朝日放送の50年 Ⅰ
世紀をこえて(代表取締役社長・柴田俊治)
I. 朝日放送開局まで 1945年(昭20)~1951年(昭26)
その前夜
電波三法と免許獲得合戦
朝日対毎日
手探りの開局準備
ABCらしさの工夫
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II. 不安と熱気の草創期 1951年(昭26)~1955年(昭30)
ABC本放送スタート
“報道のABC”目指して
アイデア勝負の番組つくり
ラジオ初期の広告
躍進するABC
テレビ時代の幕開け
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III. OTV時代 1955年(昭30)~1959年(昭34)
OTV開局に向けて
OTVスタート
OTVの報道活動
娯楽番組もチャレンジした
成熟期を迎えたラジオ
OTVと朝日放送の合併
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IV. ラ・テ兼営でスタート 1959年(昭34)~1966年(昭41)
合併──再生の苦しみ
組合誕生と停波スト
テレビ新時代──カラー化へ
報道の連係プレー
4局の視聴率競争
ニューラジオの模索
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V. 大淀時代はじまる 1966年(昭41)~1970年(昭45)
大淀新社屋
大阪万国博開く
高度成長の裏側
カラー化とテレビ番組
ラジオ・ルネッサンスの成果
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VI. 省エネ時代の放送 1971年(昭46)~1974年(昭49)
石油危機と省エネルギー
エリアを越えて多様な取材
20周年記念番組
名物番組続々登場
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VII. ネットワーク変更 1975年(昭50)~1980年(昭55)
ネットワーク変更でANN系列へ
第2の開局
ANNでの報道取材
70年代後半の事件と報道
テレビ新番組
ENGの出現
創立30周年記念番組
「センパチ」ラジオに衣替え
変わる職場環境
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VIII. バブル時代 1981年(昭56)~1990年(平2)
あげてバブル景気に
スポーツもフィーバー
バブル下の大事件
テレビ新路線
相次ぐ殉職事故
昭和おわる
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IX. バブル崩壊 1990年(平2)~1994年(平6)
消し飛んだバブル
90年代前半のテレビとラジオ
不祥事続出~問われる放送倫理
90年代前半の出来ごと
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X. 世紀末からメディアの世紀へ 1995年(平7)~2000年(平12)
大震災から底なし不況へ
世紀末的事件
環境と生命
スポーツの新ヒーローたち
放送新世紀へ
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【特集】ザ・シンフォニーホール~誕生とその歩み~
突然の建設発表
焼け跡のドヴォルザーク
決め手はパイプオルガン
残響2秒への苦労
神の恵みか
なにもかも日本初
華やかにスタート
カラヤン“世紀のとちり”
“いしけんカット”について
ドミンゴの口づけ
ベルリン・フィルも魅せられた
「わが祖国」の関西初演
メセナ活動
阪神大震災とザ・シンフォニーホール
シンフォニーホールのあるべき姿
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【特集】最大の体験「阪神・淡路大震災」
その朝、テレビは
その朝、ラジオは
混乱の中、取材始動
ヘリ、西へ
地上中継班も
高速道路の惨状、そして避難場所は
被災地の社員たち
8ミリを回し続けた男
足を奪われて
ラジオは電話が命
「無事情報」生まれる
心をつないだラジオ
ANN各局の応援
“駐在さん”淡路島に集結
混乱を克服
前線本部の素顔
食料・日用品の確保と輸送
CMはずし特番編成
地域メディアの役割
地域ネットワーク
激震地のメディア
息長く復興への励まし
結語──私たちの反省から
☆ヘリ中継競争
☆殺到した電話
☆阪神大震災ANN中継網
☆取材無線の苦労
☆ラジオ・テレビのアンケート調査
阪神・淡路大震災被害状況
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索引[番組・イベント/人名/一般事項]
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「朝日放送の50年」3分冊で参考にさせていただいた文献
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写真提供
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編集後記
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表紙画(広報局・戸高明義)