図書目録リクグン タイショウ ホンジョウ シゲル資料番号:000050224

陸軍大将本庄繁

サブタイトル
編著者名
林 政春 著
出版者
青州会陸軍大将本庄繁伝記刊行会
出版年月
1967年(昭和42年)12月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
420,4,9p 図版13枚
ISBN
NDC(分類)
289
請求記号
289/H85
保管場所
閉架一般
内容注記
肖像あり 本庄繁年表:p408‐420 参考文献:巻末p7‐9
昭和館デジタルアーカイブ
和書
目次

偉材は篠山の里から
篠山在の山深い里に「本庄将軍生誕」の碑
体格に自信ある者はみんな陸軍を志す
明治大帝の軍隊育成方針“義は君臣、情は親子”
酒も煙草もたしなまぬ精励一途の青年将校
東京勉学の学生が広めた“デカンショ節”
義和団事件の勃発と、わが居留民の北京籠城
戦えば勇敢、勝って掠めず真に「王者の軍」
日露の風雲ようやく急、報国に挺身する志士たち
内蒙古王宮に咲く“やまとなでしこ河原操子”
「城下の入」にしるされている諜報任務者の心境
*  
日露の役に出征
本庄中隊長、郷土の勇士を率い大孤山に上陸
世界戦史未曽有、三塊石山の大夜襲戦
認識票に敵弾命中、本庄中隊長をかばう部下
二八サンチ砲の猛砲撃に鉄壁の旅順ついに陥る
軍医四名で負傷者三千名の手当に忙殺さる
わが連合艦隊、日本海々戦に史上空前の大勝
戦力補給難のわが方、ようやく講和の機をつかむ
大山元帥瀕死の床に「雪の進軍」アンコール
*  
中国大陸との因縁
凱旋して陸大を卒え、北京で黙々中国を研究
中国革命の父“孫文”を援ける日本人志士
宮崎龍介の語る、亡命当時の革命の父孫文
伊東忠太の見聞録「清国末期中国の地方事情」
わが方の南満洲鉄道経営と法庫門鉄道問題
第一次革命に本庄武官上海、南京で縦横に活躍
ソ連参謀総長が懐かしむ本庄武官の入柄
目本と清国との時代推移と乃木大将の殉死
歯切れのよい参謀本部の本庄支那班長
対華二十一カ条要求から中国の憤激を買う
第一次大戦観戦武官としてヨーロッパへ
広島連隊長としてシベリア=バイカル越え
*  
張作霖の軍事顧問に
町野武馬から懇望され張作霖の軍事顧問就任
張軍の近代化に努めて張作霖から信頼さる
孫文とボロージンの関係を知らぬ我が方
蒋介石軍が引き起した南京の暴行事件
黙々と自から情報を集めて歩く本庄武官
田中内閣成立と、張との鉄道建設密約問題
初めての観兵式に北原二等卒の直訴事件
姫路の師団長から関東軍司令官に栄転
世情の変転はついに張作霖の爆死へ発展
菊池傲霜庵・張作霖・吉田茂の満洲経営策
*  
満洲事変の軍司令官
本庄関東軍司令官着任直前の満洲の実状
着任一カ月にして満洲事変の勃発に際会
満洲で活躍した甘粕元大尉と大杉謀殺事件
吉林への進駐作戦と「関東軍独立」のデマ
嫩江の大激戦、新発田連隊全滅にひんす
軍旗の処置に浜本連隊長が悲壮な決意
素朴な東北の兵士、凍傷になやまさる
錦州の爆撃からリットン調査団が来満
本庄の真意は民衆の幸福のための政治を
本庄の信念“日本人官吏は少ない方がよい”
本庄、軍事参議官に転補、満洲を去る
満洲事変の本質―本庄将軍の手記
*  
侍従武官長、陸軍大将
凱旋将軍として帰来、参内して軍状奏上
晴れの郷土入り、郷党をあげての大歓迎
侍従武官長に親補され陸軍大将に進む
怪文書ものがたり
雪の朝、帝都に二・二六事件勃発す
事件前後の宮中―木戸幸一日記
帝都大不祥事件―本庄日記
女婿との関連で侍従武官長を勇退、予備役
故白川義則大将への御製をめぐる問題
*  
軍事保護院総裁
本庄、戦争拡大下の傷兵保護院総裁となる
岡田氏、事変終結のため本庄内閣を画策
「結核予防会」を創設のキッカケを作る
無条件降伏の枢府会議に声をあげて泣く
医療課長に、切腹自殺のやり方をただす
自宅に訣別して登庁、ものの見事に自決
*  
年表
あとがき
参考文献

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