あの夏の8月15日
扉
校訓
校歌
趣旨
目次
凡例
中扉
台北陣地7.5cm砲壕の構築(一志徹夫)
「関の孫六」と「トマト畑」(雨谷正方)
ふるさと諏訪のほとり(岩波尚久)
火の見松より 焼夷弾消防(市川平三郎)
被爆体験から不戦を唱う(粟田昌良)
練習機 特攻少年兵を見送る(北浜邦夫)
ポツダム少尉は戦後に労働(俵伸一)
旅順・仏印 西貢・メコン河(鈴木実)
海軍省内〝測定〟勤労動員(徳永良)
最後の一機 比島から脱出(和田寿夫)
道路・橋梁補修の鉄道隊(岡田新一)
伊勢湾口の戦争と平和(塚本文一)
一九四五年8月17日の日記(橋田多喜蔵)
敵機の姿さえなし北の国(今西誠也)
零戦の弾丸作り勤労学生(津田和夫)
茫々 時に立ち会える幸せ(清野誠一)
玉音を玉砕の激励と聞いて(高間久寿美)
しおらしい北大顕微鏡拭き(西尾潤四郎)
船は漸く行けた台湾まで(辻彰一)
旅順のアカシア爾霊山の棗(上野仁)
加圧殺菌釜で研究実験中(岡本辰夫)
赤煉瓦住み安田講堂で聞く(平川誠一)
終戦は松山航空隊で迎えた(鈴木英雄)
寝て居て顔に霜が降りる(高橋幹二)
青森・浅虫・ふるさと弘前(菊池稔)
倉敷郊外夏休中の断片(根岸克己)
うつせみのはげしき嵐(横浜健二)
今は、食住 ほどほどに(鈴木茂)
闘うチェロ弾き中国行脚(故 清水勝雄)
東大天文教室は諏訪湖畔(故 石田五郎)
〈以下〉総会当日の欠席者からの寄稿
戦争の外にあっても・京都(小島隆)
奉天からシベリア抑留四年(林清一)
最後の晩餐のあとの思い(亀谷敏明)
丙種の病身に 敗戦の惨(富田欣一)
観音寺魚雷整備と残務整理(深沢祥明)
土浦・木更津・松島航空隊(木本多喜雄)
「九湾会」我が人生の大転機(野村仁)
同文書院育ち 中国語通訳(笹川武衛)
釜山港口爆沈の海防艦にて(吉元信夫)
湘南釜利谷丘陵の兵器廠(大谷隆)
市ヶ谷台に白煙あがる(片岡経一)
九死に一生・兄との邂逅(中川登)
四国 海軍特攻隊の日々(牧野敬三)
沈没漂流した貨客船通信長(浮谷清)
人間魚雷『回天』出撃寸前(武田五郎)
〈以上-四十五名参加〉
略史
奥付