図書スポーツ ニッポン シンブン 50ネンシ000047824

スポーツニッポン新聞50年史

サブタイトル1~10
編著者名
スポーツニッポン新聞社50年史刊行委員会 編者
出版者
スポーツニッポン新聞東京本社
出版年月
1999年(平成11年)2月
大きさ(縦×横)cm
27×
ページ
451p
ISBN
NDC(分類)
070
請求記号
070/Su75
保管場所
閉架一般
内容注記
年表:p[281]‐417 参考資料:巻末
和書
目次

発刊にあたって(代表取締役社長・森浩一)
 
グラビア●第一部
みんなに感謝!カラーで見る平成のヒーローの舞台
 
スポーツニッポン新聞50年史 本編
 
揺籃期|東京支社前史
「スポーツニッポン」大阪で誕生
 
草創期|編集長の時代
決定からわずか10日、東京支社設置
奥付で"本社"野生児たちの意地
芝・金杉の東日本印刷工場に編集の城
営業の悲哀、泣いた日・笑った日
 
成長期|宮本義男時代
再建の救世主、42歳・宮本編集長就任
「一人三役」に自ら"範"を見せて
スポーツ紙初、北海道印刷"奥の手"
スポニチは新人作家の"登竜門"
大阪からの"独立"三本社体制確立
東京"開眼"の原動力プロレス
[プロレス・グラフティー]スポニチ・力道山"蜜月時代"
傍系会社第1号は「テレビニュース社」
社内の士気高めた「東京五輪」
経営の近代化へ、会長・社長制導入
魚眼レンズ、初の日本一の"勲章"
家族ぐるみ"スポニチ一家"になった日
[ザ・スペシャル]東京オリンピックとON時代記者"奮闘"銘々伝
 
発展期|狩野近雄時代
総合レジャー紙へ脱皮"商品化計画"
堂々、スポーツ紙初のABC公査
大躍進の証明、社章、社歌3社統一
大英断!国際イベントの連発
[ザ・スペシャル]出版局の大いなる"遺産"
 
飛躍期|和田準一時代
続々と分離印刷"旧聞"が新聞になった
越中島・新社屋建設にGOサイン
 
グラビア●第二部
写真で見る この場面、この勝負、このページ
 
またビックな"ステイタス"王将戦
ついにスポーツ紙日本一、報知を抜いた
[ザ・スペシャル]スポーツ紙の革命はスポニチ文化面から始まった
夢の大リーグ・オールスター戦主催
紙面革命”初の「ダブル1面」誕生
広告快挙、未到の全国1社買い
[ザ・スペシャル]特ダネに命をかけて"長島解任"の裏に
今や"暗室不要"写真も急速進歩
傍聴券取り、地裁前・午前8時30分
先陣切った"紙面カラー化"戦争
オフセット印刷、CTS製作へ
読者と一体"ふれあい広場"
越中島に"城"完成、金杉から脱出
[スポニチ・グラフィティー]金杉編集局別れの日/夢が詰まった新天地・越中島
[ザ・スペシャル]情報基地を支える通信、メディア
 
革新期|牧内節男時代
"総合大衆紙"宣言、怒とうの施策
スポニチから報告が"消えた日"
「地球が舞台だ」既成概念の壁破れ
女性路線の推進役「総合推進本部」
バルセロナ五輪"お祭り"報道
世界最高峰にスポニチ旗が翻った!
Jリーグと手を組んだサッカー興行
社員好みの厚生施設、呑み処と山荘
[ザ・スペシャル]記者パワーの証明号外に燃える
画期的な試み「社長公募」で新会社
 
新世期|森浩一時代
輝ける"金字塔"実売100万部
21世紀へ、初の中長期経営計画
"スーパー編集者"へ、強まる期待
60歳定年制と新人事・賃金制度
今世紀最後の五輪、スポニチの陣
[ザ・スペシャル]各界から"スポニチ党"創刊50年「感謝の集い」
[あの日あの時]
 
スポーツニッポン新聞50年史 年表編
昭和24年[1949年-1955年]
昭和31年[1956年-1965年]
昭和41年[1966年-1975年]
昭和51年[1976年-1985年]
昭和61年[1986年-1990年]
平成3年[1991年-1998年]
 
スポーツニッポン新聞50年史 資料編
日本、世界のスポニチ情報発信基地
スポーツニッポン新聞社関連会社
物故者一覧
PRコンクールの歩み
広告料金の変遷
連載小説の移り変わり
本誌定価の変遷
販売・ABC公査部数の変遷
本社事業一覧
 
後記