図書イキノコッタ モト ニホンヘイ センソウ ショウゲン 110000047545

生き残った元日本兵戦争証言110

サブタイトル1~10
新風舎文庫;119
編著者名
阪野 吉平 著者
出版者
新風舎
出版年月
2005年(平成17年)6月
大きさ(縦×横)cm
15×
ページ
475p
ISBN
4797497335
NDC(分類)
916
請求記号
916/Sa34
保管場所
閉架一般
内容注記
「戦争聞き歩き生きてます」(新風舎,2004年刊)の改題文庫化
和書
目次

一、戦場 殺し合いの日-
小倉新一郎 殺すか殺されるかの毎日だ。戦ったと言ったって君にはわからないだろうが。
佐藤久雄 初めて敵の弾が頭の上を飛んだ。おっかなくて頭あげられなかったなァ。
高橋憲明 鉄砲などの弾はなかなか当たるもんでない。毎日パンパンやっていたが、こっちもあっちも戦死する者は少なかった。
保科外之助 八路軍と撃ち合っている時、タッタ、タッタ、タッタ、タッタ、タァーと突撃ラッパ。敵は一斉に逃げた。
木村三作 ハガキ一枚ほどの大きさの赤紙で人間が集まる、人間の方が兵器より安くて一銭五厘の兵隊だった。
長沼喜内 俺の耳のちょうど近くを弾がヒューッと通ったなよ。すると背中の汗が氷のようになって流れたなよ。
長沢仁兵衛 戦地へ行けば、なんとか目の前にいる敵をやっつけたい一心だ。
浦田仁太郎 座布団くらいの爆薬を背につけて、自分で掘った穴の中から戦車に突っ込む練習だ。
吉田博 中国の夜は真っ暗で一寸先も見えない。馬のシッポつかんで歩いた。
竹田光郎 昼食中に機銃掃射、隠れたつもりで飯食っていたら、目の前の飯盒に弾当たったなよ、驚いたァ。
高橋一太郎 飯盒の飯、凍ってよ、ホーク刺さんない。短剣で飯食ったこともあったなァ。
情野辰雄 ある時は蒋介石軍、ある時は毛沢東軍と毎日のように戦闘よ。両軍の戦闘を眺めていたこともあった。
古畑定雄 弾が飛んで来る時は頭を地面にのめり込ませてよけた。腹に巻いていた千人針をさすって隠れていたなァ。
安孫子政吉 敵機が毎日飛んで来て、バカンバカン弾落とす。低空で飛んで来るもんだから、民家の屋根が吹き飛んでしまった。
竹田秀夫 俺達は新兵ばかりで、手榴弾の栓を抜くとすぐ投げるもんだから、敵がそれを拾って投げ返すのよ。
山川幸一 そのうちアメリカ兵が上陸し、両手を上げて近づいて来た。俺達はアメリカが負けて降参したと思った。
竹田孫蔵 終戦になってから現地で農業の手伝いをしたが、中国人は立派だった。軍服着て銃持っている俺達を大切にしてくれた。
井上徳蔵 俺が殺した中国兵が俺を殺そうとする夢で、ときどきうなされてよう。苦しくて目覚ましたこと、何回もあった。
黒沢正三 軍隊は運隊だと言うがあれは本当だ。運の悪い人は死んだ。よかった、俺は生きて帰れた。
山岸圭助 爆撃された初めのうちはブルブル震えていたが、死と生どっちか一つ、クソ度胸が出て平気になった。
鈴木與摠次 でき上がった飛行機が飛んで行くのを、二十日もすれば南方で敵に突っ込んで死ぬんだろうと話しながら見ていた。
斉藤力 ある時、敵機内でマフラーを振っている女がいた。その女が俺達を機銃掃射するのよ。あれにはまいったなァ。
高橋正 米軍の攻撃が始まったが、脅かし程度の攻め方だった。ポナペ島は有名な遺跡だったから爆弾落とさなかったのよ。
井上忠 これ、アメリカ兵からもらった安全カミソリとひげブラシだ。兵隊の時の思い出の品。私の宝物みたいなもんだ。
遠藤勘右衛門 ソ連の飛行機が初めて飛んで来て、焼夷弾を落としたなよ。たまげて本部へ連絡したが通じない。俺達より早く逃げ出したと思う。
 
二、スパイ 兵士たちの使命
高橋辰吉 疲れていたので寝込んで朝、目を覚ますと、同じ部屋に八路軍の兵が寝ていた。お互いにたまげてよう。
高橋正二 寒くて常に火を焚いていたが、馬がオオカミやトラに襲われないためもあったのよ。
黒田重夫 「衛生兵が兵隊ならば蝶やトンボも鳥のうち」なんて馬鹿にされたが、負け戦の時の衛生兵は大変よ。自分だけ逃げるわけにはいかないから・・・・・・。
高橋伊之助 部隊の演芸大会で浪花節をやった。連隊長、涙流して聞いてくれた。
情野嘉吉 多分日本で蒋介石から勲章もらったのは俺達十六人だけだと思うよ。蒋介石軍のおかげで日本へ帰れた。
高橋繁嘉 ぷかぷか浮いている機雷に泳いで行って縄で縛る。簡単なようで命がけだ。
横沢龍雄 入隊した新兵のうち、身体検査不合格で一割も帰された。帰る途中で悲観して、鉄道自殺した者もいたほどだ。
 
三、シゴキ 日本軍の内幕を明かす
斉藤義実 日本軍には鳩兵がいて百羽くらい飼っていた。伝書鳩よ。その鳩に戦況を書いて放した。
加藤亀吉 兵隊検査、本当は身長を計る時、少し背伸びしたなよ、それでギリギリで甲種になったの。ウフフ・・・・・・。
上野均 上官には絶対服従、それに威張っていた。質問された時に知りませんとは絶対言うな、忘れましたと言えと教えられた。
須藤久 ぐるりにいる人、みんなドロボーに見えたな。俺もドロボーの一味なんだけれど。
倉田宇佐治 輜重兵は、勝っている時は食糧や兵器を運ぶが、負け戦になるとまず負傷兵、次に死体を馬で運ぶ。
遠藤芳雄 長谷川一夫一座の演芸、双葉山などの相撲一行が来て興行したのは楽しかったなァ。
渡部九一 政府軍では、上の者がピンハネするのが当たり前だった。上官がそれだから、兵隊は負けそうだとサッサと八路軍へ寝返るのよ。
井上勝美 隊長でさえミシンを持って逃げたんだから。負けるッて情けない。人の心もバラバラになった。
森谷敬 俺の軍隊手帳には七十二回の作戦、戦闘に参加したとある。ウソだと思うべェ、見せるか?
佐藤章 見張番の新兵から「前方魚雷雷跡発見」と艦内放送、配置につくと「イルカの波乗りでした」なんて、いっぺんに力が抜けてよーう。
伊藤三夫 野放ししている水牛が滑走路にいて飛行機が着陸できないなんて、ときどきあった。
佐藤甚助 B-29が爆撃の練習場所に使っていた飛行場は蜂の巣を逆さにしたように穴だらけ。その穴にカボチャ植えていた。
勝見調一 艦内は天国みたいだった。食う物はなんでもあった。演芸大会もあり、歌の上手な水平は早く進級できた。
佐々良郎 英語は「敵性語」で使えなかった。自動車の部品も全部日本語よ。ハンドルは転場、ドアは開閉機、でもタイヤはタイヤだった。
菅井正八 横須賀の海兵隊で司令官の部屋の掃除、エンピツは十本以上すぐ書けるようにしておいた。
伊藤豊 内地へ転任が決まった時、「ボルネオに行きたい」と言ったが却下された。あの時、ボルネオに残れば生きては帰れなかった。
佐藤庄雄 朝起きると六尺の棒で病人の頭をポンポンと叩く。生きている人は「生きております」と返事する。
森谷久左ヱ門 日本の将校は、配給された黒パンをソ連の女たちに与え、俺達やソ連兵が見てるところでペペコしているのよ。
熊坂巌夫 夜、便所に行くのが怖かった。なんでだろう。便所に行くと、海面に無数に浮いている死体、思い出すのよ。
大友善次郎 敵機来襲、髪の毛が一本一本立つほどおっかなかった。あの時を思い出すと涙が出る。ほら、今でも自然と出るんだなァ。
阿部金蔵 上官の食事を運んだ時、箸を忘れたら軍靴の底で殴られた。あの時は三日くらい飯食えないほど顔が腫れた。
鈴木豊次 原爆落ちた日は、俺達、豚小屋作りしていた。隣の兵隊、豚小屋の材木が首に当たって死んでいた。
佐藤美津栄 午後になって空が真っ黒くなって、顔に当たると痛いような大粒の黒い雨が二十分ほど降った。
藁科昭四郎 一週間過ぎてもあっちこっちが燃えている。夜、その明かりで被爆者の治療をしていたんだから。
深瀬孝次 あの日は暑かった。日陰には火傷した人たちがいっぱい、俺達を見ると「兵隊さん、水を下さい、飲ませて下さい」と近寄ってきた。
安部義雄 兵隊は全員去勢されるとか、皆殺しにされるとかの噂話が広まって、不安だったなァ。
高梨勝 終戦になり、GHQ本部から呼び出しの通知が来て震え上がった。初めて見るアメリカ兵の前で恐縮して、頭真っ白よ。
 
四、飢餓、伝染病、ケガ 死線を彷徨う
青木隆善 俺は、目のところ、弾が貫通した。その頃は勝ち戦だから、名誉の負傷兵として大切にされた。
情野一二 海上で舟が沈んだ時、サメに食われないよう長い白い衣を腰につけて泳ぐ練習よ。
高山丹寿 石鹸とタバコをお湯に溶かして飲むと下痢するので、しばらく入院すれば働かずにすむと、わざと飲んだ人もいた。
山口富一郎 練習していたから早く敵に野砲をぶってみたかったが、戦闘の経験がないから、有頂天でいるうちに連隊長が弾に当たって戦死よ。
渡部平次 二百人ほどで逃げ回ったが、朝起きると隣の人が死んでいる。疲労で動けない人などはそのままにして行軍という毎日だった。
安部源太郎 終戦近く、補充兵が来た。坊主、床屋、先生・・・・・・、変り種は背中いっぱいに入れ墨のある浅草のテキ屋の親分。
川崎幸七 兵隊に関する自分の持ち物や兵器類を集めて焼いた。その時、本当に負けたんだなあァという気持ちになった。
治田五郎 ヤシの木の間に針金を張ったら、戦闘機が引っかかって墜落したこともあった。
片倉栄美 俺の足に痛み感じてズボンまくってみると、機関銃の弾がポロリと落ちた。負傷してた。
加藤竹三 歩哨が見回っているからその隙を狙って米をかっぱらう、もし見つかれば腹にドスンと弾が入る。
青野正明 君、肺の中、弾が貫通したら生きていられないと思うベェ、俺、七十六日も一人でジャングルをウロウロしたのよ。
佐野和多留 食えそうな物は何でも口に入れた。草は海水で洗って食った。火を使うと知られるから、全部生で食った。
小林幸二郎 これはもう死ぬなと思うと必ず母親の顔が眼に浮かんだ。次に神様仏様へ一心に念じたなあァ。
鷲尾誠司 君、栄養失調なんて言っても理解できないベェ。俺、体重二十キロになった。それくらいになると一人で歩けない。
鈴木忠蔵 「先に行ってくれ、後から行くから」「じゃ、ゆっくり来い」しばらくすると爆発の音、手榴弾で自爆するのよ。
新野耕一 マラリアにかかってみんなの姿が見えなくなった時、俺は大きな声で泣いたな。でも、こんな所で死んでいられないと思い、後を追って朝方追いついた。
高橋七郎 私は太腿から左足がないのよ。麻酔薬なしで骨をノコギリで切って、ぐるりの肉を寄せ集めて十七針も縫った。
松本三郎 入院すれば、罪人扱いされる。三等待遇だ。誰にも相手にされず淋しくなる、だから淋病と名がついた。
 
五、捕虜生活 極寒の地に祖国を思う
船山昇 アメリカの飛行機・グラマンが猿羽根山に墜落したなよ。探しに山に入って機体を発見、一人のパイロットが生きていた。
安部三郎 牡丹江で作った演劇団、人気出てよ。夜、女形を女と間違って、ソ連兵がレイプに来たこともあった。
新野芳雄 俺達のところへ侵入してきたソ連兵は、思想犯の囚人部隊。ボロボロの服着てよ、石鹸と羊羹を間違って食っていた。
冨樫良吉 奉安庫の前で校長と女の先生が天皇陛下の写真を焼いているのを見て、「敗戦」を実感した。
長谷川周吉 ひょっこり周恩来が来て、五年も前に一度だけ会った俺を覚えていたなよ。やっぱり偉くなるような人だと違うなァと感じた。
加藤弘 俺は国家のために兵隊にとられ、今度は帰って来ると反政府人間扱いだ。
村山俊介 敵機が帰った後でぐるりを見ると、弾の跡が俺の周りにいっぱいあった。よくも当たらなかったもんだ。これで死ぬなァとは何回も思った。
大木信雄 広い野原に一列に並べられ、現地人が指差しするのよ。指差された兵隊は、特別収容所の送られて死刑になった人もいた。
黒沢洋助 先の見えない毎日だった。食うことで精一杯だった。あのね、今だって先は見えない。
安部長雄 俺は鉱山組だった。山に横坑が掘られ、毎日八時間穴の中で働いた。ノルマがあって、弱い人はどんどん死んでいった。
佐藤幸助 同じ鉱山で働いているソ連人と一緒に風呂へ入った。ジャボースケのアレは小さいと言われて触られた。
船山誠一 兎の食う草は全部食った。生でよ。都会育ちの兵隊は青い草をなんでも食い、下痢して死んだ人もいた。
酒井新栄 トタン屋根に豆でも蒔いたようにバラバラと弾が飛んで来たが、不思議と俺には当たらなかった。
管明三 夜、ときどき豚小屋からオオカミが子豚をくわえていった。子豚がキィーキィーいうもんだからすぐわかった。
斉藤文夫 冬、ものすごい吹雪で食糧が三十日も届かない時があった。松の皮と幹の間の薄い皮を食って生き延びた。
平川次郎 何日も何も食う物がなかったとこもあったし、豚のいる小屋を見つけた時はうれしかった。
塚田米藏 捕虜になってからもソ連兵とウォッカを飲んだ。捕虜で酒飲んでいたなんて、聞いたことがないだろう。
本田茂兵衛 その頃の俺の体重は三十二キロ、骨が歩いている感じだ。毎朝ドイツの女医が来て日本語で「イカガデスカ?」
渡辺寿三 コルホーズ国営農場の老人はやさしかった。「同じ人間、俺達も苦しんでいる。君達も頑張りなさい」
我妻長作 俺達のところにいたソ連の将校は掛け算ができなかった。朝の人数点呼、途中でわからなくなると、また初めから数え直す。
佐藤慶三郎 「日本へ帰す」と言われても、それまで三回ウソ言われて収容所を変えられていたから、本気になれなかった。
大木正一 狭い通路の先に天皇とスターリンの絵、どちらか踏んで通れと言う。どっち通ったか話せない。踏み絵よ。あれにはまいったなァ。
 
六、そのとき日本では 家族、そして本土決戦
土屋力栄 十五日には早くも朝鮮人の玄関に朝鮮の旗が立っていた。私、あれ見て震えたなァ。情報の早いのには驚いた。
斉藤明男 出征兵士を送る日はお祭よ。お膳を前にして酒を飲んで・・・・・・村挙げてのイベントだった。
斉藤修介 特攻の新兵器「回天」という人間魚雷で、敵艦に衝突して自爆するのが任務だった。
元木要吉 俺達は特攻隊、捕虜になれば死刑だ。どうせ殺されるなら飛行機で山にぶつかって死んだ方がいいなんて話していた。
西川房雄 京都の飛行場では、ワラに紙を貼って色付けした模型の飛行機を置いた。敵機はそれには見向きもせず、倉庫だけに機銃掃射していた。
星野荘蔵 部隊からの免税権を持って行くと、一回二十円でアレできた。イザ本番の時に警戒警報。女が俺の金持って逃げて行った。
上原武雄 敵が上陸するならアメリカから一番近い八戸だろうと、山の中に道を作ったり、横穴を掘ったりしていた。
金子一 兵舎ではお互いに母親や姉達からの手紙を回し読みしてみんなでワイワイ泣いたもんだ。十四(歳)の時だった。
小島長五郎 初年兵教育をしていて、不動の姿勢、挙手の礼、早歩駆け足、捧げ銃などの基本的なことを教えた。
小貫幸太郎 俺はやっぱり丙種合格、みんな俺をバカにしていると思ったけど、俺の顔を見て、お前は運の良い人だと喜んでくれたのよ。
林崎徳次郎 アメリカ軍の日本向け放送、禁止されていたがときどき聞いた。大本営発表は間違っているとか繰返し放送していた。
 
あとがき
 
文庫版あとがき 元兵士を再び訪ねて