業界三世代史
◎序文
◎挿込写真(通商産業大臣・三木武夫氏/日本時計協会理事長・服部正次氏)
時計の創始時代
明治初期の時計業と組合発祥の由来
明冶元年頃の貿易商館
横浜居留地時代の素描
明治初期時代の時計商組合員
交換市場の開設
若かりし頃の服部翁の活躍
服部時計店の草生時代
明石時代の「東京時計商繁昌鏡」
日本の時計業創生時代
精工舎の偉業
明治四十年当時の業者の分布状況
東京時計商工業組合経過あらまし
大正年代の業界と関東大震災前後の状況
時の記念日の宣伝活動の始めの頃
金のペコ側出現時代=(大正年代)
前橋市における時計廉売団との闘争劇
本紙が創刊した当時の業界
昭和初期時代の銀座方面業者群
前代未聞の謀略事件
セイコー腕の発売当初の批判
時計卸団体東京五日会の輪廓
時計バンドが作り出された最初の頃
蓄音器界と時計店の連鎖時代
日蓄のスト騒動と当時の内紛
明治時代の貴金属業界経路
昭和初期時代の貴金属界と組合状況
平和博覧会と金性保証マーク
合月商店が活躍した頃の業界
ダイヤの十割課税撤廃運動の概況
白金をメダルにして売った頃
御木本パールと幸吉翁の生立ち
眼鏡の由来と眼鏡界
眼鏡界の現況
全眼商工連とその他の組織
腕時計バンド業界の由来
三折バンドとパテント騒動の頃
東京皮革時計バンド工業組合
近常時代の東京の材料界
服部が安売合戦時代の波に乗った頃
時計材料卸商組合設立の頃
大戦前の時計メーカー群の状況
昭和初期時代の交換会
昭和初めに誕生した業界の各種団体
東京研交会設立の頃
全国時計業者大会と精工舎の見学(昭和三年)
業界飛歩きの印象メモ
山田時計店が開業した昭和五年の頃
スタンダード時計の製造開始の交渉
昭和七年の頃の業界新聞群
日本時計学技術研究会の発足
昭和十年当時の新聞陣営のご難
統制時代への変遷と輸出組合の新設
貴金属界にも企業会社設立の風潮
九・一八当時の時計の卸価格
時計メーカーも統合時代へ
価格釘づけ当時の国産時計の品種
価格統制による卸組合の結成時代
中支那経済視察団編成の状況(昭和十四年)
八絃一宇の限界を指した頃の勇猛ぶり
日米親善国民大会を開いた情景
シチズン時計の起死回生状況
山田時計店社長が生い立ちを語る
市会議員選に勇奮した頃の情熱
金銀製品商連盟生まる
金銀製品の買入開始
全国時計組合連合会の設立(昭和十五年)
七・七票令と販売禁止措置
新聞業界も断首時代へ
大東亜戦争へ突入した頃の業界(昭和十七年の頃)
皇軍慰問に時計修理班特派
民間所有のダイヤモンド買上経過
軍需省指定工場への転業
敵機B29帝都初訪問の場面
帝都爆撃強襲の二十年春の頃
本社焼跡の復旧認可指令出る
敗戦の大詔遂に渙発
終戦後に交換市場開設
色石値段などのハネ上り状況
日立精機が時計製造線へ乗出し
ダイヤモンド価格の世紀的大変動時代
日本の建国方針など強調した頃
ヤミ時計が出回った最初の頃
南京虫(時計)が動き始めた頃
ブラックマーケッ卜の烙印と恐怖
時計小売組合戦後の発足
組合主脳陣の首切り劇反復?情況
南京虫、月量五十万個?の消費時代
警視庁管下犯罪捜査協力会を設立
全時巡団体結成初歩の頃
東洋時計KK破産倒壊の悲運劇
時計組合と時計会館建設当時の状況
東京時計小売組合の概史
古物品の相場表と取引状況
ヤミ取引の内幕とヤミルート
日本時計輸入協会の設立と大蔵省関税部の活動
養殖真珠業界と三輪豊照氏の功績
数百年に遡る貢金属地金商の由来
東南ア各国実情視察行(36年)
ヨーロッパ業界の現況視察行(38年)
FH本部(ビエンヌ)での会談
東京時計組合史とその由来
出刃包丁も飛出た当時の闘争事情
業界の現況勢力編
業界の現況勢力編目次索引