猶太難民と八紘一宇
- サブタイトル
- 編著者名
- 上杉 千年 著者
- 出版者
- 展転社
- 出版年月
- 2002年(平成14年)2月
- 大きさ(縦×横)cm
- 19×
- ページ
- 302p
- ISBN
- 4886562078
- NDC(分類)
- 210.75
- 請求記号
- 210.75/U47
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 文献あり 著作目録あり 年表あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
序章 二つの〈大聖年〉
西暦二〇〇〇年・ローマ法王がユダヤ人迫害を懺悔
皇紀二六〇〇年・杉原千畝がユダヤ難民六〇〇〇人を救出
八紘一宇は世界征服思想だったのか!
「八紘一宇は道徳上の目標」と東京裁判で判決下る
第1章 日猶同祖論の光と影
『ヴェニスの商人』と日露戦争に始まるユダヤ理解
日猶同祖論の濫觴と展開
「宗教」としての日猶同祖論
第2章 反ユダヤ論の淵源と変遷
反ユ論と親ユ論の相剋
ユダヤ禍の元凶とされた『シオン長老の議定書』
プロトコールを巡る日本人群像
ユダヤ陰謀団と目されたフリーメーソン
フリーメーソンの正体
ユダヤ難民を救出・保護した「八紘一宇」の精神
第3章 樋口季一郎陸軍少将と「オトポール事件」
ユダヤ人から「天皇こそメシア」の声を聞いた樋口
第一回極東ユダヤ人大会開催を支援す
ユダヤ難民に理解を示した樋口の大会祝辞
ユダヤ難民救出の樋口ルートを拓く
「オトポール事件」の真相
ユダヤ難民救出の「樋口ルート」に新事実発見
第4章 安江仙弘陸軍大佐と『猶太人対策要綱』
陸軍随一のユダヤ問題研究家
板垣陸軍大臣を動かし五相会議で『猶太人対策要綱』を策定さす
皇道精神が発露した「対策要綱」の対ユ方針
反ユ一色の国際社会に同調しなかった日本
大日本帝国の「善意」を貶める愚論を排す
ユダヤ人保護地区構想で「対策要綱」の具体化へ奔走
第三回極東ユダヤ人大会と米・独の反応
日独伊三国軍事同盟と安江機関の誕生
大東亜戦争開戦により『猶太人対策要綱』廃止
第5章 犬塚惟重海軍大佐と上海ユダヤ難民
シベリア出兵でユダヤ問題に着目
ユダヤ研究で海軍の第一人者に
対ユ政策は八紘一宇の精神で
上海に犬塚機関を創設しユダヤ難民保護へ
複雑な上海のユダヤ人社会の実態
提督への道を辞退しユダヤ難民保護に専心
上海にユダヤ難民自治区構想で奔走
ユダヤ難民問題と日米関係改善で「田村工作」に協力
日独伊三国軍事同盟成立で「田村工作」成らず
神戸滞留ユダヤ難民の上海流入
犬塚大佐への誤解
白露人協会より白露系ユダヤ人を分離独立さす
シナゴーグ建設用にセメント千六百袋供与
犬塚大佐を部長に海軍特別調査部創設
反ユ勢力から狙われた犬塚機関
犬塚大佐の艦隊転出でユダヤ難民監視政策に転換
ユダヤ難民の歴史的証言「上海は楽園でした」
第6章 杉原千畝カウナス領事代理と六千人の命のビザ発給
「天の配剤」外交官となるまで
運命の地カウナスへ赴任
ユダヤ難民を救った「千畝神話」の誕生
杉原の「特例ビザ」発給は外務省訓令違反だったのか
「命のビザ」発給の経緯
第7章 ユダヤ問題異聞
ユダヤ難民を救出・保護した日本人に対するユダヤ人の評価
ゴールデン・ブックに記銘された日本人たち
ホロコーストからユダヤ人を救ったシンドラーの戦後
ユダヤ難民一万一千人虐殺を阻止した四王天延孝・ハルピン陸軍特務機関員
第8章 極東国際軍事裁判の破綻したシナリオ
在存しない「人道ニ対スル罪」でも告発
真珠湾奇襲攻撃は騙まし討ちに非ず
開戦責任は米英にもあり
自衛戦争として開戦
自衛戦争に開戦通告は不要
バターン「死の行進」は誤解
南京事件はホロコーストに非ず
南京事件の実相
国際連盟でも非難決議がなかった南京事件
東京栽判における南京事件の判決
南京大虐殺の実行犯という「作り話」の汚名を雪げ
在米ユダヤ人団体の誤解
南京戦参加兵士の「作り話」が大虐殺派に寵用さる
終章 〈ユダヤ問題〉はまだ続く
戦後の国民教育転換の契機
十二月六日を「人道の日」に
教科書にユダヤ難民を救出・保護した「日本」と「日本人」を明記せよ
関連年表
参考資料
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