囲碁百年
はしがき
第1章 近世囲碁史概観
明治維新と家元
方円社の創立
四象会
囲碁とジャーナリズム
名人秀栄と秀哉の決戦
田村・雁金戦の八百長
明治掉尾の動乱
方円社の盛衰
第2章 日本棋院の創立
棋界合同の機運
裨聖界の旗揚げ
棋士と対局
中央棋院
関西棋壇
中央棋院のクーデター
三派鼎立
六華会
徒弟制度(師弟制度)
段位制度
日本棋院の成立
日本棋院の機構
段位免状料
定式手合制度
第3章 棋界の離合集散
棋正社の分裂
関西棋壇
都下学生囲碁連盟の発足
岩佐、鈴木、瀬越七段推薦
段位制崩壊の兆
院社対抗戦
本因坊・雁金の決戦
鈴木・野沢十番碁
瀬越・高橋戦「万年劫」問題
囲碁憲法成文化への第一歩
呉清源きたる
岩本六段ブラジル行
巌崎、中川両八段の死去
囲碁国際化の先駆
囲碁の東洋的性格
水谷、村島両棋士、終局にいたらず中止
雁金、高部両氏八段昇段
日本棋院財政難
東日本素人県対抗戦
鈴木七段の「囲碁大辞典」
第4章 新布石時代
新布石法あらわる
新旧両法の対比
木谷、呉、新布石で大手合に優勝
「新布石法」の刊行
日満親善囲碁使節
新布石と日本棋院
新聞囲碁欄の展望
ラジオ手合
日本棋院免状料の復活
中国碁況
全国アマチュア選手権大会
新聞囲碁欄の情勢
本因坊引退碁
福田六段の渡欧
関西棋界その後
第5章 戦争と囲碁
「朝日便法」昇段
甲乙両組の撤廃
高段、低段の対立
点数制度
七十点昇段の意味
囲碁、将棋中支慰問行
昇段異聞(握り昇段)
本因坊秀哉死す
本因坊名跡争奪囲碁選手権戦
棋界名士の死去
棋道報国会誕生
木谷、呉十番碁
高部八段の珍裁判
満州棋院
久保松七段の死
三長老八段推薦
木谷、呉清源八段昇進
瀬越八段ら渡支
戦時下の本因坊戦
棋士と手合
関山対高橋の一局
本因坊決戦、関山・橋本戦
準名人制
小野田七段死去
藤沢七段昇進
本因坊戦第二期
日本棋院焼失
第6章 戦後棋界の活況
戦後の棋界
第三期本因坊戦
大手合再開
呉清源のその後
囲碁新社の分裂
終戦直後の日本棋院
岩本本因坊八段推薦
アマ本因坊戦
棋界復活後の呉清源
囲碁憲法の制定
藤沢九段の昇進
囲碁新社の復帰
黎明会の誕生
橋本八段、藤沢九段に挑戦
日本棋院における藤沢の地位
菊地康郎青年の抬頭
呉清源対高段者総当たり戦
アマチュア団体戦
アマ・プロ論
橋本、第五期本因坊になる
関西棋院の分裂
喜多文子六段死去
「お城碁」の刊行
瀬越八段ハワイへ、福田六段アメリカへ
本因坊戦一年制の波紋
橋本・坂田本因坊決戦
第七期本因坊高川秀格
呉清源・藤沢の決戦
藤沢、日本棋院脱退
坂田九段昇段
最高段位戦
第7章 変動から安定へ
その後の日本棋院
瀬越名誉九段問題
大手合制度改革
日本棋院「ぶんなぐり」事件
最強決定戦
囲碁使節団、瀬越九段らの訪台
中国へも囲碁使節
アマ三人組の活躍
「名人戦」発足す
日中両様式の相違
マネ碁問題
国際囲碁協会騒動
高川本因坊九連覇
坂田本因坊制覇
「東京アマチュア囲碁連盟」全国組織に乗り出す
囲碁ルール改訂委員会
全日本アマチュア囲碁連盟創立
朝日アマ十傑戦開始
振袖トリオ海を渡る
中国囲碁団の来日
中国囲碁界の現況
国際囲碁組織化への動き
朝日アマ十傑戦の中心青年層に移る
陳祖徳勝つ
坂田三冠王となる
関東、甲、信、越、静都県対抗戦
安永、石毛、中国を訪問
無人の野を行く坂田九段
中国囲碁代表団とアマ十傑参加問題
プロ、アマ、中国選手の実力
原田稔、アマ二大タイトルをかちとる
日本棋院の大紛擾
梶原代表団、中国へ
勤労層と囲碁
第六回学生本因坊、中央大の吉田君に
アマ囲碁界に新構想
林海峯、坂田を破って青年名人誕生
女流アマ本因坊、小川誠子さんに決定
第8章 棋界無風帯に入る
木谷・呉時代去る
専門棋界の逆ピラミッド型化
新聞対局
四劫無勝負の実戦例
朝日プロ十傑戦(第三回)
林名人、坂田に連勝
アマ本因坊戦に菊池優勝
王座戦で坂田、林に雪辱
「学生囲碁」の沿革
文化大革命下の日中囲碁交流
テレビ早碁の進展
巻き返す古豪中堅
関山利仙(第一期本因坊)死す
藤沢秀行、名人位を奪う
橋本宇太郎九段のカムバック
「名人戦」をめぐる朝日、読売の決戦
日中棋戦再開
国際棋界の状況
アマ棋界に「緑星会」生まる
「棋聖戦」幕を開く
付録
別編 碁の起源
古代中国における伝承
十七道から十九道へ
チベットの碁
アジア囲碁分布考
界線再論
日本様式の錯覚
結論
記録 家元および主要棋戦成績
四家元総覧
歴代名人