戦後50年と私
敗戦から五十年経った(吉本隆明)
戦後民主主義の愚劣(石堂淑朗)
行きつくとろこは全滅亡(埴谷雄高)
奇妙な感覚―中国の二つの共和国と私(藤井省三)
金持になった日本人の下品さ、下等さ(淀川長治)
偽善と自己欺瞞バンザイの半世紀(佐伯彰一)
日本はとっくの昔に滅びている(いいだもも)
日本沈没を期待する(水田洋)
生きて再び空襲に(徳岡孝夫)
修正闇市主義を呪う五十年(藤本義一)
書くべきは断固として書く姿勢を貫きたい(内藤國夫)
いまなお全体主義国家と通底している日本(渡辺一民)
戦後大きく変わった日本人の顔(山内昌之)
自立心のない男と、美しくない女(近藤富枝)
私的言語経験としての戦後五十年(高橋英夫)
原点も輪郭もなく、続いている(三善晃)
日本もアメリカも余裕がなくなった(山際淳司)
薄情で無礼な日本人ばかりになった(加藤郁乎)
東北の農山村から見た戦後五十年(佐々木力)
戦後がだんだん近くなる(橋爪大三郎)
「マルス感覚」の重要さ(中井久夫)
「チャタレイ裁判」を傍聴した昭和二十年代(西村孝次)
カラス(中西進)
食いものの恨み(高田宏)
詩との出会いまで(飯島耕一)
時代の変化と自分自身の老い(谷川俊太郎)
九〇年代の不況は五〇年代を想起させる(林静一)
ぼくには時代とか歴史がわからない(田中小実昌)
あるこだわり―私にとってのこの五十年(中村雄二郎)
事実は伝わらない―これがぼくの悔恨、恥、怒りでもある(工藤幸雄)
五十年たってもオキュパイドされたままの「平和」(鶴岡真弓)
ひたすら自分のことにかまけて生きてきた五十年(木田元)
「自然法の機能」を信じる(佐高信)
道義が地に落ちた国、日本(西澤潤一)
アメリカから今度は中国に目を向ける日本人(猿谷要)
「情」の世界へと誘った戦後の混乱と男女共学(亀井俊介)
戦後五十年を生きて―その原点・大学紛争、そしてアフリカ(土屋哲)
私の戦後五十年は、三代の助六(渡辺保)
昭和天皇崩御で終った戦後(半藤一利)
結局は、人間ひとりひとりの問題(吉田暁子)
ここまで頽廃した「戦後民主主義」(大月隆寛)
無為の青春をとりもどすための五十年(西丸震哉)
世界中の核兵器を前面撤廃すべし(細江英公)
アメリカの狙いどおり日本は一億総白痴化した(荻原葉子)
僕のイメージする「戦後」の映像(泉麻人)
編者から、ひと言