新・地球日本史 2
口絵
対談▼国民国家の立ち上がりから怒濤の昭和へ
「国民国家」の立ち上がり
明治の日本人が残した独自ソフト
明治天皇、君主の愁いと悲しみ
断絶のある欧州史と継続する日本史
西洋の価値観支配した米の戦争観
共産主義を信奉した知識人の危うさ
1 アメリカ国民の中国理解の低さ
中国の現実を無視した「門戸解放」
リットン報告書は中国の実態指摘
日本に向けられた中国の排外主義
米国官民に強まる「中国びいき」
国際法を無視してまで中国に迎合
米国への絶望感が満州事変の伏線
2 孫文に裏切られた日本人たち
中国、台湾双方の「国父」孫文
「恵州蜂起」に殉じた山田良政
資金援助を続けた平岡浩太郎ら
満蒙独立のために奔走した川島浪速
孫文の変身と内田良平らの離反
日本時代の足跡消す中国の記念館
3 日本の満州政策に大きな問題はない
なぜ満州国に中国人は殺到した?
語られない満州事変以前の惨状
満州再建は列強日本の責任だった
満州国の成立を住民も支持した
東アジアに出現した一大産業国家
戦後中国を支えた満州国の「遺産」
4 中国戦線におけるコミンテルンの戦略
レーニンの「アジア迂回」政策
「マーリン方式」による国共合作
国共合作の崩壊と共産党の敗走
世界史を変えた西安事件と周恩来
日中戦争の謀略に乗せられた日本
5 南京大虐殺は存在せず
世界を駆けめぐった米紙の特ダネ
米国人特派員は目撃していなかった
毛沢東は「虐殺」を否定していた
人口と同じ人数が殺害された?
告発の書は中国国民党の宣伝本だった
極秘文書にも「虐殺」の記述ない
6 ノモンハン事件とスターリンの狙い
国境紛争起こしたのはソ連だった
モンゴルに苦難の歴史強いたソ連
民族派粛清でモンゴルを衛星国化
日本の脅威を封じ欧州専念狙う
日本と停戦し、ポーランドへ侵入
日本軍は戦闘で善戦したが・・・・・・
7 汪兆銘政権は日本の傀儡ではない
「偉大なる愛国者」か「漢奸」か
支那事変の不拡大に腐心した日本
日中和平求め重慶を脱出した汪兆銘
近衛三原則受け蒋介石に和平提議
本音言い責任を負う者の悲劇を予感
孫文の理想と日本の理念に殉ずる
8 大正・昭和初期のエリートへの疑問
ノーブレス・オブリージェとは何か
軍人勅諭・教育勅語の国家意識
武士道で戦前の日本が語れるか
文と武の乖離招いたエリート教育
愛国心・大和魂と国への使命感
父・二郎にみる戦前官僚の「公」
9 現人神の真実
「現人神は明治以来」の幻想の呪縛
教育勅語に天皇の絶対神化はない
多様な天皇論の中から生まれた「現人神」
共産主義の脅威と「総力戦思想」
政府刊行物に初めて「現人神」登場
昭和の危機克服から生まれた概念
10 保護貿易と日本
世界の市場失い、孤立化する日本
日本ボイコットで対中輸出が激減
米国は工業製品に差別的対日関税
英連邦諸国との貿易戦争
中南米・中東もこぞって対日輸入規制強化
戦後復興につながった通商紛争
11 京都学派の世界史的見方
秘密会合語る「大島メモ」の出現
京都学派を危うくした「思想戦」
海軍の限界見据えながらも協力
二度改変された西田幾多郎の草稿
後世に「戦争の美化」と映る悲劇
12 日独伊三国同盟
日独連携の推進一色ではなかった
ヒトラーが仕掛けた「防共」の罠
対独協定を決断させたソ連の動き
駐独・伊大使に攪乱され政府迷走
対米軍事同盟に変質した日独提携
生かされていない三国同盟の教訓
13 東條英機の実像
東條ひとりに罪を押しつける陰謀
日本には「独裁者」はいなかった
侵略戦争の共同謀議は砂上の楼閣
東條の運命変えた二・二六事件
負の遺産背負った最終ランナー
独ソ英米の策謀家に敗れた弱さ
14 ルーズベルトの覇権思想
「世界市場支配」政策の継承者
ニューディールは米国を救ったか
「ソ連のスパイ」だった高官たち
「ハル・ノート」は誰が書いたか
米国と世界の利益が一致する政策
武力で達成した「アメリカの世紀」
15 翻弄される最後の外交
経済制裁招き選択迫られた日本
情勢判断抜きで策定された戦略
日独伊三国同盟で何を得たのか
「さまよえる大戦略」の末の開戦
見抜けなかったハル・ノートの罠
16 日米開戦やむなし
近代日本が背負った歴史的運命
「ハル・ノート」と日本の尊厳
大きかった日露の“勝利の代償”
日米必戦論と「オレンジ計画」
有色人種のトップランナーの孤独
運命を自覚した武士道の悲しみ
17 大東亜会議の栄光と悲惨
植民地主義めぐる日米英仏の攻防
大東亜機構創設か対日離反防止か
アジアの独立尊重謳った宣言原案
「傀儡」イメージを超えた各国代表
仕組まれたインド独立と反英演説
戦争目的の混乱招いた大東亜宣言
18 戦後の日本を決めた米国務省文書
戦後広育の原点『太平洋戦争史』
米の公的歴史観示す『平和と戦争』
贖罪意識を醸成したラジオと映画
洗脳工作は新聞連載から始まった
初めて知らされた「南京大虐殺」
他国に強要された物語に終止符を
「あとがき」にかえて
日本人は運命の振り子を自ら動かせたか