わが青春と抑留と
- サブタイトル
- 編著者名
- 杉村 一幸 著者
- 出版者
- 鳥影社制作室
- 出版年月
- 1991年(平成3年)12月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 174p
- ISBN
- NDC(分類)
- 916
- 請求記号
- 916/Su39
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 著者の肖像あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
中華民国(現中国)上海支店へ転勤となる
現役兵として入営する
初年兵時代の思い出
砲兵隊より歩兵隊へ転属となる
ソ連軍の進攻
六名だけで山中を抜け朝鮮半島へ脱出の夢を抱いて
友軍の惨死を目の当りに見て絶句
二人だけになって更に山奥へ
八月十五日停戦の詔勅ありと、武装解除に応ずる
何も知らされずに旧満州国牡丹江省東京城に集結
編成されて赤い貨物列車に乗る
ソ満国境を越えてコムソモリスクへ(現在のコムソモリスク・ナ・アムーレへ)
第三ラーゲリ(収容所)へ配属
魔のラーゲリ、五百名の内半数が帰らぬ旅へ
凄惨な護国の英霊(冷凍人間を乗せたトラックは何処へ?)
遂に倒れて高熱にうなされる
ジストロフィー(栄養失調者)として軽作業に従業する
第十二ラーゲリへ配属、作業に復帰する
内山組へ入る
柴田組へ移る
関野組へ移る
荒巻鮭の大盤振る舞い
酷寒零下四十度の実感と冬景色
貴重な与えられた食物、被服等
白夜の思い出ほか
真冬のトイレの状況
作業を続けている内にダモイ(帰国)のニュースを聴く
左足向脛挫傷にて入院
コムソモリスクの中央病院の衛生兵として
メーデーのレクリエーション
参考までにソ連の労働者について
ソ連兵及び其の他について
自分の肌で感じたシベリアに関して
愈々ナホトカから舞鶴港へ
復員して感ずるがままに
郡山市、添田喜道先生よりお手紙を頂く
会田衛生兵のご遺族と近況について
生死不明のドクトル・スガイ(菅井軍医)
日ソ交流の懸け橋として一提言
竹馬の友として(吉川桝江)
兄の入営から復員までの思い出(妹 加藤信子)
英霊二百五十一柱コムソモリスク墓地に眠ることが判明する
厚生省援護局調査資料室の時宜に適った返信を頂く
戦いの勝者、敗者、共に犠牲となるものについて(一兵士の述懐)
ソ連抑留死亡者の名簿
関連略図
あとがき
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