図書センクンホウ シュウセイ000045902

「戦訓報」集成 第4巻

サブタイトル1~10
戦訓速報・放送戦訓・技術戦訓
編著者名
大本営陸軍部 編纂/白井 明雄 編集者
出版者
芙蓉書房出版
出版年月
2003年(平成15年)7月
大きさ(縦×横)cm
31×
ページ
209p : 挿図
ISBN
4829503319
NDC(分類)
396.3
請求記号
396.3/D18/4
保管場所
閉架一般
内容注記
大東亜戦争において大本営陸軍部が編纂した「戦訓報」を復刻したもの
和書
目次

目次
『戦訓速報』発簡番号の問題点と検討経緯(白井明雄)
『戦訓速報』発簡番号の問題点
『戦訓速報』発簡番号の検討経緯
『戦訓速報』(昭和十八年十一月~二十年六月)[第五十一、五三、五五、六三、六七、八七、一一一~一一四、一一六~一三五、一三八~一四二、一四四、一四六、一四八、一四九、一五一~一五七、一五九、一六一~一六七、一六九~一七二、一七四~一八六号は欠]
第一号 一、敵ノ艦砲射撃ニ対シ我ガ戦闘資材ノ徹底的掩護ヲ必要トス我ガ聯隊砲敵ノ舟艇ニ対シ大ナル威力ヲ発揮ス
二、輸送船遭難時ノ動作ニ就テハ輸送前徹底的ニ教育スルノ要アリ 昭和十八年十一月四日
第二号 南方第一線兵団ヨリ南方ヘノ転用部隊及作戦部隊補充要員ニ対スル観察 昭和十八年十一月十一日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一号」とした]
第三号 「ボーゲンビル」島ニ対スル米軍上陸作戦ニ関スル観察 昭和十八年十一月十一日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第二号」とした]
第四号 最近「ニューギニヤ」方面ニ於ケル敵飛行機ノ行動中特異ナルモノ若干 昭和十八年十一月十三日
第五号 逆上陸戦闘ニ関スル観察ノ若干 昭和十八年十一月十五日
第六号 敵潜ノ雷撃ヲ受け瞬時ニシテ将兵一、二〇〇ヲ失フ 昭和十八年十一月十六日
第七号 一、謀略ニ依リ重爆五機撃破セラル(上海)
ニ、我ガ地上防空部隊ノ戦下漸次増大ス(「ニューギニヤ」) 昭和十八年十一月十七日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五号」とした]
第八号 一、米英航空部隊ノ攻撃法ニ関スル若干例
二、飛行機ノ円形係留所
第九号 一、独軍防空飛行隊ノ邀撃戦法ニ関スル考察(駐独武官 観察)
二、欧州戦場最近ニ於ケル敵ノ爆撃目標進入ノ方法ニ関スル考察(駐独武官 観察)
第一〇号 敵ノ上陸初動ヲ急襲、之ヲ水際ニ殲滅ス(「ボーゲンビル」島) 昭和十八年十二月三日第一一号 戦法ノ創意工夫ニ関スル一例(「ニューギニヤ」) 昭和十八年十二月五日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七号」とした]
第一二号 敵ノ砲撃ニ対シ通信機材ヲ徹底的に防護スルヲ要ス 昭和十八年十二月二十三日[不明兵団複写のもの]
第一三号 ▲最近「ニューギニヤ」方面ニ於ケル我ガ基地ニ対スル敵爆撃機ノ攻撃要領及対策 昭和十八年十二月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八号」とした]
第一四号 *「ブーゲンビル」島「ツルブ」方面ノ戦闘ニ於テ敵火炎戦車ノ攻撃ヲ受ク 昭和十八年十二月三十一日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九号」とした]
第一五号 最近ニ於ケル米軍ノ新戦法ノ若干 昭和十九年一月十二日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一一号」とした]
第一六号 一、米軍ノ上陸地点ニ於ケル防御配備ニ就テ(「ニューブリテン」、「マーカス」岬方面)
二、米空軍ノ空襲特異事項(「ラバール」方面) 昭和十九年一月十二日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一二号」とした]
第一七号 *作戦指導上重要電報ノ速達ヲ図ル為信務上注意スベキ件 昭和十九年一月十三日[渡集団複写のもの]
第一八号 低緯度地方ニ於ケル凍結並ニ凍結箇所ニ就テ 昭和十九年一月十八日[渡集団複写のもの]
第一九号 「フーコン」方面(ビルマ)ニ於ケル英印軍ノ慣用戦法並ニ戦カニ対スル観察 昭和十九年一月十九日[渡集団複写のもの]
第二〇号 盤谷空襲ノ経験並ニ緬甸方面空中戦ニ於ケル敵ノ戦法及教訓 昭和十九年一月二十七日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一五号」とした]
第二一号 通信機関ノ対爆施設 昭和十九年一月二十九日
第二二号 最近ニ於ケル米軍ノ上陸作戦ニ就テ 昭和十九年一月三十一日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一三号」とした]
第二三号 「ブローム」(ビルマ)ニ於ケル防空ニ関スル教訓 昭和十九年一月三十一日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一四号」とした]
第二四号 橋頭堡設置後ニ於ケル米軍ノ出撃要領(「タロキナ」正面) 昭和十九年二月八日
第二五号 空爆ニ対スル暗号機ノ保護 昭和十九年二月十八日
号外 英軍ノ使用セル磁気機雷ノ性能 昭和十九年二月十八日
第二六号 遂川攻撃ニ於ケル空中戦ノ戦訓 昭和十九年二月十九日
第二七号 米軍ノ使用セル砲兵協力用観測機 昭和十九年三月五日
第二八号 転進掩護部隊ノ「ジャングル」内ニ於ケル戦闘指導並ニ「グンビ」方面米英軍ノ素質 昭和十九年二月二十九日
第二九号 英印軍戦法並に対策及戦闘指導上注意スベキ事項 昭和十九年二月二十九日[渡集団複写のもの]
第三〇号▲迫撃砲ニ関スル戦訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第一九号」とした]
第三一号 「ブチドン」印緬国境)方面戦闘教訓 昭和十九年三月一日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第二〇号」とした]
第三二号 空襲ニ対スル飛行場防護 昭和十九年三月二日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第二一号」とした]
第三三号 猛部隊方面暗号手損耗状況 昭和十九年三月二日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第二二号」とした]
第三四号 英軍ニ於ケル暗号書配布区分表等ニ依リ印度軍ノ編組ヲ暴露ス 昭和十九年三月二日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第二三号」とした]
第三五号 「ブチドン」「モンドウ」正面戦闘ニ基ク教訓 昭和十九年三月八日[渡集団複写のもの]
第三六号 「グライダー」ニ依ル諜者投入(緬甸方面) 昭和十九年三月九日[渡集団複写のもの]第三七号 某船団遭難時ニ於ケル教訓 昭和十九年三月一五日[勢部隊複写のもの]
第三八号 「アキャブ」正面ニ出現セル英軍戦車 昭和十九年三月二〇日[渡集団複写のもの]
第三九号 ▲「ラバウル」空襲ニ基ク教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第二八号」とした]
第四〇号 英軍空挺部隊ノ用法(北緬甸方面) 昭和十九年三月二十四日[渡集団複写のもの]
第四一号 「タロキナ」方面戦闘ニ基ク教訓 昭和十九年三月二十五日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第三〇号」とした]
第四二号 「タロキナ」付近米軍上陸橋頭堡陣地ニ就テ 昭和十九年四月三日[渡集団複写のもの]第四三号 最近ニ於ケル敵潜水艦ノ攻撃法 昭和十九年四月三日[渡集団複写のもの]
第四四号 ▲「ソ」軍空輸挺進部隊ニ就テ 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第三五号」とした]
第四五号 ▲軍需品ニ対スル敵ノ空襲戦法ト之ガ対策ニ関スル教訓(「ラバウル」方面ノ資料) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第三六号」とした]
第四六号 ▲対戦車戦闘参考資料 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第三七号」とした]
第四七号 ▲船員待遇上ノ教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第三八号」とした]
第四八号 ▲伊国宣戦「カッシノ」付近戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第三九号」とした]
第四九号 ▲対空戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第四〇号」とした]
第五〇号 ▲敵戦闘機「ロケット」装備ニ就テ 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第四四号」とした]
第五二号 一、敵ノ地上直協要領
二、敵ノ追尾攻撃
三、我ガ地上直協要領 昭和十九五年月六日[渡集団複写のもの]
第五四号 ▲「B-二二」型戦車對四七粍砲ノ射撃効果(「アキャブ」方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第四一号」とした]
第五六号 米支軍ノ攻撃要領 昭和十九年六月十日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第四二号」とした]
第五七号 緬甸中部「モール」付近戦闘ニ関スル教訓(其のニ) 昭和十九年五月十日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第四二号」とした]
第五八号 *北緬方面ヨリ南下中ノ米軍化(戦法、装備共)セル重慶新編第一軍ノ浸透攻撃 昭和十九年五月十六日[渡集団複写のもの]
第五九号 ▲敵空挺部隊ノ技術的事項ニ就テ(俘虜) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第四七号」とした]
第六〇号 ▲緬甸中部「モール」付近戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五〇号」とした]
第六一号 ▲「インパール」方面作戦ニ基ク教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五一号」とした]
第六二号 対潜行動ニ関スル教訓 昭和十九年五月二十二日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五二号」とした]
第六四号 遭難時ニ於ケル救助網ノ操作ニ関スル教訓 昭和十九年五月二十七日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五四号」とした]
第六五号 ▲地上火器ニ依ル対空戦闘ノ効果ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五五号」とした]
第六六号 ▲対戦車戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五六号」とした]
第六八号 ▲米軍小型特殊弾及「ロケット」式一〇瓩弾ニ就テ 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五八号」とした]
第六九号 ▲高射砲及野砲ヲ以テ潜水艦ニ対シ命中弾ヲ与ヘタル戦例 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第五九号」とした]
第七〇号 ▲短切揚塔ヲ考慮セル船腹最大利用ノ一例 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六〇号」とした]
第七一号 ▲緬甸方面戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六一号」とした]
第七二号 ▲敵機ハ探照ヲ装備シアリ(西部緬甸方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六二号」とした]
第七三号 ▲飛行機等後方要域警戒ニ関スル教訓(北緬方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六四号」とした]
第七四号 ▲緬甸方面ニ於ケル対戦車戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六五号」とした]
第七五号 ▲重戦車(「T-二二」型)ニ対スル対戦車資材ノ効力ニ就テ(擱座戦車ニ対シ壮兵団実験) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六六号」とした]
第七六号 ▲北部「ニューギニヤ」方面対米軍戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六七号」とした]
第七七号 ▲空襲ニ対スル船舶防護ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六八号」とした]
第七八号 ▲船舶砲兵ノ対舟艇射撃ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第六九号」とした]
第七九号 ▲米式化セル雲南遠征軍ノ戦法(怒江正面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七〇号」とした]
第八〇号 ▲「ツルブ」付近戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七一号」とした]
第八一号 ▲対潜警戒ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七二号」とした]
第八二号 「サイパン」島ニ於ケル対米軍戦闘ニ関スル教訓(其ノ一) 昭和十九年六月十七日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七七号」とした]
第八三号 ▲「サイパン」島ニ於ケル対対米軍戦闘ニ関スル教訓(其ノ二) 号数は推測、昭和十九年六月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七三号」とした]
第八四号 敵「サイパン」島上陸ニ関スル総合教訓 昭和十九年六月□日[支那派遣軍複写のもの]第八五号 「サイパン」作戦ニ於ケル対米軍戦法ノ特色 昭和十九年六月□日[支那派遣軍複写のもの]
第八六号 ▲連合軍今次北仏作戦ニ現レタル特異ナル事項 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七四号」とした]
第八八号 ▲遭難時救助ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七六号」とした]
第八九号 北九州ニ於ケル防空戦闘隊ノ夜間邀撃戦闘ニ関スル教訓 昭和十九年七月七日[直兵団複写のもの]
第九〇号 ▲「ビアク」島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ一) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七八号」とした]
第九一号 ▲島嶼ニ於ケル機甲整備ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第七九号」とした]
第九二号 ▲艦砲射撃ニ対スル島嶼防御ニ関スル教訓(北千島方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八〇号」とした]
第九三号 ▲対潜警戒並ニ戦闘ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八一号」とした]
第九四号 ▲「ビアク」島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ二) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八二号」とした]
第九五号 ▲北仏ニ於ケル英米軍空輸部隊ノ攻撃法 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八三号」とした]
第九六号 ▲北仏上陸作戦ニ於ケル米英空軍ノ地上作戦協力要綱 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八四号」とした]
第九七号 ▲「ビアク」島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ三) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八六号」とした]
第九八号 ▲敵後方要地ニ対スル挺進行動ニ関スル教訓(「インパール」方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八七号」とした]
第九九号 ▲対潜行動ニ関スル教訓 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八八号」とした]
第一〇〇号 北仏上陸作戦ノ観察 昭和十九年七月二十日[直兵団複写のもの]
第一〇一号 ▲大宮島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ一) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第八九号」とした]
第一〇二号 ▲米機ノ電探回避ニ依ル奇襲攻撃(太平洋方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九〇号」とした]
第一〇三号 ▲大宮島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ二) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九一号」とした]
第一〇四号 ▲大宮島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ三) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九二号」とした]
第一〇五号 ▲大宮島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ四) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九三号」とした]
第一〇六号 ▲大宮島ニ於ケル対米戦闘ニ関スル教訓(其ノ五) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九四号」とした]
第一〇七号 北仏作戦ノ様相ヨリ観タル教訓事項ノ若干 昭和十九年八月□日[威第六五五一部隊複写のもの]
第一〇八号 ▲近接戦闘ニ関スル教訓(「インパール」方面) 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九七号」とした]
第一〇九号 ▲化学ニ関スル情報並ニ所見 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九八号」とした]
第一一〇号 ▲北仏上陸作戦ノ教訓並ニ米軍上陸戦法ニ関スル一部ノ観察 号数は推測、昭和十九年□月□日[関東軍第一一部隊複写のもの、関東軍では「第九九号」とした]
第一一五号 防諜ニ関スル教訓 昭和十九年八月二十八日[直第八一四部隊複写のもの]
第一三六号 「レイテ」島ニ於ケル戦闘教訓(其ノ一) 昭和十九年十二月□日
第一三七号 対魚雷艇戦闘ニ関スル教訓(「レイテ」島方面)) 昭和十九年十二月十一日
第一四三号 比島ニ於ケル戦闘教訓 其ノ一(自一月六日 至一月一五日間)昭和二十年一月十六日第一四四号 比島ニ於ケル戦闘教訓 其ノ二(自一、一五 至一、一六)昭和二十年一月十八日
第一四五号 比島ニ於ケル戦闘教訓 其ノ三(自一、一七 至一、二四)昭和二十年一月二十七日
第一五〇号 比島ニ於ケル戦闘教訓 其ノ五(自一、二五 至二、六)昭和二十年二月九日
第一五八号 硫黄島ニ於ケル戦闘教訓(自二、二一 至二、二五)昭和二十年三月一日[波集団複写のもの]
第一六〇号 比島ニ於ケル戦闘教訓 其ノ十(二、二五 三、五)昭和二十年二月九日
第一六八号 硫黄島ヨリ得タル洞窟陣地戦訓 昭和二十年三月十日[波集団複写のもの]
号外 戦訓ノ普及、活用ニ就キテ 昭和二十年三月二十日
第一七三号 南西諸島ニ於ケル戦闘教訓(其ノ三) 昭和二十年四月二十三日[波集団複写のもの]第一八七号 沖縄作戦ノ教訓 昭和二十年六月二十日
『放送戦訓』
第□号 一、M1重戦車対策ヲ速急ニ準備スルヲ要ス
二、火焔攻撃、瓦斯攻撃ニ対スル防護ヲ速急ニ準備スルヲ要ス
三、機動部隊ノ欺騙行動 昭和二十年三月一日
『技術戦訓』
第八号 一、戦車「ピアノ」線障害物簡易通過法
二、戦車機動輪利用纏絡機 昭和二十年三月十二日