千人針の祈り
- サブタイトル
- 戦争体験を語る
- 編著者名
- 宮本 朋典 著者
- 出版者
- 木造町老人クラブ連合会
- 出版年月
- 1990年(平成2年)8月
- 大きさ(縦×横)cm
- 21×
- ページ
- 297p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Mi77
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
序文
後世への遺訓として-発刊によせる-(蝦名逸三)
「千人針の祈り」発刊を喜ぶ(横山与作)
時宜に叶う事業-発刊を祝す-(安田喜代志)
グラビア
第一章 遺骨で帰った夫や息子たち
夫はビアク島で玉砕(清水町・川島やえ)
夫は小笠原諸島で戦死(永田・対馬そよ)
父島に行く途中で戦死した夫(蓮花田・川崎なつ)
戦死した息子への思い(出来島・新岡ミヨ)
一人息子がフィリピンで戦死(菰槌・鳴海ハル)
兄戦死のあとのわが家(有楽町・江良和子)
第二章 銃後の女たちの嘆き
夫の応召、あきらめの日々(館岡・横山つま)
夫の応召中に子どもが死亡(館岡・江良リセ)
夫は応召、心細かった銃後の守り(清水町・葛西はるの)
夫は戦争へ、辛かった子供と二人の生活
(永田・小山内リセ)
あす出征する兵士の花嫁となって(南広森・葛西きよ)
戦死したものと諦めていた夫が突然帰ってきた
(上町・大鷹カツエ)
「がんばれ」と戦地の夫からの手紙(菰槌・木村シオリ)
銃後の女たち(永田・対馬キリ)
戦地の夫からの便りが生きる力に(永田・対馬ソト)
息子三人と馬にまで召集(永田・対馬ツナ)
苦労した銃後の守り(菰槌・木村キナ)
夫は三回召集、三町歩の田作り(菰槌・稲葉ツギ)
夫の出征中、残業して働いた(清水町・柳生たき)
夫は日中戦争に応召、弟も学徒動員で入隊
(清水町・川島きよ)
陰膳据えて無事を祈る(菰槌・新岡きそ)
第三章 内地も戦場だった
狙撃で目の前の船が沈んだ(出来島・新岡兵造)
青森空襲の時、看護婦だった(館岡・成田ミツ)
農耕馬に召集が三回も(館岡・神成金五郎)
戦争当時の暮らし(清水町・八木橋善蔵)
敗戦の日の思い出(菰槌・佐藤栄吉)
終戦の頃の生活(蓮花田・木村ヤエ)
戦争の思い出はいまも生々しく(平滝・安田喜代志)
第四章 悲惨な満州・樺太引揚げ
娘照子は生きていた-残留孤児宿舎での再会-
(清水町・高杉兼太郎)
一歳二か月のわが子死亡、満州からの避難の途中
(館岡・野呂カコ)
幼い長男長女と三人満州から避難(清水町・松野たき)
夫は応召、樺太から(出崎・江良ツセ)
樺太から引揚げて、苦難の生活(蓮花田・小山内タヨ)
終戦後二年間、樺太で働いた(菰槌・花田トメ)
第五章 泥沼の日中戦争
ノモンハン事件を想う(福原・鎌田孝雄)
中国人から教えられることもあった戦争体験
(館岡 成田勉)
二度の召集で中国、南方へ(清水町・片山猛保)
戦友の遺骨を抱いて行軍(菰槌・千田幸作)
山西省において戦闘のひとこま(菰槌・千田幸作)
わが家の馬と戦地で再会(萢中・高橋豊作)
ソ連国境警備の監視員として(清水町・高橋清蔵)
中国戦場での一般住民(南広森・葛西吉郎)
死体に腰掛けて暖をとる(永田・工藤素太郎)
酷寒の満州で軍馬と共に(永田・三浦清四郎)
敵の弾丸が私の胸部を貫通(菰槌・長谷川正一)
中国戦線で死の二百里行軍(館岡・横山与作)
軍隊は私的制裁の温床(匿名希望)
第六章 太平洋戦争により戦火拡大
輸送した兵隊がサイパン島で玉砕(永田・対馬猛)
輸送船に勤務して(菰槌・長谷川武一)
南の島から日本に向かって尺八を吹いた友は戦死
(菰槌・長谷川武一)
横須賀、横浜港の空襲(上町・今茂勝)
わらじはいて竹槍を持った兵隊(館岡・野呂平三郎)
第七章 酷寒のシベリヤで強制労働
夫はソ連の強制労働で事故死(館岡・野呂キクエ)
寒さと飢えの抑留生活(永田・小山内金作)
樺太で敗戦、シベリヤに抑留(下福原・長谷川徳衛)
義勇軍の農事指導、シベリヤ抑留(菰槌・長谷川慶治)
三回応召、最後はシベリヤ抑留(館岡・野呂武雄)
召集の日も帰った日も九月二十五日(南広森・伝法谷勤)
(発表者一覧)
(あとがき)戦争体験を語る活動の歩み
(指導員・宮本朋典)
装画/川島悌吉
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