図書センソウ ワ マダ オワッテイナイ000047310

戦争はまだ終わっていない

サブタイトル1~10
謝罪と赦しと和解と 敗戦60年
編著者名
雨宮 剛 著者
出版者
雨宮剛
出版年月
2005年(平成17年)8月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
504p
ISBN
NDC(分類)
210.76
請求記号
210.76/A42
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

まえがき

第1章 私にとって戦後六○年とは・・・・・・
戦後六○年-私がいまいちばんこだわっていること(氣賀健生)
「はてな?」を考える(栗林一路)
憲法第九条死守-私の戦後六〇年(大川信夫)
私の八月十五日(関口邦平)
戦争か平和かの分岐点立って-戦後六〇年と私(武藤陽一)
私の戦後六〇年・点の記(山田昭一郎)
一九五○年に生まれて(志田好江)
学校は今・・・・・・・現場教師のジレンマ(江澤惠)
アジアに対する日本の戦責を問う-民族学校の現場から(伊藤文子)
母親として今再び、フィリピンに学ぶ(山浦真由美)
今の幸せ、すべて平和憲法の賜物(奥津隆雄)
平和-体験と想像が織りなすもの(遠藤信子)
若い世代の戦後六○年、語り継ぐ責任(神直子)
フィリピンの誰もが知っていること、私たちも知るべき(伊藤洋子)
私にとって戦争責任とは・・・・・・フィリピン・ネグロス島から(西島恵)
平和構築に向けて、真のノーマライゼーションを(曾根亨一)
初めの一歩-幼年画について(北田道也)
戦争を子どもにどう伝えるか(境野桃)
「手をとりあって・・・愛しき教えを抱き」(湊谷翔)
「教師」と子供たちの未来(高橋直規)
戦後多様化社会は人間を「豊か」にしたか(楢木裕章)
小さなことから始めよう-平和のために(小河原励子)
内なる利己との戦い(及川聡)
戦後六〇周年メッセージ~ゆっくり、ゆっくり・・・・・・(田中祥一)
沖縄の心に聴く(竹花和成)
日本人に欠けている戦争伝承(笠原正弘)
エトロフが教えてくれたこと(角屋美佐)
たとえ小さな歯車でも(多田祐希子)
在日朝鮮人女性の身体言語に見る歴史(宋連玉)
これからの五○年を生きるために(吉田俊実)
まずアジア人同士の相互理解が・・・・・・-一日本語教師の思い(柴生玲子)
「赦す」ということ-先行すべきは反省と謝罪(マックマン敏子)
戦後の苦難と悲しみと(松倉達夫)
学徒勤労動員の体験記(鈴木拓)
私の靖国神社に対する所懐(今泉保二)
耳があっても聞こえない民よ、これを聞け-エレミヤ書第五章二一節(田村忠幸)
欠けていた近隣国への思いやり(池上博)
戦後六○年-被害者の立場になって考えてみよう(雨宮治)
教育の既往を認つめて(渡部良三)
痛みの分かち合い-これこそ世界が日本に望むもの(ジョージ・W・ギッシュ)
挫かれた希望、ただ無念!(永瀬隆)

第2章 戦時下、日本のキリスト者はどう生きたか
教会と戦争責任-個人史的回顧を中心に(関田寛雄)
天皇制とホーリネスの弾圧-祖父・本田文治との関連を中心に(木田献一)
受難と抵抗のはざまで-ホーリネス弾圧と父の死のいたみ(辻宣道)
雲の柱もて導く神-父啓蔵の獄死とその後の私の人生(辻宣道)
〈特攻隊員の手記〉林市造「元山より母堂への最後の手紙」を読んで(志田好江)
〈学徒出陣〉〈『きけ わだつみのこえ』〉
キリスト者としての信仰をどうたもつか?-ある特攻隊員の回想(豊崎昌二)
〈ある牧師の証言〉私の予科練体験と平和への思いと祈り(雨宮恵)
〈なーなーつボータンは さーくらにいーかーりー〉
〈証言〉私の戦中体験 クリスチャン家庭ゆえに受けたいじめと心の傷(早瀬久代)

第3章 ここにもこんな戦争の体験と記憶が・・・・・・
〈通訳戦記〉一九四一年十二月 陸軍通訳任命(永瀬隆)
インパール作戦と「白骨街道」(永瀬隆)
特攻-時代に殉じたわが仲間たちへの鎮魂歌(上田璋一)
〈証言〉特攻隊の出撃を見送った私(阿部幸雄)
銀座の午後・その後(鈴木一史)
ペリリュー島米軍上陸六○周年記念式典-東条英機の孫娘も出席(竹田ヒロ子)
故 飯島米子さん 六○年目の「帰郷」
〈ボルネオ島クチンに残る戦争の跡〉(羽豆拓夫)
バイリンガル・ウェブサイト『捕虜:日米の対話について』(徳留絹枝)
〈理解と和解のための日米対話〉元米軍捕虜の体験を語り継ぐ(ドナルド・L・ヴァーソー)
「生きる意味」の意義(雨宮剛)
〈「戦犯の子」手記 米のサイトに〉
〈詩〉ア・トム物語(真柄達夫)
〈詩〉いのちつたえて(濱裕子)
〈詩〉戦争(池田拓朗)
〈詩〉美しい誓い(滝いく子)

第4章 日本軍はフィリピンで何をしたか
〈日本国首相への公開書簡〉
心からの謝罪と補償を-フィリピンからのアピール(ウォレン・P・アングリオント)
謝罪と赦しと和解-私たちフィリピン体験学習の意義(雨宮剛)
一九四四年一二月一日、ティパスの惨劇(ドナート・エスタシオ)
〈サンチャゴ要塞と地下水牢〉
〈悪名高い「バターン死の行進」〉
平和と和解のステイトメント(第14回フィリピン体験学習参加者)
ティバスの人びとに神の祝福あれ!(ファザー・ベン・ヴィリョーテ)
日本のフィリピン占領とその傷跡-マニラ大虐殺を中心に(イサベル・カルロ・ウィルソン)
〈「愛(アガペー)の像〉の問いかけるもの〉〈大里喜美子〉

第5章 足もとから加害責任を問う
-英連邦戦死者墓地の意味するもの
和解への道程-罪認識と謝罪からの出発-〈斉藤和明〉
〈インタビュー〉NHKジャーナル 話・第10回英連邦戦没捕虜追悼礼拝を前に(雨宮剛)
「祈り」と「戦没捕虜の霊へ」(アリゾナ大学名誉教授・レスター・テニ-)
〈追悼の辞〉隔ての壁をのり越えて(大庭昭博)
過去の記憶-和解への道-来賓のあいさつから
オランダ人捕虜の辿った悲惨な運命(在日オランダ王国全権大使・F・E・ヤーコプス博士)
無知は人類の最大の敵
戦争の過酷な記憶の克服
神話は真実の敵
過去との対話-横浜に眠る戦死者たちからのメッセージ(オランダ王国外務大臣・ベルナルド・R・ボット)
〈追悼礼拝10年に敬意〉
〈ドイツに学べ、追悼のかたち〉

第6章 もっと広い世界に目を・・・・・・
海外ボランティアを志す人びとのために
まず自らのライフスタイルの転換が(伊藤洋子)
助け、助けられる関係を築く(西島恵)
〈スピーチ〉「ライフ・イズ・ビューティフル」(西島恵)
英語教育は英語だけを教えるのか?(田中祥一)
「人の想いと行動」による、小さくスローな社会運動(神直子)
-歴史から学び、広い視点に立ち、成果を急がず俯瞰しよう
目に見えない世界に目を開くこと(マックマン敏子)
洪水とホロコースト(栗林一路)
身を以って望みし戦忘れねばその愚かさと惨さ伝えん(土屋献公)

第7章 ひめゆり「退屈」問題、重く受け止めよう
本当に恥ずかしいこと・・・沖縄から抗議の声ぞくぞく
沖縄戦の語り部として(日本キリスト教団那覇中央教会牧師・金城重明)
時代の壁越え罪を語る(金城重明)
ああ「青山学院」!「青山学院」!(沖縄在・日本キリスト教団牧師・平良修)
青山学院の方々に是非お願いします(日本キリスト教団沖縄教区牧師・笹淵昭平)
学院を憂う(日本キリスト教団首里教会牧師・竹花和成)
「青山学院入試問題」から思うこと(佐喜真美術館長・佐喜真道夫)
松田其枝の「(ひめゆり学徒の)手記」を掲載するに当たって(日本キリスト教団沖縄教区石川教会主任牧師・村椿嘉信)
沖縄戦とは何であったのか
声明
「沖縄県民に謝罪し、学院当局の責任を問い、今後の改善策を提案する」
(青山学院大学名誉教授・関田寛雄ほか名誉教授有志二三名)
私はこう考える-青山学院高等部入試問題をめぐって
先ず謝罪を-(関田寛雄)
いま、腹の底から憤りを・・・・・・(福原文雄)
戦争ビジネス時代(栗林一路)
「青山よ、お前もか!」そして「松代のこと」(関口邦平)
“こころ”をとりもどそう(氣賀健生)
沖縄の新聞、連日の訴え-本土との落差を憂える

第8章 「青山学院大学プロジェクト95」(一九九三~二○○五)
-回顧と展望
「青山学院プロジェクト95」とは(志田好江)
感想と批評 特に『青山学院のメソジズムと学風』を巡って
「青山学院大学プロジェクト95」に関わって
「青山学院大学プロジェクト95」(一九九三-二〇〇五)を顧みる
資料編
青山学院神学部と名古屋中央教会の関わり(鈴木拓)
〈青山のイメージ〉有体にいえば…青学周辺の人たちの見た青山学院
都築見習士官(行徳有三)
〈戦没者追悼〉松井、吉川両君の最後(池谷久男)
〈戦没者名簿補遺〉
-大空のサムライ
200times!-豊田先生に学ぶ
熱い動機づけ、努力導く-エジンバラ大学特任客員教授國弘正雄さん
ひたすら音読と暗誦(斎藤宏)
書評 『フィリピンに学ぶ』(石井茂)
出陣学徒へ日章旗、恒藤恭ら墨書
「愛(アガペー)」の像について(鈴木正久)

あとがき