昭和30年代スケッチブック
遊びが終るかなしさ。夕焼けはこどもの頃を思い出させる
夏の臨海学校はなぜか、赤いふんどし着用と決まっていた
廊下の奥にひっそりとある夜の便所は不気味だった
クルクルまわるシンボルマーク。昔の床屋にもう一度入ってみたい
向う三軒両隣。路地裏では誰もが顔見知りだった
毎日小さな虫籠をぶらさげてトンボとりに夢中だった
台風が来ると、わくわくするような気分になった
獅子舞に凧あげ。独得の風情があった昔のお正月
一日の朝は、マッチで七輪に火をおこすところから始まった
鉛筆を削り、消しゴムをそろえれば明日の学校準備はオーケーだった
メンコにビー玉、カバヤの懸賞カード。みんなこども時代に集めたものだ
少女雑誌に少女スター。「少女」という言葉はもっと輝いていた
ヨーカンやバナナ、メロン。おやつの分け方でよく兄弟喧嘩になった
「アンポンタン」に「しみったれ」。威勢のいい東京言葉も通用しなくなった
蚊が多かった昔の夏に蚊帳は必需品だった
夏祭りの最大の楽しみは縁日ならではのおもちゃだった
都電のことを昔は”チンチン電車”呼んでいた
食堂車で車窓の風景を昧わう。いまではかなわない旅の楽しさだ
ビリー・ホリディをぜんまい式の蓄音機で初めて聴いた
一九六一年、十八歳。毎日毎日、ジャズ喫茶で過ごしていた
ダンス好きで賑ったキャバレー独得の喧騒もいまはない
走る都電の背景に東京タワー。まさに昭和三十年代の風景だった
原っぱに巨大なテントが張られ、サーカスはどこからともなくやって来た
街の風物詩だった虫売り屋さん。夜鳴く虫の声は涼しげだった
防火バケツの氷、霜柱…季節と付き合う楽しさを思い出したい
病人が家にいる。ごく普通の風景として、それはあった
生まれ育った漁師町。いなせな、この土地でぼくはいろんなことを学んだ
あとがき