図書センゼン センゴ ハチジュウネン000043116

戦前・戦後八十年

サブタイトル1~10
編著者名
賀屋 興宣 著者
出版者
経済往来社
出版年月
1976年(昭和51年)3月
大きさ(縦×横)cm
20×
ページ
398p,図版[8]p
ISBN
NDC(分類)
289
請求記号
289/Ka98
保管場所
閉架一般
内容注記
賀屋興宣年譜:p392-398 著者の肖像あり
和書
目次

はじめに 明治・大正・昭和・八十五年の変遷
第1部 少年から主計官への時代
日清戦争
日露戦争-臥薪嘗胆
増俸に対する無原則
関東大震災後の電話拡張の画期的推進
米は損する生糸は儲かる
文楽を授ける
海軍軍縮会議に対する日本の根本方針
国会の野次の親玉
人生はみかんのカビ
安楽死-母の死に思う
亡き妻・春子のこと
第2部 日本非常時時代
金解禁と雑音会
行政整理のマンネリズム-三土忠造・江木翼両氏
統制経済か、自由経済か
財政運営の理論と実際
山下奉文大将
大野伴睦氏
予算要求の百倍を認める
石原莞爾氏の着眼
高橋是清翁と藤井真信氏
いわゆる革新財政の批判
松岡洋右氏
予算戦略に閣僚を動かす
大口喜六さん
第3部 支那事変のころ
支那事変はだれが起こしたか?
近衛内閣入閣のいきさつ
「賀屋財政経済三原則」
閣議とはどんなものか
戦争と外債
株価対策(大東亜戦争中及び戦後をも含む)
池田成彬氏と平沼騏一郎氏
蔵相辞任と北支那開発総裁就任
支那事変はなぜ拡大したか
鮎川義介氏
入閣受諾と拒否の理由
第4部 大東亜戦争の時代
東条内閣入閣の経緯
開戦にいたる経緯
戦時インフレ対策として国民貯蓄の大増加
蔵相辞任の経緯
私の戦争責任
重臣とはどんなものか
統帥中心の喪失
暗号をぬすまれる
終戦前の混乱
戦時の国民貯蓄の奨励
予期せざる悪変化の発生
山本五十六元帥の墓
杉山元帥・阿南陸省自決
ノーコート・ノーネクタイ
陸軍大将を推薦する
時差通勤・日差休日
浪曲で金をもうける
酒談義
第5部 戦争責任と戦犯裁判
私の戦争責任は重大である
戦争裁判は不当かつ違法
なぜ私は不平なく服役したか
一億総責任説は無意味
戦争責任に日本として自主的判断のないのは遺憾
大東亜戦争戦没者遺族の深き悲しみ
勲章と私
戦争責任と私の気持
戦争裁判の資料の整備
処刑地跡地の保存
刑務所の囚人から管理者へ
一灯園精神
橋本欣五郎君の最期
釈放と処遇のからみ
第6部 戦後の政治(内外政策)
日米安保条約の真意義-アメリカ政府と協議
世界銀行と東海道新幹線・外債の処理
東南アジア視察
国際収支の危機を救う
日米安保条約、必死の推進
アイゼンハワー大統領の訪日中止
何故、外交防衛問題に力をいれたか
社会保障の推進
大声一喝、五十億円-消費者米価の抑制
国民生活に対する政治の一大欠陥
大局から見た税制
ヴェトナム問題をどう考えるべきか
日本海運の大拡充
民事・人権擁護の措置-法律扶助協会への補助
北鮮自由往来運動
東京都公安条例の危急
暴力行為処罰に関する法律の一部改正
日韓基本条約の推進
第7部 戦後の政治(党と人)
吉田茂さん
吉田内閣末期の衆議院解散説
将来の総理大臣はだれか
岸信介氏の石橋内閣入閣
岸退陣と池田内閣の成立
佐藤栄作氏の識見
なぜ私は故郷から出馬しなかったか
派閥を作らず、派閥に属せず
三木武吉氏
碁の段位
池田勇人氏の友情
想い出の人々
第8部 中国問題
はじめに
台湾は中華民国の領土である-中共の領土ではない
中共に対し日本が謝罪し、賠償する必要はない
日中正常化に何を慌てふためくのか-日中間に戦争状態はない
将来長く日本は中共と平和共存できるか-中共の本質的侵略性
米・ソ・中のアジア戦略と台湾
日中正常化の対策
台湾切り捨ての暴挙を戒める
日中共同声明に対する批判
日台航空協定について
過去の過ちを繰り返すな
賀屋興宣年譜