鮮三國との關係
百濟文化の輸入
南朝鮮の風雲漸く急なり
金海と咸安
鎭海灣と洛東江
日本支那の直接交通
武烈天皇についての誤つた傳へ
臣連擅權時代
繼體天皇の迎立
大伴金村の韓土に對する失政
物部氏の擡頭
大伴金村の失脚
任那日本府亡ぶ
佛教の渡來
佛教渡來年代の異説
佛を禮拜すべきや否やの議論
佛像を蘇我稻目に賜ふ
佛教渡來以前の道教的信仰と陰陽五行説
崇佛排佛の爭
佛教が我が文化に加へた影響
蘇我物部二氏の軋轢
大伴氏衰へ物部蘇我二氏の對立
物部氏亡ぶ
馬子の大逆
法興肇憲時代
推古天皇の即位
女性天皇の初例
厩戸皇子を皇太子とし政を攝せしめらる
聖徳太子御事業の概要
聖徳太子の薨去
高麗僧慧慈の殉死的入寂
天壽國曼荼羅繍帳
太子薨後に於ける蘇我氏の暴慢
蘇我氏の專權極まる
中大兄皇子蘇我氏を滅したまふ
國體觀念の発露
第三章 公家時代の一
大化改新と明治維新
公家時代と武家時代との分界
氏姓時代と公家時代との分界
公家時代の稱呼
公家といふ名稱
法興肇憲時代
改新修制時代
奈良朝時代
平安奠都時代
攝關新置時代
攝關中停時代
攝關榮華時代
上皇實權時代
保元平治時代
公家時代の根本史料及び參考書
編纂著述
記録類
日記
塙史料
大日本史料
軍記類
佛教史料
法制史料
有識史料
詩文集
和歌集
萬葉集の注釋書及び校訂本
大社舊寺の神佛像繪畫類及び古文書記録類
法興肇憲時代
大化改新は聖徳太子の事業の繼承
偉大なる聖徳大子
大日本の建設の御理想
我が國文化の父母
太子と慧慈法師
太子の佛教
太子と國民道徳
太子と神祇祭祀
太子の對外政策
朝鮮征討の中止
太子の對外政策
太子以前の通譯外交
冠位の制定
憲法十七條の肇作
憲法十七條の大精神
隋との國交
留學生派遣
法興の建元
國史の編纂
神武天皇以來の年紀
太子の積極的態度
太子建立の寺塔
法隆寺の佛教藝術
法隆寺の再建非再建論
太子の社會事業
太子の御傳
中大兄皇子
改新修制時代
大化改新と明治維新
大化改新
社會的に大なる變動なし
改新に對する貴族階級の不安
皇極天皇の重祚
天皇重祚の初例
朝鮮の形勢
百濟滅ぶ
我が援軍白村江に敗る
朝鮮全く我が國に離る
中大兄皇子の英斷
北路と南路
國防を嚴にす
唐使劉徳高來る
遣隋使
國書の交換なし
支那に對する国民の意氣
日支通交關係の參考書
遣隋使并遣唐使表
蝦夷の問題
阿倍比羅夫の蝦夷追討
蝦夷の懷柔
改新と反動
近江令
鎌足に藤原の姓を賜ふ
大友皇子の即位非即位説
中天皇
倭姫稱制の私案
天武天皇の御事業
八姓の制
風俗禮儀の制
伊勢神宮造替及び大嘗會の初め
在家佛教の初め
教化僧
古傳保存と國史の編纂
神祇官の設置
持統天皇の稱制
藤原京遷都
大寶律令の頒布
養老の修正
令外官
格
類聚三代格
式
延喜式
交替式
中央政府と地方官
四度の使
位勳の制
中央官制の概略
神祇官
太政官及び八省
彈正臺
太政大臣
則闕の官
一の上
喉舌の官
上卿
地方官制の概略
官職の稱呼
田制
斑田收授の法
和庸調
令制必ずしも唐の模倣にあらず
奈良朝時代
平城京の奠都
御一代ごとの遷都に關する諸説
歴朝遷都について社會的觀察
大津宮
平城京遷都の理由
風水思想と都城制の完成
平城京の研究
歴代皇都名稱所在表
錢貨の鑄造
和同開珎
畜錢敍位法
私鑄錢を禁ず
皇朝十二錢
風土記の撰進
國郡郷名に好字をつく
國史の修撰
奈良朝時代の文化
我が國人の好尚と唐代藝術
奈良朝時代の佛教
奈良朝時代の諸宗は教團でない
東大寺の戒壇
雨儀と晴儀
南都七大寺
國分寺國分尼寺の創建
大佛殿の建立と國家佛教の完成
金光明四天王護國之寺
正倉院の勅封
寫經事業
外國僧の渡來
藤原不比等
人臣の立后入内
藤原氏の四家
橘氏の起り
聖武天皇の初政
渤海國の使聘
吉備眞備
僧玄●
藤原廣嗣の亂
四字の年號
孝謙天皇即位の年月
藤原仲麿の權勢
橘奈良麻呂等の變
淳仁天皇
恵美押勝
太政官以下官名の唐制模倣
多賀城碑
僧道鏡の進出
稱徳天皇
佛教國家の出現
路眞人と和氣清麿
光仁天皇の御治政
武藏國を東海道に編入す
兵農二分の端を開く
奈良朝時代の文學
第四章 公家時代の二
平安奠都時代
桓武天皇と藤原百川
長岡京遷都
皇都として平城京の闕點
遷都の獻策者藤原種繼
平安京の撰定
奠都と風水思想
蝦夷征伐
坂上田村麻呂の凱旋
膽澤志波の二城を築く
文室綿麻呂
東國に於ける武力の發達
蝦夷懷柔について歴朝の苦心
佛教の新宗派
都市佛教
佛教の新宗出現の必要
最澄と空海
神祇崇拜と佛教信仰との調和
最澄の天台宗傳來
最澄比叡山を開く
山嶽佛教の創始
山家式
最澄の大乘戒壇設立奏請
三戒壇
空海が眞言宗に入りし徑路
空海の入唐
密宗と道教
最澄と空海との關係
空海高野山を開く
宮中に眞言院を置く
空海の教化力
書道に於ける空海の功績
入木道の祖
弘法大師の眞蹟
三十帖榮子
空海と橘逸勢
三筆
空海筆と傳へられる筆蹟
皇位繼承の問題と藤原氏
藤原種繼
種繼の横死
大伴佐伯二氏政權を離る
平城天皇
藤原氏北家の擡頭
嵯峨天皇
仲成藥子の變
高岳親王の御出家及び入唐渡天
賀茂齋院の起り
藏人所の設置
藏人所の職制
最初の藏人頭
綸旨は藏人の奉書
嵯峨淳和二天皇の御間柄
檢非違使廳の設置
檢非違使廳の職制
皇族の賜姓
氏姓に對する思想の變遷
源平藤橘の四姓
新撰姓氏録の撰録
多数の氏姓少數の氏姓に合流す
苗字の起り
皇子賜姓と皇室經濟
御陵墓制の第二期
延喜式に淳和天皇の御陵を載せず
御歴代陵墓表の二
平安奠都時代以前の文學
平安朝前期の文學
勸學院弘文院學館院及び奬學院
いろは歌の製作年代
攝關新置時代
仁明天皇御即位一天皇二上皇あり
皇位繼承上の一疑獄
攝關政治はただ形式的の発表を待つ
文徳天皇
藤原氏と眞言宗
人臣相國の初例
清和天皇
人臣攝政の初例
應天門の變
藤原氏機會あるごとに他族を排斥す
陽成天皇
藤原基經の攝政
出羽蝦夷の叛亂
光孝天皇
關白の初例
大閤
禪閤
藤原氏北家獨り榮ゆ
天台眞言二宗の発展
天大座主
大乘戒壇設立の勅許
慈覺大師圓仁
智證大師圓珍
山門と寺門
東密と台密
空海門下の英材
東宮爭ひ
眞雅と藤原良房
源仁
益信と聖寶
野澤十二流
南都六宗衰ふ
本地垂迹説の實現に至る徑路
神佛の相互關係
平安朝前期の藝術
攝關中停時代
宇多天皇
賀茂臨時祭の初
光孝天皇と基經
宇多天皇の英明
橘廣相の任用
阿衡一件
基經薨去の後關白を置かず
菅原道眞の登庸
醍醐天皇
寛平御遺誡
遣唐使の廢止
藤原常嗣と小野篁
勘發遣唐使
菅原道眞上表して遣唐使を止む
支那商船の來往
渤海との通交
延喜の御代
聖代の一不祥事
菅原道眞貶謫せらる
道眞神として祭らる
北野天滿宮
班田收授制の復活と荘園の整理
班田收授制の實行難
墾田三世一身法
土地の永久私有
荘園の起原
不輸租の荘園
荘園整理の先驅
國史編纂の最後
新國史
萬葉調の和歌廢る
六歌仙
勅撰和歌集の初
勅撰和歌集一覽
三代集
八代集
十代集
十三代集
二十一代集
勅撰和歌の索引
作者部類
假名文體の國文
當時の文學者
延喜格式
公家時代の衰微期に入らんとする分水嶺
三善清行の意見封事
朱雀天皇即位藤原忠平攝政
群盗京畿に出沒す
承平天慶の亂
將門の叛亂の概説
藤原純友また叛す
將門純友の亂平ぐ
村上天皇
天暦の治
率分堂の庭に草を生ず
禁中歌合の始まり
和歌所
梨壺五人
第五章 公家時代の三
攝關榮華時代
藤原氏の榮華一百年
隋唐文化の爛熟時代
源高明
西宮記
藤原氏と源氏
清和源氏の系統についての異説
陽成源氏説
名族の地方に於ける勢力
攝津源氏と河内源氏
安和の變
源高明太宰權帥に貶せらる
院號の初
支那風の諡號廢す
官宣旨と御教書
消息宣下
攝政家又は關白家の政所政治
政所政治は公私混淆政治
官職の世襲化
家格の一定
公事の先例を重んず
日記の流行
部類記
年中行事
家傳祕説
有職故實
國司の遙任盛に行はる
留守所
成功
地方制の荘園化
領國知行制
年官年爵制
准三宮
領國知行制
檢非違使に地方武士を用ふ
地方武士の進出
地方に於ける檢非違使押領使及び總追補使
藤原氏の内訌
殿下の渡領
皇室と藤原氏との關係系圖
圓融天皇
兼通兼家兄弟の爭
頼忠兼家の女の入内
花山天皇
花山天皇の遜位
兼家の専權と豪華
道隆の攝關
宮中の淫蕩
道隆道兼兄弟の不和
七日關白
道長伊周の不和
伊周隆家の貶謫
道長の全盛時代となる
三條天皇
道長攝政を子頼通に護る
廢太子一件
望月の歌
道長の豪華
御堂關白記
後朱雀天皇の御英明
支那との關係
朝鮮との關係
刀伊の賊
武士の勃興と寺院勢力の發展
源氏と諸國の武士
武士道
地方政治の紊亂
尾張國郡司百姓等國守を彈劾す
社寺の莊園及び國衞領の武士
平忠常の亂
忠常頼信に降る
坂東八平氏
前九年の役
安倍頼時の反復
頼義清原武則の來援により安倍氏を滅す
武士の勃興と地理的環境
東國の馬と西國の船
源平二氏の勢力東西に相對す
攝關榮華時代の國文
漢文體國文と假名文體國文
攝關政治と婦人
源氏物語と枕の草紙
閨秀歌人
男子の婦人化
小野道風
上代樣
菅原道眞及び紀貫之の書
高野切
小野道風の眞蹟
三蹟
世尊寺流
上皇實權時代以後の上代樣
攝關榮華時代の繪畫彫刻及び建築
宇治平等院と陸奧中尊寺
上皇實權時代
政權の推移
藤原氏立后外戚政策の頓挫
後冷泉天皇
尊仁親王の立太子に頼通の望絶ゆ
後三條天皇
新立莊園の停止
記録莊園券契所の設置
關白の實權を收めらる
莊園の整理
藤原能信の補導
人物の登庸
前の三房
後三房
宣旨斗
後三條天皇の御讓位
院政の始
白河天皇
院廳の開始
治天の君
院應下文と院宣
北面の武士
院政の弊
仙洞御所一覽表
白河上皇の院政
六勝寺
成功
南都北嶺の横暴
惡僧の起り
惡僧
延暦寺園城寺の爭と惡僧
山法師と奈良法師
放氏
多武峯と清水寺
武士をして惡僧の嗷訴を防がしむ
後三年の役
朝廷私闘なりとして追討官符を下さず
東國武士と源氏との關係いよいよ親密となる
奧州藤原氏の富強と中尊寺
金色堂の覆堂
義家義綱の爭
桓武平氏の沈淪
平正盛父子の擡頭
義親の亂暴
平家の勢力西國に進展した
源平二氏の對照
皇室と藤原氏との關係
藤原忠實の攝關
鳥羽天皇
白河法皇と忠實
忠實忠通父子の不和
崇徳天皇
上皇の立后
崇徳天皇と鳥羽上皇及關白忠通
忠通頼長兄弟の不和
頼長の性格
台記
美福門院得子
近衞天皇
頼長氏長者となる
保元平治時代
保元の亂と應仁の亂
保元合戰は武家時代に入る曉鐘
保元合戰と源平二氏
院政と皇位繼承
藤原氏の父子兄弟關係
藤原氏の院政化
後白河天皇
頼長崇徳上皇と結ぶ
大家族制の分裂崩壞
家に對する思想の變化
北面の武士平清盛等起請祭文を上る
崇徳上皇武士を募りたまふ
崇徳上皇の軍敗る
嵯峨天皇以後例なき死罪
少納言信西の活動
二條天皇
後白河上皇の院政
藤原頼朝と信西との軋轢
清盛の昇進
義朝の不平
信頼義朝の結托
平治合戰
義朝の最後
第六章 古武家時代の一
古武家時代の出現
古武家時代の中心は鎌倉時代
復古的思想と律令制度
律令制度の崩壞
武士階級の擡頭
萬葉集研究の復興
布教的佛教の勃興
武士道
國民思想の旺盛
古武家時代の區分
鎌倉時代の小分け
古武家時代の研究資料
古武家時代の古文書
保元平治時代
後白河上皇と二條天皇
清盛の活動
三十三間堂の造營
藤原氏の無力
地方豪族の主從關係
六波羅時代
平氏の武家政治
平家全盛時代
諸源勃興時代
第七章 古武家時代の二
鎌倉時代上
平家は餘りに不用意なりき
平治合戰後二十年
鎌倉時代始まる
鎌倉幕府の特色
武士道精華の時代
義經時宗及び正成
諸源勃興時代
源氏將軍時代
第八章 古武家時代の三
鎌倉時代下
藤氏將軍時代
宮將軍時代
正中元弘時代
鎌倉時代の社會的及經濟的事象
鎌倉の發達
交通制度
宿制
爲替
鎌倉以外の都市
九州の政治的中心博多
城下町の搖籃期
交通商業の都市の發展
港灣都市の發展
貨幣の流通状態
宋錢の渡來
一般的經濟生活の向上
公家時代に於ける土地の收益と生活
請所制度
商業の發展及び市場の發達
座の研究
座の語原
座の起原
座の發生及びその本質
鎌倉時代の市と座人との活動
鎌倉時代の文化
鎌倉時代の書風
宸翰樣
青蓮院流
圖版目次
高句麗廣開土王(好太王)碑
聖徳太子御畫像(御物)
聖徳太子御筆法華經義疏(御物)
法隆寺金堂壁畫
京阪附近 皇都沿革地圖
木像藥師如來(大和・唐招提寺金堂安置)
木像藥師如來(大和・室生寺金堂安置)
觀世音菩薩受記經(東京・根津嘉一郎氏所藏)
聖武天皇宸筆雜集(正倉院御物)
光明皇后御筆樂毅論(正倉院御物)
桂本萬葉集(御物)
平安京大内裏圖(東京・九條公爵家所藏)
僧最澄書状(横濱・原富太郎氏所藏)
僧空海書状(京都・教王護國寺所藏)
御堂關白日記(東京・近衞公爵家所藏)
枕草紙繪巻(東京・淺野侯爵家所藏)
小野道風筆智證大師諡號勅書(北白川宮御所藏)
藤原佐理筆詩懷紙(讃岐・松平伯爵家所藏)
一條行成筆白氏文集奧書(高松宮御所藏)
西行法師消息(高野山・金剛峯寺所藏)
京都醍醐寺五重塔柱繪
阿彌陀如來二十五菩薩來迎圖(高野山・巡寺八幡講所藏)
僧藏俊及藤原頼長因明論疏奧書(久原文庫所藏)
平家奉納法華經(安藝・嚴島神社所藏)
過去現在因果經(京都・醍醐寺報恩院所藏)
信貴山縁起(大和・朝護孫子寺所藏)
平治物語繪巻(ボストン博物館所藏)
檀の浦海戰圖
壇の浦潮流速度圖
源頼朝畫像(京都・神護寺所藏)
源義經書状(高野山・金剛峯寺所藏)
後鳥羽天皇宸影(横濱・原富太郎氏所藏)
僧榮西筆觀普賢經(筑前・大泉坊所藏)
僧道元筆普勸坐禪儀(越前・永平寺所藏)
僧親鸞畫像(京都・西本願寺所藏)
僧日蓮畫像(伊豆・妙法華寺所藏)
蒙古襲來繪巻(御物)
北條時宗書状(鎌倉・圓覺寺所藏)
北條實政奉納釋迦如來銅像光背銘 本拓(下總・觀福寺所藏)