父の死に場所
- サブタイトル
- 「君がゆく…」その後
- 編著者名
- 野崎 寿鶴子 著者/野崎 逸郎 著者
- 出版者
- 野崎寿津子
- 出版年月
- 2004年(平成16年)6月
- 大きさ(縦×横)cm
- 25×
- ページ
- 122p : 挿図
- ISBN
- NDC(分類)
- 289
- 請求記号
- 289/N98
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 付録:「君がゆく…:夫として父として野崎利守が戦地から出した77通の軍事郵便」(2001年5月刊)の完全複製 非売品
- 昭和館デジタルアーカイブ
フィリピン地図(父の戦死場所付近)
目次
ふたたび・序の歌(野崎寿鶴子)
『君がゆく』その後を書こうと思ったわけ(野崎逸郎)
慰霊巡拝を終えて…
和布刈の海に消えたままの父の声
ルソンの地名に詳しくなった
写真
ルソン巡拝記
やっと来ましたルソン島
野性味?あふれた旅、日程
個人追悼式のトップバッター
追悼文に絶句する白髪頭の遺児たち
レストランの駐車場に止め裏の野原を借り
泣くまい淡々と読み上げよう
写真
追悼文
写真
フィリピン慰霊の旅 こぼれ話
大学卒には戦争を抑止できなかった責任があるか?
水代わりに飲んだビール
ガソリンスタンドでトイレ中にバスが出たら あなたならどうする?
石ゴロ道 汁粉道路を走る日本製中古車 距離計46万キロ
どうしてもトイレを借りたきゃ やしビザを買う
やたら上のほうにある男子用小便器
宙を泳ぐアキノ上院議員、日本人はこんなポーズで銅像は作るまい
バギオの松葉は三本松葉、だが朝告げ鶏はコケコッコー・バギオもマニラも日本のBSが見られる
どんな山奥でも昼飯は12時・朝市から町は開けるのか?
ここでゴミを捨てるな
難所を抜けてまた難所・悪路もものかわ、ドライバーはレース好き?
これを食うと、もうバイアグラはいらぬ
夕陽のマニラは物売りが溢れる
山下、本間両将軍処刑跡が『天使の谷』?
本間中将夫人の法廷証言『娘にも夫のような男性と結婚してほしい』
取りつく島のない答えに取りついた
鉄道のあるところ、スラムあり
日比外交交渉が行き詰まるとモンテンルパで戦犯が処刑された
平地は晴れても、山は雨、それがカリラヤ
土砂降りのカリラヤ慰霊碑の日本庭園
雨は降る降る、人馬?は濡れる
『海ゆかば』は知らないのか?
無名戦士の墓ばかり調べる
いまや有名人の墓地になりました
日本軍の遺骨収集は25パーセント
無名戦士とは文字通り身元不明戦士とするのが本来の主旨
日本の無名戦士の墓は千鳥が淵墓苑
写真
遺児と戦友ガイド
何とか知りたい、知らせたい、ひろがるネットワーク
ガイド:シンガヤン・英子さん
写真
防衛研のケンもホロロ
行きども行けども門がない
写真
捨てる神あれば
『野重十二』にすがって彼岸法要へ
いますぐ飛んで行きたい
初めて自分から法要に参加
老兵(老砲)は死なず
仲間部隊
説教の時間に須弥壇の内陣で
アサップ(可及的速やか)ASAP
通信教育 池田塾
土地勘の次は連隊史
クリスマスプレゼントは『丸』の記事
高校同窓会の忘年会
暮れも正月も構わずに
戦時輸送船団史
写真
連絡つぎつぎ
塾長白内障の手術
さすが図書館、司書の実力
だんだん核心に近づく
故郷の生還兵士
ふたつの野砲戦記
鎮魂一筋の木戸軍曹
原点に戻ってハイラル
阿南→皮篭石ラインへ
あった!!父のフルネーム
池田塾長は、ズバリ13AbS 第二中隊原田隊と推定
写真
イロハ名簿
イロハ名簿
下関気象台に出港日の天候を質問
原田昇氏の推測
リンガエン湾のすぐ東に布陣
米軍上陸、迎え撃つわが軍
三ヶ根山の比島観音法要にもお招き
門司港の天気図も届く
戦友の死の記憶は「つい二、三年まえ」
門司を出て行く、煙は残る
海防艦で思い出す下宿の水兵さん
思い出の中の父
日曜毎の郊外遠足
雁の巣飛行場の見学
父の裸のあぐらの上で頭を洗ってもらう嫌さ
小串の海水浴
足立山の和気清麻呂まいり
「いやなら、よしとけ」
夜汽車でゲロを吐く
ルソンの谷 監修版(赤井三郎,池田静夫)
雪のハイラルから比島へ
湾内をうずめつくす米艦隊
シソン三差路の激戦
暗夜の“遺体収容”
解説
この一文が見つかった経過
写真
山下大将の賞詞と新聞ライブラリー(野崎逸郎)
手柄をたてた部隊に対する賞状(お褒めの言葉)
探しに探した『朝日新聞』縮刷版
木戸氏の筆跡から見当『朝日』ならぬ『熊日』
新聞ライブラリーはみなとみらい線
日本大通り駅の真上
父の年譜(野崎逸郎)
ふたたび・あとがき(野崎逸郎)
資料提供を受けた方がた
参考文献
写真
奥付
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