図説岐阜の歴史
はじめに
原始・古代(縄文・弥生・古墳・奈良・平安時代)
はるか昔
縄文時代の炉端遺跡
弥生時代と稲の栽培
岐阜市の銅鐸
氏神と稲作
豪族と村々
古墳とはなにか
琴塚古墳
長良龍門寺古墳をほる
ヒナモリの地
並び立つ豪族
居倉と岩田
伊奈葉神社の神威
大化の改新
戸籍と条理制
東山道
席田郡の建置
昔の神社
寺と仏像
寺の礎石と瓦
韓明神と席田郡定額尼寺
栄叡と護命
小川の市
席田郡の妖巫と藤原高房
悠紀と席田郡
糸貫川と鶴
国衙領と荘園
陶器の生産
延算寺と薬師如来
真長寺の釈迦如来坐像
地主と武士
中世(鎌倉・室町・戦国・織豊時代)
源頼政の挙兵
守護・地頭の設置
木曽川の布陣
鎌倉期の土豪
健武中興
南北朝と土岐氏
西池田家と革手城
斉藤妙椿
瑞龍寺の建立
東陽英朝
船田合戦
戦国の末路
下剋上の斉藤道三
道三の美濃制覇
義龍の政治
斎藤三代
信長の岐阜在城
岐阜の名称
岐阜城
岐阜城下町
浄泉坊の楽市場
明智光秀
松野平介
岐阜城主の推移
岐阜城の攻防
近世(江戸時代)
江戸時代の初め
黒野城主加藤貞泰
大久保石見守長安
奥平信昌と亀姫
幕府直領の代官
加納藩主
尾張藩主
大垣藩主
高富藩主
旗本坪内氏
本巣・方県・各務郡の旗本
家臣と知行高
扶持・給金の給与
庄屋の立場
庄屋の執務
村方五人組
幕府の陸上交通政策
中山道
鵜沼宿
河度宿
美江寺宿
岐阜町
加納町
近世の農業
各務野の開拓
尊王論
美濃派の俳諧
庶民と学問
江戸時代の寺僧
織物の発展
人形浄瑠璃と田楽祭り
水戸浪士の西上と鵜沼宿
江戸幕府の終末
近代1(明治・大正時代)
草薙隊の開拓
岐阜県の成立
県庁の岐阜町移転
小学校教育の出発
地租改正
郡村の整備
県会の開設
自由民権の渦
小崎利準
濃尾大地震
岐阜市の膨張
岐阜公園と鵜飼
乗り物の変移
長良川の橋梁
電燈・電話・ガスの始め
各務用水の造設
昆虫翁 名和靖
穂積駅の推移
明治期の銀行
富有柿の栽培
杞柳の生産
繊維大工場の開設
レンゲ種子の栽培
各務原飛行場の創設
大正から昭和始めの社会騒擾
航空基地 各務原
岐阜農高の設立
近代2(昭和(戦前)時代)
岐阜中心街の南進
歩兵第六十八連隊
養蜂業の確立
金融恐慌
境川・荒田川の排水路新設
満州の開拓
上下水道の敷設
糸貫川廃川敷の開発
川崎航空機岐阜工場
生活にかぶさる戦争
各務原への空襲
岐阜市への焼爆
川合玉堂
戦時の生活
加納の傘生産
現代(昭和(戦後)時代)
占領の空の下で
占領軍の岐阜進駐
岐阜駅前ハルピン街
昭和二〇年代の生活
岐阜城の再建
日本の復興
長良川・古川・古々川の締切
高度成長と共に
各務原市のニンジン生産
近現代の洋画壇
近現代の日本画壇
現代の学者・文人
各務原市の誕生
県市庁舎の新築
長良川の鵜飼
航空基地各務原
発展する穂積町
岐阜市南部の発展
戦後各務原の充実
金華山をめぐる施設
ぎふ中部未来博覧会
現在に立って
参考資料・お世話になった方々
岐阜歴史年表
あとがき