満州第201部隊の悲劇
- サブタイトル
- 興安嶺、車輛を捨てて悲劇の行軍
- 編著者名
- 出版者
- 満州第201部隊戦記刊行会
- 出版年月
- 1978年(昭和53年)10月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 267p
- ISBN
- NDC(分類)
- 396.21
- 請求記号
- 396.21/Ma47
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 昭和館デジタルアーカイブ
語り継ぐべき戦争物語(松本政治)
はじめに-満州第二〇一部隊の足跡(刊行委員代表・藤川巌)
第一部 回想の戦記
歩兵第百七十七連隊の戦闘(米本勝男)
開戦から西口作戦まで(猪俣三郎)
ソ軍を迎えて武者ぶるい(野沢辰雄)
痛恨、停戦の日(溝井清)
右腕貫通銃創(三戸清美)
隊列から去っていった軍用犬(千葉米実)
東北弁がわからず参った(住田稔)
虱との戦いも(高橋為雄)
在満召集兵と朝鮮兵(玉ノ井憲義)
私と第二〇一部隊(高橋文雄)
大興安嶺を敗走(木村尾司)
愛馬「東水号」との別れ(佐藤竹太郎)
急造爆雷と肉攻競技会(石川健一)
工藤政吉上等兵の戦死(石田信夫)
我らは輸送隊(木村善作)
敗戦に声を立てて泣く(杉本年男)
参謀長、西口の激戦で自殺(加藤七五郎)
外蒙捜索三十二時間(中野藤次郎)
開通からチチハルへ(高橋芳男)
敗惨の退却行(岡野与一郎)
門出のトロロ芋(洞口伊章)
北満の二ヵ年を想う(岩淵正助)
退却の恐ろしさ(鈴木軍一)
三国山、半歳の思い出(近藤義久)
気球が爆発(高屋基)
結婚も断って応召(永井猛)
ジンギスカン道路(菊池唯雄)
戦死者は福沢だった(西塚与惣吉)
胸に「よか」の標識つけて(匹田三郎)
ソ軍に捕らえられ終戦を知る(高橋忠雄)
私の軍歴(鈴木国造)
私は応召三度(上村哲)
「おい来たぞ、来たぞ」(長岡半六)
ゆくえ不明になった財布(木村光雄)
兵舎焼却、私物投棄(沢田忠之助)
「戦友、水、水」と叫んだ(工藤芳雄)
新京で終戦をきく(小田桐磯一)
興安嶺への彷徨(西冨一郎)
西口の戦闘で最期の杯(毘求)
私は自動車班(熊谷當栄)
シベリアも懐かし(西村市郎)
私と初年兵教育(遠藤松男)
辛かつた対抗ビンタ(菊池春男)
五叉溝追懐(浅野銀之丞)
三角兵舎のランプ生活(蜂谷美賀雄)
五叉溝の山、狼の遠吠(佐々木友兄)
徳伯斯の野火に驚く(芳賀正明)
私は河崎隊(船ヶ沢子々蔵)
戦車攻撃の決死隊だった(三浦初太郎)
竹製の水筒に帯剣(鈴木重五郎)
愛馬の腹の下にもぐる(佐藤良吉)
「初年兵、穴に隠れろ」(舘下金作)
携帯口塩が救い(佐藤庄六)
愛馬とともに戦う(佐々木喜一郎)
私は和尚さん、時にはお説教も(福盛田好道)
あっ、それはソ連機だった(菅野恒雄)
一日中、オシルコ食べて(藤原岩人)
爆雷を抱いて特訓(菊池一男)
狼が歩哨に飛びかかる(漆沢勇吉)
迎春花の咲く丘(猪俣三郎)
救命のアマドコロ(藤川巌)
西口脱出と号什台の夜襲(佐々木清三)
わが連隊旗のゆくえ(竹村亨)
軍旗と仏法僧と引き揚げ邦人(吉田五郎)
カラングィの丘に演芸班(佐藤正三)
第二部 大陸の空の下 抄
再録に当って(藤川巌)
斉々哈爾、昴々渓、五叉溝
終戦、ソ連抑留
大陸の空の下 抄結び
第三部 資料編
軍人勅諭五ヵ条
満州建国と崩壊の歴史
チチハル市街概見図
第百七師団編成並びに損耗概見表
第百七師団号什台附近戦闘経過要図
第百七十七師団連隊の編成
日ソ開戦時における第百七師団主要幹部一覧表
第百七師団作業大隊編成抑留地
折り込み資料
満州第二〇一部隊戦没者名簿
第百七師団戦死(戦病死)者数
満州第二〇一部隊生存者名簿
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