長岡空襲
- サブタイトル
- 60人の証言
- 編著者名
- 峰村 剛 編著/木村 保夫 画
- 出版者
- 考古堂書店
- 出版年月
- 2004年(平成16年)5月
- 大きさ(縦×横)cm
- 22×
- ページ
- 360p 図版2枚
- ISBN
- 4874996043
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Mi42
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
発刊に寄せて長岡の平和教科書として(早乙女勝元)
まえがき長岡空襲について(峰村剛)
家族5人は長生橋の側で焼夷弾の直撃にあって死んだ(菊地昭治)
父は黒焦げになって死んでいた(加沢ヨシ)
左近の爆弾でできた穴は池となり魚釣り場となった(林勘一郎)
主人は戦死家は空襲で全焼私の人生は変わった(江口(谷内田)イツ)
宮内訳で夜勤中に空襲にあった(恩田(青柳)フサ)
友は安らかな顔で永眠していた(稲川(岸)武)
空襲で上紙村でも多くの家が焼失した(島津一男)
見知らぬ少年が私と弟の手を引いて逃げてくれた(早川明正)
同居人は逃げ遅れて亡くなった(早川(中村)美津枝)
家族は平潟神社の忠霊塔の下で生き延びた(杉本綾子)
空襲後母は息子の名を叫び続けた(小池(川又)きぬ)
さんねん土手は千人余の避難の人がいた(t逐藤正)
不発の焼夷弾の大筒が私の家に突き剌さった(梅田(三芳野)春子)
家族にはぐれて逃走中B29は急低下した(小池(坪井)美智子)
長岡空襲の最後の焼夷弾は水梨に落ちた(江口(横山)逸子)
母は焼夷弾の破片が足に突き刺さり障害者となった(小池(清水)恵子)
母の遺骨は空襲で二度焼きされた(山田久司)
空襲の地獄絵が今でも眼に焼きついている(五十嵐(丸山)トモ)
赤十字病院の傷兵とともに空襲にあった(香田(藤田)光)
深才村も空襲にあった(布川(江口)信子)
私は3回空襲を体験した(西村(池津)恵雄子)
わが家は類焼で丸焼けとなった(江□猛)
家族を捜して信濃川の土手を一晩中歩き回った(田中久男)
父は長生橋近くで焼死したのではないか(斎川宏吉)
父は「防空壕から逃げろ」と叫んで多くの人命を救った(山田孝松)
父の遺体は見つからなかった(小玉健一)
私の家族は生き延びたが主人の家族は全滅だった(山本(富川)千代)
友は左近の爆弾で犠牲になった(清水貢)
家族7人焼け出され他人の家でお世話になった(米山一郎)
焼夷弾の直撃を受けたが奇跡的に助かった(松田永一)
空襲の日留守居に来た新潟の祖父と社員が犠牲になった(松田(巻淵)洋子)
長生橋に激突する焼夷弾の閃光と音が今もなお(志水博)
焼夷弾の不発でわが家は焼失を免れた(丸山政一)
祖父は自分と父の大工道具を防空壕に格納して守った(今井荘一)
母は爆風に吹き飛ばされて死んでしまった(小林セツ)
父は空襲で焼けただれた軍刀を見て男泣きした(宮田晃)
戦争ほど残酷で悲惨なものはない(村山(中村)光)
空襲の時主人は何人かで長岡駅を守った(先崎(内山)テイ)
家族6人が焼死し母だけ生き残った(藤岡晴美)
家を焼失した私の家族は他人の納屋を貸してもらった(石田正一)
私を除く家族は全部長岡空襲で死んでしまった(山岸勝)
私は平潟神社の忠霊塔の台の上で生き延びた(山岸(土田)キヨイ)
息子の喉に焼夷弾がくい込み即死した(笠井ミセ)
寄宿生か校舎を守った(原(峰村)桂子)
焼け出されてジプシーのように居を変えた(川上カツイ)
弟は焼夷弾の直撃を受けて即死した(金子稔)
墓地の欅の巨木が私を守ってくれた(野村數弥)
平潟神社で焼死した父が私を呼び寄せたのか(丸山ミヨ)
長岡郵便局電話分室を夜勤者で守った(大久保政義)
若い兵隊が倒れた私を助けてくれた(今井(吉野)トミ)
「命だけはありますように」と祈りながら逃げた(大矢トク)
死を覚悟した時助けてくれたのは警官だった(渡辺テル子)
空襲で心の痛みも深かった(長谷川(丸山)タイ)
一日違いで家財道具は疎開できず全部焼失した(畔上秀子)
焼死者の合同葬儀に貸した仏壇に呪われたのか(長谷川(石橋)三郎)
一家心中を思い止めさせたのは赤い夕日だった(渡邊悦子)
父は自分の家より地主の家を守った(吉田良雄)
空襲で人間の醜さを見た(中俣昧子)
病気で寝ていた私は必死で父の後を追った(本田孝司)
空襲の夜私は夜勤だったが線路づたいで家に帰った(青柳(笠井)シズ)
空襲体験画に寄せて(木村保夫)
あとがき(峰村剛)
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