大東亜戦争とインドネシア
まえがき
第1章 カリマンタン二万人虐殺の謎
マンドールの慰霊塔
狂気の時代の悲劇
日本軍の進撃
死相ただようポンティアナ
「ボルネオ新聞」の陰謀発表
陰謀計画は本当にあったのか
ハガ事件
押収武器の写真はやらせ?
インドネシアの歴史記述
殺されたのは誰か
九つしかなかった墓
十番目の墓
一桁違う犠牲者数
二人の日本人の証言
証言のでっち上げ
オランダ側の資料
日本側の犠牲
史実に忠実な再調査を
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第2章 スマトラの「日本の穴」
防空壕での労務者虐殺のでっち上げ
防空壕築造の由来
後藤乾一教授の北海道新聞原稿
本庄弘直氏の後藤原稿への反論
倉沢愛子教授への訂正依頼
倉沢教授のデタラメ原稿
一人歩きしていた虐殺のデマ
「産経抄」のキャンペーン
「インドネシア日本占領期史料フォーラム」の回答
防空壕内部図
倉沢教授への公開状(一)
倉沢教授への公開状(二)
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第3章 東ティモール四万人虐殺の虚妄
四十八師団がティモールに駐留
虚妄の一人歩き
謝罪してきた投書者
またぞろ登場の虚妄
信じられない人口統計
濠蘭軍が先に占領
一千町歩の自活計画
強奪できる家財なし
生き証人の話を聞け
座談会を終えて
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第4章 アチェの反日蜂起 モスク炎上
近衛歩兵第三連隊史
インドネシアの教科書記述
日本軍のイスラム理解
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第5章 スマトラ横断鉄道の建設
第二の「泰緬鉄道」
全裸で働く労務者
第二十五軍司令官も処刑
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第6章 スマトラ最大のスパイ事件
スマトラ工作(「ス工作」)
「赤いハンカチ」事件
サルタン関係者も逮捕
華僑「九・二〇」事件
日本側も最大の犠牲
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第7章 インドネシアにおける日本の軍政
陸海軍で三分割統治
軍政の運営
住民の協力
住民が略奪
軟弱な軍政と批判
民族指導者の協力
戦局の推移と軍政
政治参与と「決戦軍政」
独立への道
2017/8/5
兵補と郷土防衛義勇軍
「補給基地」ジャワ
労務者
軍政の末端では
住民への医療奉仕
対日感情
反日暴動
軍政の評価
スカルノの揮毫碑
スパルジョ書簡
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第8章 愛国の花
海を渡った大和撫子
スカルノ家のオサム君
ただ1人の残留女性
「死の街道」の天使たち
波間から九死に一生
おみならの歌
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第9章 ブンガワン・ソロと八重汐の歌
ブンガワン・ソロ
八重汐の歌
「青年」の歌
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第10章 バリ島で神になった日本兵
マルガラナ国立英雄墓地
「戦士の声」の中の日本兵
戦争直後のバリ
平良定三さん
堀内秀雄さん
ププタン広場
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第11章 インドネシアに残った軍人・軍属
福祉友の会
さまざまな残留理由
大命に抗し正義に殉ず
戦犯を逃れて
プロフェソール・マキノ
インドネシア人ゲリラ
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第12章 「従軍慰安婦」
「Jugun Ianfu」
二万二千人も登録!
ジョクジャカルタの場合
テレビで募集
「白馬事件」
「瞼の父を求めて」
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第13章 戦争・慰霊・鎮魂
十万人も犠牲-西イリアンとカリマンタン
「死のサマリンダ街道」
壊された慰霊碑
広安部隊慰霊碑が歴史遺産
インドネシアにある旧日本軍慰霊碑
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第14章 波乱の戦後処理
武器引き渡しをめぐる悲劇
「天に向かって撃て」
スマラン事件
連鎖反応
スマトラの場合
大事業だった復員計画
違法な残置使役
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第15章 悲劇の島-レムパン、ガラン
半世紀を経た今は
レムパンは「恋飯」
藤山一郎もいたガラン島
「幽霊」でつぶれたレストラン
レムパン島再訪
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第16章 BC級和蘭軍事法廷
一番多かった死刑
日本軍は残酷だったか(一)
日本軍は残酷だったか(二)
復讐裁判
あとがき
インドネシア全図
「ポンティアナ事件」の犠牲者数比較
日本軍人・軍属・民間人インドネシア残留者調査
インドネシア各地慰霊碑一覧
和蘭法廷裁判結果
参考文献