図書ソノ ジダイ ノ クウキ000046890

その時代の空気 上

サブタイトル1~10
明治・大正60年間の新聞記事 生きた歴史
編著者名
武藤 直大 編注
出版者
ラ・テール出版局
出版年月
2004年(平成16年)10月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
324p
ISBN
4947681772
NDC(分類)
210.6
請求記号
210.6/Mu93/1
保管場所
閉架一般
内容注記
和書
目次

目次
序文 新聞は歴史の発生現場レポ
明治編 気骨と知恵の国づくり
まえがき
慶応三~四年(一八六七~六八)幕府と官軍のどちらにつくか 維新直前の心理
日本全土を買収する 驚くべき米国の脅し[慶応三年六月中旬 万国新聞紙]
薩州の兵七〇〇が江戸に出発 会津・伊予・備中の諸公朝廷に敵対[慶応四年二月二十四日 中外新聞]
江戸城入り平和裡に終幕 西郷と勝の腹芸[同年三月二十八日 中外新聞]
日本の新聞の起源は本紙[同年三月二十八日 中外新聞]
慶喜恭順の誠意示し水戸へ退去 三百年の城地を奉還[同年四月 太政官日誌]
日本は大義名分を忘れた世界一弱い国[同年五月十六日 曽よ吹く風]
ヘラルド紙が書いた上野戦争[同年五月二十二日 江湖新聞]
明治元年(一八六八)新政府樹立 賊軍の末路
慶応四年九月八日を以って明治元年と改元 一代一元の 制定まる[明治元年九月 太政官日誌]
徳川家から外国公使へ政権返上を通告[九月九日 もしほ草]
会津若松城落城別記 十七人が官軍の前で見事に切腹[十月二十八日 もしほ草]
榎本釜次郎が函館を襲撃 露国の動静が気遣われる[十一月十三日 もしほ草]
明治二年(一八六九)世界を意識し始めた日本
人道の偉人リンコルン暗殺され、未亡人が扶助を要求[三月七日 中外新聞]
切腹廃止論[三月 議事録]
刑罰は本人だけに限るべし軍務官判事 森金之丞[四月 議事録]
位階官等を制定 希望により月俸は米でも支給[八月二十六日 中外新聞]
明治三年(一八七〇)海外諸国との新しい関係
海外旅行規則を発布「海外に行ったとて父母の国日本を捨てるような心配はない」[一月十三日 もしほ草]
日米間を十五日で航海 上等賄いで二五〇ドル[三月十三日 もしほ草]
鹿児島藩士の非征韓論 横山正太郎が投書して割腹[八月十日 太政官日誌]
平民の苗字が許される[九月十九日 太政官日誌]
明治四年(一八七一)廃藩置県と当時の社会事情
廃藩置県の大詔下る 旧来の因習を打破し、法律命令を一本化[七月十四日 太政官日誌]
コメで給与する弊害を訴える[七月 新聞雑誌]
梅毒病院を千住小塚原に設置 人倫の大道を買女に論告[十月 新聞雑誌]
幼少の女性五名が米国に留学 九歳の津田梅子も[十一月 新聞雑誌]
検梅で大騒ぎ 部屋に鍵して逃走防ぐ[十二月十六日 大阪日報]
小学校開かれる 男子八歳から二十歳まで[十二月 新聞雑誌]
明治五年(一八七二)文明開化の進行
英国四〇〇年の開化を四年間で 外国紙が褒める日本の大変革[一月 毎週新聞]
日本最初の女学校 華族も平民も入学許可[一月 日要新聞]
銀座の芸者 発奮して英語を習う[四月十六日 東京日日新聞]
品川-横浜間の汽車開通 着発時刻と賃金[五月 新聞雑誌]
芸娼妓を解放 理由は牛馬に弁済を求める理由なし[十月九日 東京日日新聞]
梅毒恐るべし 四肢百体を腐食 娼妓解放一面の悲劇[十月二十日 東京日日新聞]
断乎、太陰暦を廃し陽暦採用 改暦の証書下る 明治五年十二月三日を以って明治六年一月一日と定める[十一月新聞雑誌]
明治六年(一八七三年)近代社会へ種々の制度づくり
復讐は国禁とする 刑罰を下すのは政府の公権[二月 郵便報知新聞]
一里が六千二厘の人力車賃の規則を取り消し、相対決めで[六月 新聞雑誌]
華族の禄高は勅任一等官の俸給 総数四三二人 一人平均月七四六円[十一月九日 東京日日新聞]
朝鮮征伐についての世論と廟議[十一月 新聞雑誌]
陛下の御尊影を各府県に御下付[十二月五日 日新真事誌]
明治七年(一八七四)個人の言論が新聞紙上に
先ず国力を充実して後、兵を外に用いよ 参議・木戸孝允の建白[三月九日 東京日日新聞]
農民に告げる文 福沢諭吉[四月十八日 新聞雑誌]
下等な人種 江戸っ子[八月十七日 東京日日新聞]
渡米の津田梅子 十一歳で英文を綴る[九月八日 新聞雑誌]
天長節 [十一月二日 読売新聞]
明治八年(一八七五)言論統制が始まる
お目に止まった果報[七月二十日 東京曙新聞]
新聞条例と讒謗律(ざんぼうりつ)[七月 評論新聞]
新聞条例による犠牲者続出[八月十六日 東京日日新聞]
新聞条例、讒謗律とはどこの国の法律か 成島柳北[八月十五日 朝野新聞]
成島柳北訊問の手記[九月二日 朝野新聞]
果然、征韓の論議が全国に沸騰[十一月二日 東京曙新聞]
陸軍の中の強硬論者 山縣、西郷、大山[十一月 評論新聞]
明治九年(一八七六) 士族の不満と征韓論
黒田、井上が韓国政府に抗議 江華湾事件ようやく本筋に[一月二十八日 東京日日新聞]
江華湾事件が円満解決[三月三日 郵便報知新聞]
政府は征韓の兵を逆用して薩摩を討伐 ガゼット新聞の大ヨタ[三月二日 郵便報知新聞]
千葉周作先生が料亭経営[四月二十四日 東京曙新聞]
故山の西郷隆盛 犬をお供に山野を跋渉[五月八日 東京曙新聞]
老婆の学才で士族の商法頓悟(注・早く悟る)[五月十一日 朝野新聞]
薩摩兵変装して品川に上陸 諸大臣邸の警戒厳に[五月十五日 東京曙新聞]
人力車夫になった若殿様、昔の家来に会う[八月一日 東京曙新聞]
散発命令が出そうでビクビク[八月三日 読売新聞]
熊本暴動の公報[十月二十九日 朝野新聞]
熊本の暴徒・神風連の信念[十月三十日 東京日日新聞]
士族の不平到る所に勃発 まさに戊辰当時を再現[十一月四日 東京曙新聞]
明治十年(一八七七)西南戦争と西郷隆盛
明朗々たる大西郷の心境 大挙上京する真意を説く[一月二十六日 東京日日新聞]
西郷の私学校設立由来記[一月二十七日 東京日日新聞]
鹿児島の暴徒熊本に乱入 遂に賊徒征討の大詔が降下 有栖川宮が征討総督を任命[二月二十日 東京日日新聞]
賊徒叛逆の実情をあきらかにし、征討のやむべからざるを宣布[三月五日 東京曙新聞]
西郷脱出の状況[九月八日 郵便報知新聞]
賊徒の胸中では、入京は朝飯前と考える[四月二十一日 東京曙新聞]
西郷、開墾地を餌に農民を釣る[六月二日 東京曙新聞]
高朗の心境も周囲に誤解され、大西郷遂に「もういかんぞよ」[九月七日 東京曙新聞]
メーター付きの人力車[八月十七日 東京日日新聞の広告]
市ヶ谷の囚人按摩 一時間一銭で出稼ぎ[八月二十一日 郵便報知新聞]
皇女和宮ご薨去[九月十四日 東京日日新聞]
明治十一年(一八七八)大久保利通暗殺 庶民の暮らし
万引きの嫌疑でお客を丸裸に[一月二十八日 郵便報知新聞]
上流紳士の国際的交際法が決まる[二月十八日 東京日日新聞]
西南戦争の死傷者数[二月二十六日 東京日日新聞]
一等地は百坪二九五〇円 東京の住宅地の地価[三月六日 東京日日新聞]
清水の次郎長が正業につく[四月二十八日 民間雑誌]
扶桑・金剛・比叡の三艦が英国で竣工 ロシヤが希望[五月七日 朝野新聞]
兇漢島田一郎ら六名 大久保利通を紀尾井町に刺す[五月十五日 東京日日新聞]
大久保内務卿遭難実記[五月十五日 朝野新聞]
朝野新聞が発行停止になる[五月十六日 東京日日新聞]
島田一郎の斬姦状掲載が問題 朝野新聞の発行停止[五月二十五日 東京曙新聞]
「待てっ」と大久保最期の一喝 懐中には西郷の手紙[五月二十七日 東京日日新聞]
東京株式取引所が開業[六月一日 東京日日新聞]
日本の人口は三千三百万余 前年に比べ百分の一増加[七月七日 東京日日新聞]
新富町女郎の十六人回し[十月十八日 東京曙新聞]
明治十二年(一八七九)毒婦高橋お伝 琉球の帰属問題
惨刑梟示の刑を廃止[一月十一日 東京曙新聞]
小学校を女紅場にする計画[一月十二日 朝野新聞]
毒婦高橋お伝に斬罪の判決[二月一日 朝野新聞]
毒婦高橋お傳(一)夫波之助の業病[二月一日 東京曙新聞]
同(ニ)大医ヘボンに頼る[二月三日 東京曙新聞]
同(三)波之助の変死[二月四日 東京曙新聞]
同(四)妖婦をめぐる三つ巴[二月五日 東京曙新聞]
同(五)掘られた穴へ引きずられる[二月六日 東京曙新聞]
同(六)慾の上でか仇討ちか[二月七日 東京曙新聞]
獄中四年容色衰えず 油ぎったお傳の死体[二月十二日 東京曙新聞]
琉球に派遣された松田大書記官が帰京[二月十五日 東京曙新聞]
琉球に廃藩置県を断行か 陸兵及び巡査をも派遣の用意[二月二十七日 朝野新聞]
琉球の処分急遽決定 支那の抗議による粉擾を懸念して[四月七日 東京日日新聞]
琉球藩を廃し沖縄県を置く 鍋島直彬が県知事[四月八日 東京日日新聞]
門前に沖縄県庁の木標を掲げる[四月十二日 朝野新聞]
清国公使何如璋が日本政府の琉球処置を非難[四月二十日 朝野新聞]
琉球問題に関する支那の抗議 上海外字紙の報道は信ずべくか[四月二十一日 東京曙新聞]
廃藩置県に民心動揺したが、琉球藩王子ついに上京参内す[五月五日 東京日日新聞]
琉球に対する断固たる処分で日支関係の危機[九月二十三日 大えい新報]
明治十二年の出来事(四)[明治十三年一月七日 東京日日新聞]
夫婦喧嘩統計表[六月二十六日 朝野新聞]
明治十三年(一八八〇)国会の開設運動 変化の時代
三井物産会社・益田孝社長の宣言[二月十四日 中外物価新報]
嫌な客は取らぬ 娼妓の自由論に楼主が仰天哀訴[三月二十八日 朝野新聞]
廃妾法案を元老院に提出[六月四日 東京日日新聞]
蓄妾説が勝った記事は事実無根[六月七日 東京日日新聞]
国会開設は不平士族の唱導に非ず 知識も財産もいまや平民のもの[七月九日 朝野新聞]
吉原杉戸屋の七人斬り 三十銭の勘定不足を罵られた巡査[七月二十五日 東京絵入新聞]
哀れ、慶喜公を助けた侠客新門辰五郎と金貸し[十一月七日 読売新聞]
明治十四年(一八八一)初めての国防意識 政党の誕生
東京湾口に鼎立の三砲台 帝国首都の防備初めて全し[一月二十九日 東京日日新聞]
東京湾口に第一防御線成る[二月五日 朝野新聞]
娘十六 天下無敵 物凄い求婚広告[五月二十日 東京横浜毎日新聞]
毎夜出現する転輪王のみこと[七月十七日 大阪新報]
国会期成同盟会が大合同して自由党結成[十月三十日 朝野新聞]
自由党本部の看板、撤去を命ぜらる[十一月十日 東京日日新聞]
明治十五年(一八八二)言論の弾圧が強まる
大学教授の栄職を投げ打ち代言人に鳩山和夫の決心[一月四日 東京日日新聞]
演説会に聴衆名簿の作成を命令[一月十四日 東京日日新聞]
相当の紳士も政府の間諜業を始める[二月四日 郵便報知新聞]
大隈重信を党首に立憲改進党を組織 犬養、尾崎、箕浦らが傘下に[三月十四日 郵便報知新聞]
板垣自由党総理 岐阜で刺される 犯人は愛知県士族・相原直文[四月八日 東京日日新聞]
板垣退助の凶変続報「板垣死すとも自由は死せず」[四月十二日 東京日日新聞]
内々探偵を廃止 市中の親分を使うことで弊害[六月五日 東京日日新聞]
芸者を密偵に使用 お役人の珍案[六月十四日 郵便報知新聞]
政府が御用新聞に手を焼く 保護金を全廃か[八月二十七日 江南新誌]
明治十六年(一八八三)鹿鳴館開館
この暴挙を見よ 言論大抑圧 一年間の新聞禁止停止八十件[一月六日 郵便報知新聞]
廃藩置県当時は三府七十五県 現在は三十五県だが増加の傾向 全国十県の案も[二月二十一日 朝野新聞]
電話が生まれて六年目 世界の電話発達状況[四月五日 時事新報]
大学卒業生に随意研究費を支給 留学資格者を一時に洋行させかねて[九月一日 郵便報知新聞]
鹿鳴館が開館 夜会の景況[十一月三十日 郵便報知新聞]
徴兵令改正[十二月二十八日 官報]
明治十七年(一八八四)徴兵令と日本人
処女の種切れ 徴兵令の誤解から[一月二十六日 朝野新聞]
徴兵令改正で爺婆の値が上がる[十二月十三日 郵便報知新聞]
グリーンウイッチを経度0点と定め、万国子午線会議終わる[十二月十三日 郵便報知新聞]
韓国朝廷二大党派の争い 突如京城(ソール)に変乱、高官六名血祭りに 竹添公使兵を率いて王宮を守護[十二月十六日 東京日日新聞]
明治十八年(一八八五)世界の中での日本を意識
吉原の遊び代を定時制に[一月三十一日 東京日日新聞]
大学の制帽を決める 学生からの要望[三月十日 郵便報知新聞]
勢力伸張は女から 世界各地に日本の売女[四月五日 朝野新聞]
窮迫士族の転落 女房娘は出権妻(出張妾)になる[四月十九日 日出新聞]
輸出の八割六分、輸入の九割五分は外人が行う[五月五日 東京日日新聞]
ローマ字会が雑誌を発行 漢字は亡びる[五月六日 改新新聞]
電気灯は風で明滅せず 日本の家屋にも適合することを実証[五月八日 東京日日新聞]
現代日本人の十傑を投票[五月二十日 今日新聞]
新設の十大臣を以って内閣組織[十二月二十二日 官報]
内閣制度の改革[十二月二十日 官報]
明治十九年(一八八六)薩長の派閥論議 治外法権問題
薩長論[一月十九日 東京日日新聞]
桑港の日本人 振袖に靴の女が大道で恥じを晒す[一月十九日 朝野新聞]
寝取られた夫を金十円で小作人に借用[四月九日 郵便報知新聞]
税収回復と治外法権撤廃 条約改正の幕、今日 切って落とさる[五月一日 東京日日新聞]
大学生と女学生を交えて踊らせよ[十月二十九日 東京日日新聞]
明治二十年(一八八七)新時代の明と暗
新時代の求婚広告 [一月十日 時事新報]
三十万円で大阪に紡績会社を設立[一月二十六日 時事新報]
大山巌伯爵が宿舎で大夜会[一月二十九日 東京日日新聞]
聖上臨御の不忍池畔の大競馬[十一月十五日 東京日日新聞]
保安条例発布せらる 緊急閣議で即決[十二月二十七日 朝野新聞]
勅令[十二月二十七日 東京日日新聞]
果然、保安条例第四条を実施 危険人物を皇城三里外に追放[十二月二十八日 東京日日新聞]
横浜までの退去者二三七名[十二月二十九日 朝野新聞]
明治二十一年(一八八八)近代化への改革進む
明治十九年のコレラ患者十五万五千人 志望十一万人[三月二十三日 朝野新聞]
天気予報を掲載 其の筋の特許を得て[四月十七日 時事新報]
天皇の最高の顧問府として枢密院を設置[四月三十日 官報]
枢密院は憲法制定の諮問機関となるか[五月一日 朝野新聞]
明治政府は天保政府 内閣の平均年齢は四十六歳で、枢密院は五十四歳[五月三日 東京日日新聞]
後藤象二郎、大同団結を説く[七月二十一日 郵便報知新聞]
世界の商船数 英国は全世界の七割[七月二十九日 朝野新聞]
月俸取りの幸せ 人民の惨状[八月十日 朝野新聞]
東京水道会社の設立計画[十月十四日 時事新報]
資料編纂の事業を大學に移す[十二月十一日 東京日日新聞]
明治二十二年(一八八九)憲法発布 森文相暗殺
二五〇〇の外人が三七〇〇万の日本人を支配[一月十日 東京日日新聞]
鉄道局技師平岡氏がベースボールを教授[一月十五日 時事新報]
千古不磨の大典 憲法発布の大盛儀挙げらる[二月十二日 東京日日新聞]
大典のあしたにこの不祥事 兇漢、森文相を刺す
森有禮刺殺の西野文太郎 その場で文部属官に殺害される[二月十二日 東京日日新聞]
森有禮の不敬事実を見て激怒 尊王の念に駆られての凶行か[二月十四日 東京日日新聞]
禁断の御門内にヅカヅカと参入 ステッキを以って御帳を掲ぐ 森有禮の不敬事件[二月二十四日 東京日日新聞]
婦人が海水浴 これも開化の一端か[八月十七日 朝野新聞]
三〇〇名の工女 同盟罷業を試む 大阪天満紡績で[十月九日 読売新聞]
明治二十三年(一八九〇)第一回総選挙
丸の内払い下げ その理由と結果 十万坪が一五〇万円で岩崎の手に落ちる[三月三日 国民新聞]
日清両国の海軍力比較 清仏戦争後に清国は長足の進歩[三月二十八日 東京日日新聞]
内職打ち明け話[五月一日 東京朝日新聞]
第一回総選挙きょう投票 栄冠三百誰が頭上に[七月一日 国民新聞]
学位を有する当選者十三人[七月六日 国民新聞]
官吏出身議員は計四〇人[七月六日 国民新聞]
貴族院の伯子男爵議員互選会 上野公園華族会館で投票[七月十一日 東京日日新聞]
上院互選会で大物の落選多し[七月十一日 東京日日新聞]
勅撰議員選定さる 在官の俊英・民間の巨豪[十月一日 東京日日新聞]
全国民待望の国会 議会召集第一日の光景[十一月二十六日 東京日日新聞]
明治二十四年(一八九一)立憲政治の草創期
弥生館に壮士乱入[一月八日 東京日日新聞]
政界の暴力沙汰頻々 言論の自由はおろか身体の自由もなし[一月十一日 郵便報知新聞]
国会の議場にピストル持参[一月十一日 東京日日新聞]
滋賀県を御巡覧中の露国皇太子が御遭難 暴漢は警衛巡査の津田三蔵[五月十二日 東京日日新聞]
総理大臣その他の給料[七月二十七日 官報]
もり・かけ八厘が一銭に[十月三日 郵便報知新聞]
伊藤、大山、樺山の三豪傑 京都で飲む[十月九日 濃飛日報]
女髪結いが探偵に 政党人の内幕探りのため[十月十一日 朝野新聞]
二十三年間につくった法律の数 三万七四二件[十月二十一日 濃飛日報]
明治二十五年(一八九二)政治と新聞 治外法権に関する事件
総選挙 各党の旗印は[一月三日 郵便報知新聞]
東京日日新聞の毒記事[一月十九日 毎日新聞]
東京日日は御用新聞にあらず 毎日新聞に詰問書を送る[一月二十一日 東京日日新聞]
ハワイ国に革命 共和制か米国併合か[五月十八日 東京日日新聞]
派閥外の大臣二十五年目に初めて一人 渡辺国武三万石の小藩出身[八月九日 朝野新聞]
長崎の犬姦事件[九月十五日 東京日日新聞]
長崎犬姦事件と当局の見解[九月二十日 東京日日新聞]
明治二十六年(一八九三)日清戦争直前の国内状況
男子姦通罪などもっての外 耶蘇教婦人の請願を衆議院が一蹴[一月十三日 時事新報]
外人法網を潜って土地を所有[四月二十九日 朝野新聞]
軍人さんの登楼調べ[五月九日 都新聞]
エビスとアサヒ 日本を二分して販売協定[九月四日 朝野新聞]
桂第三師団長 部下の新聞購読を禁ず[九月五日 東京朝日新聞]
百万の懸賞に血眼 鐘紡の職工競争[九月二十八日 国民新聞]
貯金している者は百万人で合計二五〇〇万円[十二月五日 国民新聞]
細民街の歳末 観風子[十二月三十日 国民新聞]
明治二十七年(一八九四)日清戦争と開戦までの経緯
電話交換手の新規則 男子は夜中も勤務 女子は独身者[一月十日 東京日日新聞]
元勲政治家の腕前は二流[二月八日 時事新報]
金玉均 上海で暗殺される 同行者洪鐘宇の手により即死[三月三十日 時事新報]
清国人敏にして日本人は遅鈍[四月十三日 時事新報]
金玉均の死屍に刑戮 頭首四肢をばらばらにして梟示[四月十七日 東京日日新聞]
東学党の暴動 いまや油断ならず[五月三十日 時事新報]
韓国 援を清国に請う[六月八日 時事新報]
支那兵既に朝鮮に向かう[六月八日 時事新報]
軍機に関する件 新聞記載禁止[六月九日 国民新聞]
帝国政府 出兵の理由を発表 天津条約により日清両国互いに通知[六月九日 時事新報]
大鳥公使 海兵数百を率い京城入り 韓廷驚愕 袁世凱も大狼狽[六月二十日 時事新報]
義勇兵の従軍志願 高知市から八百名[六月二十六日 時事新報]
抜刀隊を編成して従軍を志願[六月二十九日 時事新報]
侠客石定が従軍志願 部下の遊人一〇〇〇人[七月一日 東京日日新聞]
民党各派の有志脱党合流し「中央政社」を組織[七月一日 日本]
伊藤首相官邸の臨時大会議[七月三日 郵便報知新聞]
清国の尊大暴慢 いたずらに事を日本に構う[七月十四日 時事新報]
清国政府の開戦決意[七月二十日 東京日日新聞]
清国兵の撤去と韓国の独立 大鳥公使が二箇条の要求提出[七月二十三日 時事新報]
日清両国遂に開戦 清艦先ず発砲し我が艦応戦[七月二十九日 時事新報]
宣戦の詔勅[八月二日 官報]
米国アデヤ嬢一座 錦輝館で興行[八月二日 東京朝日新聞]
一円に日歩三銭 貧民の血を吸う高利貸し[八月十日 国民新聞]
豊島沖の会戦 敵艦無法の発砲に帝国海軍やむなく応戦[八月七日 国民新聞]
黄海大会戦で帝国海軍大捷 清国海軍再び起つ能わず[九月二十一日 時事新報]
黄海大捷の詳報[九月二十一日 官報]
死をもって火薬庫の危険を護る 勇敢な水泳 「定遠はまだ沈みませんか」[十月六日 時事新報]
明治二十八年[一八九五]日清戦争と三国干渉
アイヌが従軍志願[一月五日 読売新聞]
新橋に春来たる[一月六日 東京朝日新聞]
醤油で手紙を書く 酷寒と戦う我が軍[一月七日 読売新聞]
世界に誇るに足る帝国軍隊の行動 仏国従軍記者が驚嘆して語る[三月二十二日 報知新聞]
清国の戦意は一朝一夕のものにあらず タイムズが清国の公文書を発表[三月八日 東京日日新聞]
遂に請和 李鴻章出発[三月十三日 東京日日新聞]
講和会議の基本条件と清廷[三月十四日 国民新聞]
李鴻章遭難事件と欧米新聞の論評[四月二日 日本新聞]
日清講和条約を調印[四月十八日 東條日日新聞]
伊藤首相が歴史上における馬関の地位を説く[四月十九日 東京日日新聞]
欧州某々国の強圧来たらんとす[四月二十九日 東京日日新聞]
朝鮮を完全に独立せしめ、帝国の権域を南北に伸張し、東洋の平和初めて全うし、日清講和条約及び別約批准さる[五月十三日 官報]
遼東半島還付の大詔渙発[五月十三日 東京日日新聞]
嗚!三国の干渉来たる 幾万千の生霊を賭して贏ち得たる平和 いつか又再び撹乱さるるに至らむ[五月十四日 東京日日新聞]
車夫のスネを出すのさえやかましいのに、一糸まとわぬ裸体画をさらすとか 博覧会の裸体画陳列問題[四月十四日 日本]
裸美人の取捨[五月一日 東京日日新聞]
救世軍日本司令官ライト大佐一行が来日[九月十七日 日本]
大院君が兵を率いて王城へ 京城にまたも大事変起こる[十月九日 東京朝日新聞]
日本刀携帯の暴漢 王宮に闖入して閔妃を斬殺す[十月十五日 東京日日新聞]
明治二十九年(一八九六)国民生活、移民
明治二十八年の略歴[一月三日 国民新聞]
石油発動自動車[一月二十六日 国民新聞]
食い倒しを叩き殺す 州崎土手の凄い算段[二月四日 都新聞]
水道料徴収の基準 五人家族で四円[三月四日 国民新聞]
新発明 撮骨写真[四月八日 報知新聞]
南米ブラジルに移民の計画[六月十二日 読売新聞]
日露もし戦わば 英スタチスト紙の論調[七月二日 国民新聞]
豪州で有色人種制限法案が通過[十一月十八日 報知新聞]
明治三十年(一八九七)足尾銅山公害 東洋の危機
新聞小説「金色夜叉」尾崎紅葉[一月一日 読売新聞]
人力車の発明者零落を極める 恩給下付を議会に建議[一月六日 報知新聞]
鉱毒被害民またも大挙上京す[三月二十六日 東京日日新聞]
金貨本位制の確立 貨幣法を公布[三月二十九日 官報]
トチチン田中正造 毒堂の号を贈られる[四月十五日 読売新聞]
新領土台湾にこの光栄 聖上、モリソン山を新高山と御命名[七月七日 報知新聞]
電気扇子を製作[七月二十三日 国民新聞]
北海道屯田兵の新移住地[七月三十日 国民新聞]
宣教師二名殺害が理由 独逸、膠州湾を占領す[十一月二十日 日本]
膠州湾占領問題(同日の「日本」社説)
露国、旅順を占領 東洋の危機深刻化[十二月二十一日 東京朝日新聞]
明治三十一年(一八九八)裸体画禁止 西郷の銅像
日本銀行に婦人便所入用 職業婦人の凱歌[二月二十日 読売新聞]
遼東半島還付の正義を蹂躙し、露独が支那分割の陰謀 貴衆両院及び在野の志士が憤激[四月六日 報知新聞]
裸体画を続々禁止に 黒田清輝の絵も安本亀八の人形も[五月八日 報知新聞]
藩閥政府の爪牙たる警視庁廃止論が再燃[九月十六日 日本]
上野公園に犬を連れた大西郷 銅像序幕式を挙行[十二月十九日 東京朝日新聞]
明治三十二年(一八九九)十九世紀末不平等条約改正
現今世界の大工事[二月七日 時事新報]
第二十世紀とは何時からか [二月十六日 時事新報]
妙な輸出物 酒糟が禁酒国のアメリカへ[二月七日 報知新聞]
北米太平洋岸諸州邦人を排斥 カナダ政府に厳重抗議[二月十八日 中外商業新報]
木曜島移民差し止め[二月二十五日 報知新聞]
巡査の「オイオイ」を「モシモシ」に[四月二十一日 時事新報]
改正条約実施の内閣訓令[七月一日 官報]
内地雑居 実施当日の横浜[七月十九日 日本]
ビーアホールとは 新橋にできて大繁盛[九月四日 中央新聞]
明治三十三年(一九〇〇)義和団事件
第二十世紀は今年からか 独逸皇帝の決定に万国服従説[二月三日 東京日日新聞]
匪徒義和団北京に乱入 列国公使館が危険に[五月二十日 国民新聞]
義和団跳梁 北清の騒擾拡大[五月三十一日 国民新聞]
団匪事件の大転歩 清政府自身が敵対行為した事実歴然[六月十九日 国民新聞]
列国が日本にすがって出兵を要求[六月二十六日 時事新報]
英米も日本にすがりつく[六月二十七日 国民新聞]
臆病風に吹かれたと北京篭城の日本婦人を非難・・・・・・だが事情はさにあらず[九月三日 報知新聞]
滑稽姑息 裸体画の取締り 局部に黒布をまとうて陳列[十月二十二日 国民新聞]
歯科医欠乏の嘆き[十一月一日 時事新報]
排帝国主義論(幸徳秋水)[十一月十七日 萬調報]
明治三十四年(一九〇一)大国主義の芽生え
日本国民が貢献した事業 法学博士・阪谷芳郎[一月一日 東京日日新聞]
二十世紀の予言[一月二、三日 報知新聞]
明治三十三年中の海外重大事件(中)[一月十日 時事新報]
露国の大兵 東亜に向かう[一月十日 時事新報]
将に来たらんとする一大危険 露国の満州占領は東亜の和平を撹乱す[一月二十二日 萬朝報]
英国新聞の日露開戦論[四月七日 時事新報]
米国における日露開戦説[四月十六日 国民新聞]
我が理想の日本 内村鑑三[七月十二日 萬朝報]
工女虐待の傾向ますます甚だしく、模範工場の鐘紡さえ此有様[八月一日 日本]
米国官憲の日本婦人凌辱事件 検疫に名をかり不法行為[八月十六日 日本]
明治三十五年(一九〇二)日英同盟の締結 八甲田山雪中行軍の悲劇
米国における野口英世の名誉[一月九日 時事新報]
第八師団第五連隊、雪中行軍を強行し、八甲田山中に二〇九名凍死す[一月二十九日 時事新報]
捜索隊三〇〇〇人 八甲田山遭難事件[二月七日 時事新報]
日英同盟成立 桂総理大臣 議会に報告[二月十三日 時事新報]
日英同盟由来記[二月十五日 国民新聞]
郵便制度の創設者、前島密が男爵に 新男爵の追憶談[六月二十一日 東京日日新聞]
女学生の堕落、売淫する者も 中には看護婦や交換手も[六月二十五日 東京日日新聞]
暮らし向きの話[十月十九日 都新聞]
明治三十六年(一九〇三)開戦前夜の頃 藤村操、厳頭之感を残し自殺
社会主義の運命を決すべき問題 阿部磯雄[一月十五日 平民新聞]
無線電信海軍兵器として採用される[四月十三日 東京朝日新聞]
帝大教授戸水寛人博士の日露開戦説が軍部の忌憚に触れる[四月十五日 東京朝日新聞]
露国を満州から駆逐して、日本は果たして之に代わり得るか[五月十七日 萬朝報]
厳頭の感の一文 華厳の滝に藤村操投身[五月二十七日 報知新聞]
自殺の流行[六月十四日 東京朝日新聞]
満州問題に関し桂内閣に進言 帝大教授七博士の強硬意見[六月二十四日 東京朝日新聞]
七博士初めは脱兎の如く、後は処女の如し[六月二十八日 東京日日新聞]
露都の恐日病 日本人の行動は捕捉し難しと[八月二十日 報知新聞]
露兵続々と南下[十月十五日 東京朝日新聞]
露の本国で革命運動勃発[十月十六日 報知新聞]
明治三十七年(一九〇四)日露戦争と国内の状況・国民の意識
天声人語(同盟国英国の心尽くし)[一月九日 大阪毎日新聞]
モルガンと十万円のお雪さん[一月二十九日 都新聞]
大本営の開始準備が終了[二月九日 東京朝日新聞]
日露交渉の顛末を発表[二月九日 東京朝日新聞]
軍神広瀬武夫の壮烈な最期 旅順口閉塞に関する戦報[三月二十九日 官報]
捨小舟蜑(注・海女のこと)が子の嘆きぞ悲し滄浪閣の前のおとど阿福を捨て給う[四月十一日 東京朝日新聞]
高等女学校における裸体検査の問題[四月二十六日 二六新聞]
早慶戦 満都待望の対校試合[六月二日 毎日新聞]
旅順攻囲と乃木大将の犠牲 愛児二人不としく戦場の露と消ゆ[十二月十六日 東京朝日新聞]
明治三十七年の回顧[十二月三十一日 東京朝日新聞]
明治三十八年(一九〇五)日露戦争と講和条約
伊藤侯が酒乱の放言乱語[二月二日 萬朝報]
寸足らずの兵隊さん[三月十二日 東京朝日新聞]
綿業に、漁業に、輸送業に日本恐るべし 産業黄禍論起こる[三月二十五日 中外商業新報]
露艦二十七隻上海沖に現る[五月二十八日 報知新聞]
日本海海戦戦報[五月二十九日 官報]
敵艦全滅の原因[六月三日 報知新聞]
日本海海戦における東郷司令長官の作戦[六月三十日 東京朝日新聞]
米大統領ルーズヴェルト 日露講和を提議[六月十二日 官報]
日本が要求する講和条件[八月十三日 東京朝日新聞]
露国の駆け引き強し[八月十五日 東京朝日新聞]
大々屈辱の大理由 すでに当路の予期せる所[九月一日 東京朝日新聞]
天人不許の罪悪[九月三日 報知新聞]
けがらわしい御用紙[九月四日 大阪朝日新聞]
白骨の悲憤[九月六日 大阪朝日新聞]
赤門派と茗渓派が“万歳”の元祖争い[十月二十三日 大阪朝日新聞]
日韓新協約 韓半島が我が勢力圏に[十一月二十三日 官報]
明治三十九年(一九〇六)戦後の好景気 満鉄の創設
昨年の海外貿易 前古無比の飛躍[一月七日 東京朝日新聞]
代議士と人力車[二月二十三日 東京朝日新聞]
堺利彦、片山潜、西川光二郎等が日本社会党を組織[三月五日 東京朝日新聞]
降服は余に堂々たる理由あり 露国提督の言明[四月三日 読売新聞]
裸体活人画 顕われたトタンに幕[五月二十三日 日本]
南満州鉄道株式会社の創立命令書[八月十一日 東京朝日新聞]
株界の大当たり屋 鈴久[九月一日 萬朝報]
明治四十年(一九〇七)社会主義思想の台頭と抑圧
北海道牧羊の過去及将来[一月一日 北海タイムス]
宮中の席次新しく定まる[一月六日 日本]
幸徳秋水らが日刊平民新聞を発行[一月十五日 平民新聞]
日本社会党禁止せらる[二月二十三日 平民新聞]
三越がデパートメント・ストアーに[四月三日 東京朝日新聞]
堺枯川、幸徳秋水 平民新聞を退社[四月六日 平民新聞]
廃刊の辞[四月十四日 平民新聞]
夏目漱石入社の弁[五月三日 東京朝日新聞]
首相の文士招待と漱石氏の虞美人草[六月十五日 東京朝日新聞]
韓国の密使、ハーグの万国平和会議に現る[七月六日 東京朝日新聞]
日韓新協約成立[七月二十五日 官報]
明治四十一年(一九〇八)警察の権力が強まる
ローマ字会における大隈伯と西園寺会頭[一月三十日 読売新聞]
名妓の亀鑑 ぽん太の末路[二月二日 都新聞]
拘留中の社会主義者 拷問されて悶絶[六月二十四日 東京ニ六新聞]
日比谷公園で十二組の野合者押さえらる[七月十一日 読売新聞]
ツェッペリン伯が飛行成功[八月六日 東京日日新聞]
欧米の空中征服果たして可能なりや[十月三日 萬朝報]
清国皇帝崩御 三歳の溥儀が皇統を継承か[十一月十五日 東京朝日新聞]
神前結婚式が繁昌[十二月十一日 東京朝日新聞]
明治四十二年(一九〇九)伊藤博文侯が暗殺される
清国革命党シンガポールで秘密会談[一月二日 報知新聞]
文官の帯剣問題[一月五日 中外商業新報]
明治元年以来の米価の動き[一月十二日 読売新聞]
本郷名物バンカラ学校 一高の賄い征伐[四月十七日 国民新聞]
満州視察中の伊藤博文侯 哈爾賓駅頭で狙撃さる 一韓人の六連発銃の速射受け絶命[十月二十七日 東京朝日新聞]
伊藤公暗殺凶徒 巨魁は安重根[十一月三日 東京日日新聞]
伊藤公暗殺・安重根の予審終結[十一月十八日 東京朝日新聞]
明治四十三年(一九一〇)幸徳秋水の大逆事件 韓国併合
政府の標本 岩下清周[二月二十七日 大阪朝日新聞]
印度探検の大谷光瑞、ダライラマと会見[三月二十二日 国民新聞]
社会主義者捕縛される[六月二日 報知新聞]
幸徳秋水一味不軌の大陰謀 過激党全滅の大検挙開始[六月五日 東京朝日新聞]
幸徳一派の大陰謀事件は大審院で特別組織の下に審理[九月二十五日 東京朝日新聞]
有史以来の公判 傍聴は禁止となる[十二月十一日 東京日日新聞]
幸徳伝次郎等無政府主義者の大逆罪判決 大審院の特別裁判で二十四名死刑[明治四十四年一月十九日 東京朝日新聞]
韓国併合 韓国皇帝が即時御嘉納[八月二十三日 東京朝日新聞]
合併協約の内容[八月二十三日 東京朝日新聞]
韓国併合始末に関する小村外務大臣の説明[八月三十日 読売新聞]
韓国併合に至るまで 伊藤総監の韓国本位の懐柔策通らず 遂に局面打破し併合を断行[八月三十日 読売新聞]
日野大尉 日本の空を初めて飛行 一〇米上昇して六〇米を飛ぶ[十二月十五日 萬朝報]
明治四十四年(一九一一)日本初の飛行場 支那革命
所沢飛行場出来上がる 茫々二十三万坪[二月二十四日 東京朝日新聞]
河馬 初めて来る[五月十八日 東京日日新聞]
自分の俥夫に物言わぬ穂積八束博士[六月十六日 萬朝報]
写真結婚の利と害[六月二十六日 東京朝日新聞]
四川暴動と革命党[十月三日 東京日日新聞]
支那問題で天下の浪人が日比谷に雲集[十月十九日 東京朝日新聞]
革命支那臨時大統領に孫逸仙(孫文)
明治四十五年(一九一二)明治天皇崩御
孫大統領、中外に宣言[一月八日 萬朝報]
島崎藤村のロマンス[三月五日東京日日新聞]
タイタニック遭難の日本人はただ一人[四月二十一日 大阪毎日新聞]
聖上帝国大学へ行幸 卒業式に臨御[七月十一日 東京朝日新聞]
海軍大将は薩人の独り占め[七月十六日 読売新聞]
東京の名の発案は北島千太郎の建白[七月十七日 東京朝日新聞]
聖上御不例 糖尿病の御気味にて御嗜眠の御傾向[七月二十日 官報号外]
二重橋に行け[七月二十八日 東京朝日新聞]
大正編 手づくりの大正デモクラシー
まえがき
大正元年(一九一二)乃木大将の自殺を批判
我等の一団と彼 石川啄木の遺稿(第一回)[八月二十九日 読売新聞]
乃木大将自殺、御大喪儀の夜、夫人とともに殉死す[九月十四日 読売新聞]
外人の乃木観[九月十七日 東京毎日電報]
潔き立派な最期 文学博士 谷本富氏談[九月十七日 大阪毎日新聞]
陸軍の増師(注・師団数を増す)に経済界が反対[十一月二十八日 大阪朝日新聞]
帝劇の女優・夜の幕が五十円 美しい顔で暗い仕事、女優販売の凄いもくろみ[十一月二十九日 東京日日新聞]
大正二年(一九一三)国会包囲デモ 貧富の差広がる
さながら革命の如し 昨夜の日比谷遂に軍隊出動、交番焼き払わる[二月十一日 都新聞]
家庭教師の利害 述懐と不満[二月二十五日 読売新聞]
嫁入り道具にピアノ[六月二十九日 新愛知新聞]
三女史東北大学に入学す[八月十六日 読売新聞]
モデル稼業 東京うらおもて[八月十九日 憲政新聞]
大夜会の神聖を冒した森律子という奇怪な女[十一月三日 報知新聞]
妾は母の代理で夜会へ出席しました[十一月三日 国民新聞]
哀れ、売らるる少女隊 東北地方の飢饉を利用して欺く上野駅に降車する少女隊夥し[十二月二十二日 東京日日新聞]
大正三年(一九一四)シーメンス事件と藩閥政治
シーメンス会社の贈賄事件 書類の窃盗犯社員が驚くべき申し立て[一月二十三日 時事新報]
日本の高官に贈賄[一月二十三日 大阪朝日新聞]
犬養氏の海軍攻撃演説 憲政擁護会に於て[二月六日 大阪朝日新聞]
親心ある工場主[三月一日 友愛新聞]
万引き物語[三月一日 友愛新聞]
裸体を示せ 友愛とは枕絵を封じた状袋[六月 千代田新聞]
墺国皇帝動員令を発布[七月二十八日 東京日日新聞]
お湯の一時間 戦さ話に神田の哥兄が……[八月十七日 民報]
膠州湾へ 与謝野寛(注・号は鉄幹、与謝野晶子の夫で文学者・慶大教授)[八月二十四日 東京日日新聞]
独海相 日米戦争を扇動[十二月二十五日 伊勢新聞]
大正四年(一九一五)第一次大戦中の日本
大阪商家雇人の慣習[一月一日 菓子新報]
女学生間の流行 充分めかしてみる結婚前[一月十一日 報知新聞]
時の人竹久夢二[一月十二日 東京朝日新聞]
夫人の職業 タイピスト[一月二十九日 読売新聞]
芸者の相場 地方から玉仕込みに上京する[四月八日 都新聞]
日本は決心せり[五月七日 萬朝報]
対支交渉顛末 七日外務省発表[五月八日 東京朝日新聞]
支那遂に我が要求全部を承認す 日本の平和的精神を尊重す[五月九日 東京朝日新聞]
顰蹙すべき写真結婚 島貫女史が一ドルの見料を取る[六月十三日 読売新聞]
天才野口英世君 蛇毒の研究に天下を驚かせ、幾多大発見に名誉をほしいままにす[九月五日 東京日日新聞]
年末贈答品はなにが好いか 外観より内容[十二月二十一日 報知新聞]
六〇割の高配当 海運界の大景気[十二月二十二日 読売新聞]
大正五年(一九一六)第一次大戦の好景気と人心
吾々は要求しなければならぬ 京大教授法学博士河上肇[一月一日 新神戸新聞]
恐るべきは学校教師の役得[一月二十五日 報知新聞]
小学教員へ贈物[一月二十九日 読売新聞]
露国の軍機注文で忙しい幾千の女工[二月二日 読売新聞]
鉄屋さんの恵比寿顔 約八倍の鉄材の値段[二月二十二日 国民新聞]
この頃流行る見合い場所[三月十一日 読売新聞]
お見合い前の不安と恐怖[十一月八日 読売新聞]
重大問題 断然告発し厳正なる司法官の手に移すべし[三月二十日 中央新聞]
花柳界で大持て 新宰相は遊び上手=芸妓女中に親切[十月十一日 中央新聞]
社会主義者の大杉栄が“新しい女”神近一子に斬られた葉山日陰の茶屋の椿事[十一月十日 都新聞]
市子さんと野枝さん 一つの恋を追った二つの性格 野枝はこの後どうするか[十一月十四日 読売新聞]
大正六年(一九一七)ロシア革命
ラスピーチン暗殺 被害者は宮廷派の首魁、加害者は青年貴族(露都特派員・播磨楢吉)[一月二十日 時事新報]
露国大革命 政府顛覆さる[三月十七日 大阪朝日新聞]
革命成功の詳報 その後の経過と露帝退位の事情 実権は下院委員会が掌握[三月二十一日 国民新聞]
三六歳の総理大臣 子供が軍服を着たような風采のあがらぬケレンスキー氏[七月二十四日 報知新聞]
男のない国 英国女の男欲しがり[十月十三日 都新聞]
米国の女 今度の戦で一番役に立つ[十月二十六日 報知新聞]
死蔵されたる婦人の力 法学博士・農学博士新渡戸稲造[十月二十六日 婦女新聞]
ポルシェベキ武装決起 過激派が露都占領の説[十一月九日 大阪朝日新聞]
露国政府を覆した過激派の大立者 神出鬼没のレーニンと子分の労兵会長ト氏[十一月十日 東京朝日新聞]
革命中でも劇場は繁昌 妖気極まる露国市民[十二月七日 萬朝報]
レーニン三日天下 反対の気勢全露に漲る[十二月二十九日 国民新聞]
大正七年(一九一八)シベリア出兵
英国首相ロイドジョージ氏が日本国民に寄するの書[一月一日 大阪毎日新聞]
日本出兵は急務 英紙の絶叫[二月二十八日 報知新聞]
日本出兵を要請 聯合国が態度決定[三月九日 東京朝日新聞]
軍国婦人の覚悟 出兵間際だけの貞女は不可[三月十日 読売新聞]
何故の出兵か 与謝野晶子[三月十七日 横浜貿易新聞]
侮辱されたる女子職業学校生徒 成金の子の嫁選びに教場の神聖を汚さる[三月十七日 萬朝報]
シベリア出兵決定 十二日の閣議で内定、米国も出兵に一変[七月十三日 大阪朝日新聞・号外]
地方豪農の思惑 米は倉庫に有り余る 欲張った売り惜しみ 米の高い裏面の消息[八月二日 東京朝日新聞]
生活研究 この悲鳴を聞け 滅びゆく中産階級[八月十一日 大阪朝日新聞]
京都市大騒擾 軍隊出動 細民諸所に蜂起[八月十二日 報知新聞]
寺内内閣は斯くの如き理由の下に、各地の 報知新聞]
大命を拝受せる原氏の責任[九月二十八日行為休止す[十一月十三日 東京朝日新聞]
休戦条約調印 十一日午前十一時以後戦闘米騒擾に関する一切の記事掲載を禁止せり[八月十五日 大阪朝日新聞]
大正八年(一九一九)国際連盟設立 日本は五大国入り
国際連盟創立を可決 講和全権会議[一月二十八日 東京 朝日新聞]
米国 禁酒法を公布、明年一月十六日より実施[二月一日 東京日日新聞]
普通選挙のため咢堂氏起つ[二月一日 東京日日新聞]
捨て売りされた三菱村 今は一坪三〇〇円の黄金土、岩崎家が拝まれて坪十一円で[二月一日 東京日日新聞]
朝鮮の暴動 烽火先ず安北に揚る[三月四日 山陽新聞]
米国で大持ての活動の花形 名優早川雪洲[四月八日 東京朝日新聞]
日本の朝鮮統治 米国ワイル博士の批評[四月十四日 満州日日新聞]
隣人との交わり 柳宗悦[五月二十日 読売新聞]
お茶の水高女生に下穿きを穿かせる[五月二十日 読売新聞]
マルクス宗は頭から不合格 往年の独逸[十月一日東京朝日新聞]
米人の黒人大虐殺 死骸で川が埋まった 各都市で私刑 聞いて呆れる正義人道[十二月十三日 国民新聞]
大正九年(一九二〇)“危険思想”への警戒と弾圧
婦人より見たる我国の政界 与謝野晶子[一月二日 時事新報]
相対性原則を実証 ニュートンの引力発見以来の光線と引力に関する大発見[一月二十七日 大阪朝日新聞]
八幡製鉄所の同盟罷業 大溶鉱炉の火は悉く消え、五〇〇の煙突煙を吐かず[二月六日 大阪朝日新聞]
書肆の店頭から刑事の尾行 学生が血眼で漁るクロポトキン[二月十七日 報知新聞]
森戸事件判決文 朝憲紊乱に抵触せず[三月四日 大阪朝日新聞]
我国最初の労働祭[五月三日 東京朝日新聞]
陸軍将校が社会主義に共鳴[六月二十九日 神戸又新日報]
日本と民本主義(一) 米国委員団一行に呈す 「日本が侵略的なりという外国方面の評判」法学博士 吉野作造[九月七日 東京朝日新聞]
布哇一万の学童に日本語読本の禁止 排日の材料とされてこの悲報到る[九月八日 東京日日新聞]
親の意志には絶対に従わねばならぬか 湯原女高師校長談[九月八日 報知新聞]
自発的に新しい村に参加の婦人を待つ 武者小路実篤氏語る[九月二十日 読売新聞]
社会主義者三十名の家宅捜索[十二月一日 東京日日新聞]
大正十年(一九二一)軍事制限に財界も賛成 白蓮の離婚
今年の学会に興味ある渦巻を 両博士の憲法競争講座[一月二日 萬朝報]
原、加藤の一騎打ち 撤兵問題で貴族院[一月二十五日 読売新聞]
起源沿革を調査して国歌国旗御紋章の由来を解説し、宮内省から公表されん[二月五日 樺太日日新聞]
咢堂の獅子吼 軍備制限案を上提[二月十一日 大阪朝日新聞]
度量衡の大革命 丈尺斗升を廃しメートル法に統一 昨日衆院にて可決し確定[三月二十六日 時事新報]
いよいよ執行の徴兵検査 受験者の心得[四月十五日 樺太日日新聞]
片づかぬ撤兵 シベリア行きは悪い役回り[八月九日 大阪朝日新聞]
ワシントン会議無視した陸軍のやり口に非難高い 東宮の御心にも反すると一外交官[九月六日 読売新聞]
日本人の平均寿命は二十九年と七ヶ月 体育研究所の設立を建議[九月二十日 都新聞]
夫傳右衛門氏に送った燁子の絶縁状の全文 愛なき結婚と夫の無理解が生んだ妻の苦痛と悲惨の告白[十月二十三日 大阪朝日新聞]
尻に敷いていた亭主へ後足で砂をかけた白蓮女史[十月二十四日 台湾日日新聞]
憤怒の眦を決して 伊藤傳右衛門氏語る[十月二十五日 大阪朝日新聞]
伊藤家から綺麗に離縁 謝罪に西下する柳原伯爵[十一月三日 東京日日新聞]
大正十一年(一九二二)普選案は否決 伊にムソリーニ登場
君が代の譜を改作して初演奏した時 英人フ氏の曲を明治十二年我が雅楽部員が現在の譜に[一月二日 東京朝日新聞]
明治裏面史を愛読していた 中岡艮一(こんいち・注・原敬首相の暗殺者)の予審調書[一月十四日 東京日日新聞]
女子を吏員に 麹町区役所の初めての試み[二月一日 都新聞]
九六票差で普選案は否決 民論を圧倒する政友会 記憶すべき二月二十七日[二月二十八日 大阪朝日新聞]
日本の婦人にサンガー夫人が註文[三月十六日 国民新聞]
新兵いじめの工兵隊 円匙の樫棒 びんた[九月八日 国民新聞]
イタリア組閣の大命 ムソリニに下る[十月三十日 読売新聞]
黒シャツのまま新首相 皇帝に誓う[十一月二日 東京朝日新聞]
大正十二年(一九二三)関東大震災と社会不安
女工殺戮 村島帰之[一月一日 労働者新聞]
デパートメントの売り場の若い女[一月四日 大阪朝日新聞]
頗る便利に出来上がった丸の内ビルディング[一月二十七日 東京日日新聞]
アインシュタイン博士から日本を評した手紙 土井晩翠氏へ[二月三日 国民新聞]
世界的反響を起こした有島氏の土地開放[二月二十六日 報知新聞]
「大きな挙」と喜ぶ 国粋会の新幹部陣容[四月五日 読売新聞]
大臣暗殺と軍隊学生の赤化を企てた極東共産党の大検挙[六月六日 大阪朝日新聞]
東京大災害 噫!言語に絶するこの凄惨!東京市の焼失家屋約二十万戸[九月二日 大阪朝日新聞・号外]
不逞鮮人各所に放火し、帝都に戒厳令を布く 三百年の文化は一場のゆめ[九月三日 東京日日新聞]
不逞鮮人益々暴行 女子も武装して立つ[九月五日 豊橋日日新聞]
朝鮮人の噂は何処から出たか 今も消えぬので困る 大元は横浜らしい[九月十五日 読売新聞]
甘粕憲兵分隊長 留置中の大杉栄を刺殺す[九月二十日 大阪朝日新聞号外]
甘粕憲兵大尉 大杉栄を殺す その他二名も共に去る十六日夜某所に於て[九月二十五日 東京朝日新聞]
流言に禍された震災地 各所で多数の朝鮮人を殺害す 人心鎮静と共に当局の大検挙[十月二十日 大阪毎日新聞号外]
検事による拷問事件を秘密に調査 診断の医師召還さる[十二月二十六日 国民新聞]
大正十三年(一九二四)震災後の復興 孫文の日本観
うつり行く繁華の中心 銀座から日本橋へ[一月九日 東京日日新聞]
勤め人の相場 職業紹介所で調べた標準[四月十一日 東京朝日新聞]
米で排日法案通過 原案のまま下院を[四月十四日 大阪朝日新聞]
米大統領排日案に署名す[五月二十八日 中外新聞]
市内で商い家賃は畳一枚三円七〇銭[十月二十二日 都新聞]
中等学校以上の軍事訓練案が確定す[十一月八日 報知新聞]
孫文氏、大アジア主義を強調 神戸で講演[十一月二十九日 大阪朝日新聞]
いよいよ出来上がった普通選挙法案全文[十二月九日 大阪朝日新聞]
大正十四年(一九二五)普選法と治安維持法の成立
大正生まれが初めて卒業 明治っ児に比べて根強い自由の芽生え[一月一日 東京日日新聞]
「連れ込み旅館」の繁昌に光る眼[一月六日 読売新聞]
治安法案通過 悪法乱用の危険[三月十一日 時事新報]
愛宕山から東京放送局の本放送開始[七月十三日 萬朝報]
府立四中では生徒にラヂオを聴かせぬ[七月二十二日 読売新聞]
白昼突如火を発して貴衆両議院忽ち全焼[九月十九日 東京朝日新聞]
天晴れな洋行ぶりで帰った侠客の大親分[十月十一日 読売新聞]
女子青年団をつくる 処女会と文部省が協議[十月十三日 都新聞]
無産党結成の即夜、突如禁止令下る[十二月二日 東京朝日新聞]
京大の不穏文書事件 第二弾の捜索に入る[十二月三日 東京朝日新聞]
大正十五年(一九二六)無産政党が出揃う大正デモクラシーの終末期
研究の自由を絶叫し声明書 京大教授結束[一月一日 東京帝大新聞]
書斎を出て街頭へ 婦人、学者の新運動[一月三日 国民新聞]
全国で小学先生の二割五分が肺病で死ぬ[一月八日 読売新聞]
元は重役課長さんまで 府の失業救済計画に六〇〇人も殺到[二月二十三日 報知新聞]
評判の悪い禁酒法 いよいよ廃止か[四月六日 国民新聞]
学生の左傾思想取締り 岡田文相訓す[五月九日 東京日日新聞]
丸ビルの女も今は昔 銀座に移ったモダンガール 法学士 藤井清吉氏談[八月八日 都新聞]
鬼熊事件の混雑中 甘粕大尉出獄す[十月十七日 東京朝日新聞]
特別囚として待遇された在監中の甘粕大尉[十月十七日 東京朝日新聞]
独身者殺到 同潤会渋谷アパートメント[十一月二十六日 時事新報]
『革命の歌』が崇り、関鑑子調べらる[十二月九日]
天皇崩御[十二月二十五日 東京朝日新聞]
元号を「昭和」と改め、きょう詔書を発布せらる 官報号外をもって[十二月二十六日 報知新聞]
大正財界の回顧 景気幾波瀾のダイヤグラム 躍進的に膨張した金融資本[昭和元年十二月二十六日 東京日日新聞]
大正を送り昭和を迎えて労働運動を想う[十二月二十七日 都新聞]