味の素沿革史
総説
第1章 苦心経営の四十年
調味料と文化
醤油の起源
砂糖の由来
鰹節及び昆布史
搖籃時代
新調味料が発明されるまで
新調味料の特許
調味料の製造を引き受けるまで
逗子工場時代
創建時代
川崎工場の建設
塩酸加里の製造
滋養糖の発売
味の素発売当時の状況
大阪出張所の開設
味の素に馴染まぬ大衆
味の素の使用を秘す
味の素の経済的価値
醤素の発売
鐘紡への澱粉売り込み成功
第一次世界大戦の前後
松下商店と乾物問屋
北陸方面の販売地域分譲
各地出張所、支店の開設
三千の販売店々員招待
受難奮闘時代
塩酸瓦斯と近隣の苦情
澱粉販売の苦心
原料蛇説のデマ
昔気質の料理人
率先味の素使用の料理業者
大戦後の財界恐慌
大震災と復興工事
第一次発展時代
社長緑綬褒章の拝受
特許の延長
伏見宮殿下川崎工場台臨
久迩宮両殿下の台臨
味の素特許第一四八〇五号の無効審判請求事件
大阪支店の新築と各地事務所の増置
味の素発売二十周年記念の催し
味の素を調剤に使用
初代社長の逝去と新社長の就任
味の素デーの催し
濫売に就いて
函番号に依る抽籤制度
贈呈金証書
偽造品現わる
川崎工場争議の顛末
海苔養殖業者よりの苦情
魚介斃死事件
第二次発展時代
大阪包装所の設置
味の素会
精進料理と味の素
蒲鉾との関係
中華料理と味の素
料理業者の味の素会
煮沸しても効力不変
味の素の類似品
味の素食堂をやめさせたこと
アメリカより塩化加里輸入
味の素の新用途
味の素ビル竣工
家庭訪問による消費調査
味の素の秤り売り
川崎包装工場の完成
コーングルテンその他の買い入れ
富山広貫堂への売り込み
計画審議委員会と建設部
軍納その他の直売
「味の素前」停留所の称呼
統制時代
原料、資材の窮屈
アミノ酸の統制
味の素の規格と公定価格
味の素の切符配給制度
全国グルタミン酸ソーダ配給統制協議会の結成
濃縮味液と軍用
味の素製造の中止
雌伏時代
空白の三箇年間
アルミナ工場建設
水化ヒドラジンの生産
電気製塩
製油事業の為め南方へ進出
食品着色用メラニン液に就いて
終戦後に於ける味の素事業の復活
第2章 通時代記録
発明者及び歴代社長
味の素発明者池田菊苗博士
初代社長(先代)鈴木三郎助
二代社長(鈴木忠治)
三代社長(鈴木三郎助)
四代社長(道面豊信)
会社の沿革、組織及び資本
合資会社鈴木製薬所の沿革
株式会社鈴木商店
資本金の推移
特許と受賞記録
受賞記録
本社の得たる特許の数々
販売機構
支店、出張所その他
特約店の変遷
値段、包装の変遷その他
値段の変遷
味の素包装の種類
特売のいろいろ
川崎工場に於ける特殊造営物
社宅及び寄宿舎の建設
多摩川堤防工場
水門及び運河工事
宮内省御用品謹製所
保税工場
上水道工事
自家発電装置
鉄道引込線
当会社の厚生福利施設
社宅及び寮
保健衛生その他の施設
第3章 海外発展史
朝鮮に於ける味の素
特約店
味の素会
朝鮮事務所
広告と宣伝
麺屋、飯屋への売り込み
旭味の出現
西鮮味の素販売株式会社
台湾に於ける味の素
代理店
吉野屋の組織変更
代理店の増設
初代社長の渡台
金色缶の発売と煮売屋の需要
零売(秤り売り)
味の素専売店制度
特約店を内地に招待す
金色缶の金券附特売
台湾出張所
濫売とその対策
台湾味の素販売株式会社の設立
不正調味料
販売会社の解散
台湾に於ける広告、宣伝
台湾出張所の閉鎖
上海に於ける味の素
出張所開設当初の状況
宣伝と販路拡張
日貨排斥運動
初代社長の中国各地観察
満洲事変後の排貨
味華の発売と類似品
排日一時下火となる
日華事変の発生
上海味の素公司
上海に小工場を設く
上海出張所の閉鎖
上海市場に於ける粉末調味料情勢
満洲に於ける味の素
販売及び宣伝
新聞広告、看板、楽隊、見本瓶宣伝
売れ行きと販売機構
味の素の統制配給
味の素のアメリカ進出
化学薬品から味の素へ
紐育鈴木商店の開設
全米への宣伝漸く奏効
フッド・ロー
大量需要から一般大衆へ
ラロー氏と協定
第4章 各地工場及び関係会社
横浜工場の沿革
宝製油株式会社の設立
本社所属の横浜工場となって以降のこと
横浜工場に於ける製塩事業
膠着剤「大豆グルー」の製造
佐賀工場
敷地選定から工場建設まで
生産の経過と現況
銚子研究工場
関係会社
昭和工業株式会社
満洲農産化学工業株式会社
天津工業株式会社
香港化学工業廠
三楽酒造株式会社
宝製薬株式会社
三工株式会社
埼玉鉄造株式会社
第5章 広告及び宣伝
新聞広告
新聞広告小史
外地新聞
一般広告
電車内掲示広告
味の素ぞうにと味の素うどん
見本瓶の配布と小学校宣伝
女学校宣伝
看板の各種と看板班
南方に於ける宣伝
博覧会に於ける宣伝
アドバルーン
劇場利用の宣伝
ラジオ放送宣伝
飾窓競技会
割烹講習会と料理の先生の事
新家庭日記その他の宣伝物
歌詞による宣伝
旅行、観劇招待、景品附売出禁止さる
第6章 製造及び研究部門
味の素製造法の変遷
最初は分解用の容器その他で一ト苦労
小麦粉蛋白質の分離法
加水分解装置に就いて
加水分解物の処理
塩酸塩処理
大豆粕原料に就いて
グルタミン酸から製品を作ること
味の素製造技術の進歩
グルタミン酸の回収
無加熱石灰塩法からグルタミン酸法へ
真空缶結晶の完成
製造法の機械化
脱脂大豆の独立使用
生産の拡張
アミノ酸の研究
塩酸塩の析出
加熱用エナメル引パイプ
味の素の晶析精製及び乾燥
設備の改善
大豆その他の蛋白質利用に関する沿革
大豆粕の分解
蛋白質抽出作業
脱脂大豆の直接加水分解
非蛋白質物の抽出
脱脂大豆の脱皮作業
稍々大規模の分解開始
密閉式分解釜
硬質ゴムライニング釜からエスサン釜へ
真空冷却缶
肥料の製造と炭水化物の利用
コーングルテンの研究
増産に伴い廃液利用
ヒューマスの濾過
耐酸濾布の製造
種々な蛋白資源の研究
塩酸の自給
搾油工場の自営
澱粉の製造
製鉄工場
澱粉液の絞水作業
澱粉の乾燥
特等澱粉の製造
白粕分離法
テーブル振切法
特等澱粉の乾燥
粉砕工場
アミノ酸の製造
分解液利用は池田博士の創意
アミノ酸醤油の研究
西工場(アミノ酸工場)の拡張
含糖アミノ酸
宝醤油工業株式会社
アミノ酸製造高
戦後の復興
調味精粉副生窒素肥料の製造
試験工場に於ける工業実験
肥料製造営業の免許とその名称
本肥料の製造に就いて
本肥料の肥効に就いて
結び
電解工場の沿革
運転の初期とその後
戦災から漸く復旧
乾塗の沿革
耐酸資材の研究に池田博士も苦心
耐酸性分解釜の試作に着手
遂に独特のエスサン釜
完成乾塗一号張と同二号張
研究室
研究室の沿革及び業績
研究室以外の人々の研究
第7章 組織管理
機構と職制
重役
幹部職員録
総則
總則
職制
分課並びに業務分掌
執務要項
任免
就業
味の素株式会社定款の変遷
労働組合の結成
従業員精勤表彰制度に就いて
回顧余録
味の素年譜