性風俗史年表 昭和[戦後]編
まえがき◆
本書の構成◆
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昭和20年 1945
進駐軍向け政府出資の売春会社が誕生
パンパン・ガールという言葉が広がる
満州で女生徒を説得して性のイケニエに
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昭和21年 1946
日本映画初のキスシーンに館内騒然
婦人雑誌で愛のささやき方の解説が盛ん
十数種の『完全なる結婚』刊、性知識普及
子どもたちにパンパン遊びが大流行
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昭和22年 1947
日本初のストリップ「額縁ショー」が開演
阿部定の一代記「お定劇」に警官が出動
パンパンの動機は「好奇心から」が4割
米国内で男性同性愛が増加と学者が警告
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昭和23年 1948
手塚治虫のマンガに「エロ」の非難が集中
太宰治が愛人と情死、後追い自殺が13人
大阪の連れ込み旅館に初の●(おんせん)マーク登場
『キンゼイレポート』刊、米国内に衝撃
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昭和24年 1949
キス1回1万円、岐阜の婚約解消調停
山中湖畔の米軍目当てにパンパン500人
売春女性の性病率は34.4%で過去最高
基地の子どもたちにコンドーム収集流行
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昭和25年 1950
岡山県が初の「エ口本取締条例」を施行
米女優を先生に俳優たちのキス講習会
パンパン狩りは基本的人権の侵害と通達
ストリップの女王、ジプシー・ローズ登場
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昭和26年 1951
トルコ風呂第1号、「東京温泉」オープン
最高裁が規定した「わいせつの3要素」
千葉で戦後もっとも残虐な殺人犯逮捕
バスコン映画十エロショー実演が大流行
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昭和27年 1952
大阪の赤線で初のSMショーが大人気
東京・吉原に専属バンド付き豪華特飲店
朝鮮戦争の休戦でパンパンの値段が暴落
中2女子がひと晩に36人の米兵を相手
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昭和28年 1953
「十代の性典」など性典映画の大ブーム
最高レベルの性文献「生心レポート」発刊
社内不倫の末、ゼロ号夫人が愛人殺し
パリのポルノ出版社が「検閲との闘い」宣言
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昭和29年 1954
基地の子らを対象に救国純潔運動始まる
米軍撤退で自衛隊相手の『白衛パン』進出
売防法制定の世論は賛成と反対が各37%
ストリップの腰振りダンスが全面禁止に
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昭和30年 1955
母の会などが不良図書5万冊を断裁処分
石原慎太郎「太陽の季節」が社会に大衝撃
ピカソの画集で性毛露出、当局は黙認
ノンケに人気のゲイバーが銀座に誕生
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昭和31年 1956
サラリーマンの1回の性交時間は11分強
「処刑の部屋」など太陽族映画に非難の嵐
60年南方を流浪の“からゆきさん”が帰国
「女眞珠王の復讐」で映画初の全裸シーン
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昭和32年 1957
丸山明宏が“シスターボーイ”で売り出す
赤線・青線が下火でコールガールが浮上
「ホモを認めよ」と英政府委員会が勧告
「ブラジャー着用は10%」と調査で判明
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昭和33年 1958
売春防止法施行、400年の性の伝統が消える
「ホモはフェチ傾向が顕著」と専門家指摘
売春業者の転業で全国のトルコ風呂が100軒
米で10人に1人は婚前に妊娠、堕胎も急増
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昭和34年 1959
米で、女から男への性的攻撃が増加
皇太子結婚で若い女性にミッチー・ブーム
児島明子が日本人初のミス・ユニバースに
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昭和35年 1960
『性生活の知恵』刊、性交体位の人形が話題
「靴フェチ夫との離婚可」と最高裁が判決
福岡県と神奈川県が有害雑誌指定に熱意
川崎・堀之内にトルコ風呂、メッカヘ第1歩
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昭和36年 1961
「日本閣」殺人事件の毒婦・小林カウ逮捕
貧困から虚栄心へ、売春の理由が変化
生理用品の革命、アンネナプキン発売
有害図書指定のトップは年に105回
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昭和37年 1962
ピンク映画の第1号「肉体の市場」公開
職探しの若者のエロ写真売りが急増
SM小説の名作、団鬼六の「花と蛇」登場
嫁キキンで「三ちゃん農業」が深刻化
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昭和38年 1963
県立高校で「フォークダンスは淫ら」と禁止
「BG」は売春婦の意とNHKが放送禁止
テレビ放送中にケネディ米大統領暗殺
全裸ショーが売りものの一座が70以上
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昭和39年 1964
少女に見破られ、連続殺人犯西口彰逮捕
ピンク映画館が全国で2000館に
流行作家の赤線復活論に主婦が猛反発
日中友好貿易でコンドーム製造機輸出
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昭和40年 1965
武智鉄二のピンク映画「黒い雪」に大騒動
売春トルコの摘発で働く少女も大量保護
ナイトショーの草分け「11PM」スタート
山本晋也がピンク映画の監督デビュー
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昭和41年 1966
西独で日本のピンク映画攻勢が頭痛のタネ
皇居前と日比谷公園ののぞきマニアは277人
沖縄の殺人に初めて日本の刑法を適用
集団就職から風俗業へ転職の若者が増加
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昭和42年 1967
警視庁がトルコ風呂の取り締まりに本腰
ラブホテルで風変わりベッドが大流行
書道界の大御所と美人弟子の一大醜聞
ピンクサロン、ピンクキャバの流行始まる
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昭和43年 1968
ディスコの草分け登場、ロックの生演奏も
フーテンに通勤派と観光派の2タイプ
ニセ警官による3億円強奪事件が発生
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昭和44年 1969
「性転換手術はダメ」と東京地裁が判決
川崎のトルコ風呂で“泡踊り”が始まる
少女雑誌に性描写満載の“ご三家”が登場
エロ本から性の玩具までアメリカ性革命
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昭和45年 1970
NHKテレビで初の幼児向け性教育番組
日本でスワッピンクヘの関心が急上昇
登録商標に“ブランド・エロチカ”流行
女高生売春の横行で“十六売春”の別称も
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昭和46年 1971
滋賀県の田んぼにトルコ風呂、一大メッカに
性風俗の大事件!日活ロマン・ポルノ登場
テレビの“奥様ヌード”に申し込みが殺到
ストリップが全盛、劇場が全国に612館
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昭和47年 1972
沖縄の売春婦は2万人、10代少女も多数
「ワレメちゃん」が女児の秘部の代名詞に
ピンク映画ブームで親子2代監督も誕生
ビ二本の第1号が登場、大流行始まる
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昭和48年 1973
赤ちゃんを里子に斡旋の医師が問題化
キーセン買春旅行に日韓両国から猛反発
立大助教授が女子大生殺しの末一家心中
滋賀県雄琴のトルコ風呂に月11万人の客
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昭和49年 1974
日本各地でストリーキングが演じられる
浮気夫を実力行動で糾弾する女の会結成
ポルノ映画「エマニエル夫人」が女性に人気
女性記者が「買春」という新語をつくる
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昭和50年 1975
「江戸時代の古典文でもわいせつ」と高裁判決
日本初、レズビアン専門交際誌が発刊
魔の9月、ストリップに史上最大の手入れ
同人誌の即売会「コミケ」に参加700人
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昭和51年 1976
ロッキード疑惑でポルノ男優、怒りの爆死
大島渚監督が「わいせつ、なぜ悪い」と主張
小学生が団結、エッチ先生2人を告発
米で女性3000人の性の証言が出版
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昭和52年 1977
自販機本の発売機が全国で1万台を突破
世界の『ゲイ・ガイド』に日本から59か所
ラブホテルの消し忘れビデオが出回る
10代少年の集団婦女暴行が26%に達する
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昭和53年 1978
巡回訪問の制服巡査が女子大生を暴行殺人
京都にノーパン喫茶の第1号が誕生
女性向けポルノ文庫にレズ、乱交もの
「インポは動脈の疾患」と国際会議で認定
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昭和54年 1979
大阪の銀行で、人質への猟奇殺人事件発生
東京に初のSM専門ラブホテルがオープン
スワッピング雑誌に人妻の顔出しヌード
アジア女性急増、ジャパゆきさん元年の声も
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昭和55年 1980
女装雑誌、援助交際誌など新風俗誌が登場
埼玉県警が独身警官へ性の手引き書を配布
ビ二本出版社は80社、発行は月300万部
川崎の高校生がエリートの両親を撲殺
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昭和56年 1981
隠し撮り本が大売れ、カメラ小僧も続出
おカマバーに”オコゲ族”の女子大生
総理府調査で15歳女子のオナニーは21%
ポルノビデオが映画の製作本数を上回る
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昭和57年 1982
愛人バンク登場、2年で3000組が利用
裏本ブームで、美少女本番裏本が28冊
裏ビデオの「洗濯屋ケンちゃん」が出回る
「ほとんどビョーキ」「ネクラ」が流行
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昭和58年 1983
日本女性5700人の性の証言が出版
米がエイズを国家の最優先課題に指定
収賄の田中角栄元首相に懲役4年の判決
米の名門大で師弟の性関係が7000件
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昭和59年 1984
国会で少女雑誌のセックス記事が問題化
高3女子で「婚前交渉を認める」が64%
留学生の訴えでトルコ風呂の名称が消える
若者に巨乳ブーム、乳房フェチ元年の声も
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昭和60年 1985
米在住の日本人男性をエイズ第1号に指定
朝日新聞が乳首露出のヌード広告を解禁
“柿本人麻呂”を隠れみのの脱税ソープ摘発
黒人大好きの若い女性、ぶら下がり族登場
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昭和61年 1986
“SM小説ご三家”はいずれも元英語教師
友人の中絶費稼ぎに女子高校生の売春
「意外性ある殺し方で」と教師が教え子焼殺
「イヤがる妻との関係はレイプ」と地裁判決
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昭和62年 1987
女性のエイズ死で、全国にパニックが発生
宮城県警の大捜査でデートクラブが壊滅
伊でハードコア・ポルノ女優が国会議員に
携帯電話が登場、初年度は2万7000件
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昭和63年 1988
血液製剤でエイズ発症の患者が国を告訴
“ジャパゆきさん”の中心がタイ女性に
幼女4人の連続誘拐殺人事件が発生
日比国際結婚は3290件、偽装も増加
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昭和64年 1989
昭和天皇が薨去(こうきょ)、激動の時代が終わる
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資料出典一覧◆
図版資料出典―覧◆
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