昭和ひとけた時代
第一章 なにはともあれ新時代が幕をあけた 昭和元年(一九二六)
新元号は印象が明るく新鮮な響きをもって迎えられた
新帝の肖像写真は新時代にふさわしい近代的な風貌だった
第二章 芥川龍之介「ぼんやりとした不安」に死す 昭和二年(一九二七)
昭和新政の第一ページは泥沼の政争劇だった
片岡蔵相発言はずいぶん高くついた失言として歴史に残る
昭和に入って半年もたたぬうちに極東の空に一抹の暗雲が出現した
芥川の不安はこれから始まる時代への恐れともとられた
大衆社会の成立するところ必ず大衆文化が興る
モボ・モガが不思議なファッションで大都会をしゃしゃり歩く
第三章 トッコウの名は人びとの畏怖の的となっていた 昭和三年(一九二八)
初の普選は憲政史上の快挙とはとても喜べない選挙戦だった
三月十五日の早朝、共産党員とその支持者ら千六百人を逮捕した
奉天まであと一キロの地点で張作霖の運命がつきる
治安維持法改正とならぶ柱が特高警察の拡充だった
断髪に膝丈スカートのモガとデパートが世相をリードする
第四章 経済再建のために金解禁は避けられない 昭和四年(一九二九)
山本宣治の殺害はテロの季節の幕あきをつげる事件だった
田中義一首相に引導をわたしたのは昭和天皇だった
議会政治はまだ日本にしっかりとは根付いていない
ウォール街の大暴落が大恐慌のゴングとは日本ではまだ気づかない
エノケンは昭和が生んだ最も有名な才能あるボードビリアンだ
横光利一をかきたてたのは“自分の住む惨めな東洋”への同情だった
第五章 統帥権干犯は不敬罪です 昭和五年(一九三〇)
昭和恐慌と名づけられる深刻な事態に落ち込んでいった
ロンドン会議は財政政策より重大だと意識されていた
形式的には決着したが後味わるく残した弊害もきわだっている
浜口首相は「男子の本懐である、時間は何時だ」と語った
昭和ひとけたは民間右翼の活動がもっとも盛んになった時期である
ルンペンや銀ブラ、エロ・グロ・ナンセンスが流行語だった
谷崎は佐藤春夫への妻の譲渡を決心し知人あて声明書発送となった
第六章 満蒙は日本の生命線のスローガン 昭和六年(一九三一)
雨さえ降らねば一日に百万人の子供が紙芝居を見る盛況ぶりだった
苦痛をおしころしライオン宰相は衆院本会議であいさつを述べた
三月事件は血なまぐさい陰謀を日常感覚化させる効果があった
石原中佐が関東軍参謀の地位を利用して満州事変の口火を切る
十月事件は錦旗革命本部と大書した旗を押し立てることになっていた
人びとが文化的な生活に憧れる風潮は着実に勢いを増してきている
古賀メロディー「酒は涙か溜息か」が爆発的にヒットした
第七章 問答無用。撃て、撃てっ! 昭和七年(一九三二)
日中両国人の反目はだんだん発火点に近づいた
大相撲春場所を前に力士の一団が春秋園に立てこもりストに入った
上海事変がうんだ肉弾三勇士と空閑少佐自決の物語
まっとうな政治家が目の仇にされて狂気の銃弾に斃れた
民衆が望んだのは政治苦境の脱出策としての満州国だった
人間としての哀しみと喜びも人びとの心に生きつづけている
対外方針の転換はもう考えられない地点まで来てしまっている
第八章 四二対一、松岡洋右退場す 昭和八年(一九三三)
日本政府は脱退を正式決定し国際連盟に通告した
ヒンデンブルグ大統領はナチス党首ヒトラーを首相に任命した
ベルリンにつづいて東京でも思想の自由が奪われようとしている
少女たちは宝塚と松竹の少女歌劇団に熱中する
三陸大津波の一方で丹那トンネル全長七八〇四メートルが開通した
転向というのが一時代の歴史的意味をもつ用語となっている
軍の威信か警察の執行権か。新聞はゴーストップ事件と呼んだ
桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」や神兵隊事件が世間を騒がせた
いたるところ原っぱや路地の奥まで東京音頭が音量いっぱい流れる
第九章 挙国一致内閣もゆきなやんで 昭和九年(一九三四)
明鏡止水の心境において善処しますと答弁し鳩山一郎は辞意を表明した
忠犬ハチ公の話は人びとを感動させ、まだ生きている彼が銅像となった
中核をなすのは新官僚とよばれた気鋭の若手たちである
吉川英治はじめ大仏次郎、子母沢寛ら大衆文学の黄金時代といえた
東北地方は凶作。九月には史上最大級の室戸台風がおそった
パパママとは何事じゃ、お父さんお母さんでなければ孝道がすたる
第十章 天皇と巡査も同じというのはけしからん 昭和十年(一九三五)
一連の質疑で美濃部達吉は“学匪”とまできめつけられた
国体の本義を明徴にし人心を一にするのは刻下の最大の要務なり
なかには天皇を機関車扱いするとは何事だと憤慨する人もいたという
陸軍内の対立抗争はぬきさしならぬ局面に追いつめられて行く
文学がめざましい隆盛をみせ第一回の芥川賞と直木賞が選ばれた
ハリウッド映画にジャズ音楽やダンスが流行し歌謡曲も盛況だ
一九三〇年代の様相は内外ともに危機の崖っぷちにいる
エピローグ それはどんな時代だったのか
『あとがき』にかえて
写真提供(雑誌「丸」編集部)