大日本史料 第5編之13
四条天皇
仁治元年
九月
一日 幕府、六波羅ニ令シ、石清水八幡宮領長門津布田荘公文貞能姓闕ク、ヲシテ、同宮当年ノ安居頭役ヲ勤仕
五日 前権僧正園城寺道誉寂ス、
六日 石清水八幡宮ノ神宝御剣袋等ノ鼠損ヲ軒廊ニトス、
七日 幕府、持仏堂久遠寿量院ニ於テ、彼岸法華懺法結願ヲ行フ、
八日 施薬院使正四位上丹波良基卒ス、
十五日 僧正慈源、道家ノ祈トシテ、法性寺荘厳蔵院ニ於テ、薬師法ヲ修ス、
十六日 前大僧正覚教ノ東寺一長者及び護持僧ヲ罷ム、〇大僧正良恵ヲ寺務法務ト為ス、
十七日 大神宮神嘗祭、
廿六日 臨時除目、〇右大臣実親ヲ従一位ニ叙ス、〇右大臣実親、内大臣家嗣、上表ス、
三十日 幕府評定、〇在官ノ御家人等ノ中、行幸等ニ供奉セザル者ヲシテ、其用途ヲ進済セシム、
十月
一日 平座、
三日 大隅台明寺、同国国衙ニ牒シテ、守護代左衛門尉定重姓闕ク、ノ苛責ヲ訴フ、
十日 興福寺維摩会、
幕府、安東光成ヲシテ、鎌倉山内ノ道路ヲ修造セシム、
十三日 幕府評定、〇鎌倉五大堂内ニ、北斗堂建立ノコトヲ定ム、
十四日 法橋明賢ヲ高野山ケンコウニ補ス、
十六日 月食、
二十日 任大臣節会、〇権大納言藤原実経ヲ右大臣ニ、大納言藤原家良ヲ内大臣ニ任ズ、〇実経、家良、大饗ヲ
梟清涼殿ニ入ル、
正三位藤原公長出家ス、
廿二日 幕府、恩沢ヲ行フ、
廿六日 摂政兼経、大神宮領参河橋良御厨花崎郷内ノ田畠相論ニ就キテ、民部卿平経高ノ意見ヲ徴ス、
廿八日 摂政兼経ニ牛車ヲ聴ス、
法印権大僧都慈禅ヲ法性寺座主ニ補ス、
是月 厳島社、同社内外宮ノ造畢並ニ未造ノ殿舎ヲ注進ス、
虚仮、佐々木信綱、政子ノ月忌仏事ヲ高野山金剛三昧院ニ修セシメ、灯油仏餉並ニ僧饌料トシテ、和泉八田郷ノ
閏十月
二日幕府、筑前怡土荘内藤原、安垣両村ニ、地頭清親姓闕ク、ノ濫妨スルヲ停メ、佐志増ヲシテ、之ヲ知行セシ
加賀白山社司等、同社造営ノコトニ就キテ、民部卿平経高第ニ参訴ス、
三日 官符請印、
五日 幕府、問答訴人等ノ問状ニ就キ、掠メ申ス者ヲ罪科ニ処スベキコトヲ定ム、
六日 幕府、伊福道行ヲシテ、肥前大河村ノコトヲ沙汰セシム、
七日 摂政兼経、前周防守藤原親実ヲシテ、任官ノ功ヲ募リ、厳島社遷宮神宝用途料ニ充テシム、
八日 僧正慈源ヲシテ、閑院内裏ニ於テ、如法尊勝法ヲ修セシム、
摂政兼経、民部卿平経高、大蔵卿菅原為長等ト、入道藤原資経、従三位藤原経賢兄弟ノ亡父ノ遺領相論ニ就キテ
十日 延暦寺西塔及ビ横川衆徒ノ訴ニ依リテ、木津荘預所法眼承弁ヲ改易ス、
十一日 幕府、鴨御祖社領安芸都宇、竹原両荘領家使康憲姓闕ク、ト、地頭小早川茂平ノ代官親康姓闕ク、トノ
十二日 但馬ノ国務ヲ延暦寺ニ付ス、〇延暦寺、竹野、東河両郷ノ外、郷保寺社ヲ併セテ、国務ニ付シ、諸堂ノ
十三日 左近衛中将藤原基輔ノ第ニ盗賊乱入ス、
十七日 造酒司、東西両京ノ諸酒屋等ニ、供酒ヲ課シ、以テ諸社祭神供、諸公事用途、御厨子所殿上長日貢酒闕
十九日 将軍塚鳴動ス、
京都火アリ、〇法成寺附近中御門高倉辺災ス、
二十日 幕府、二階堂基行ノ子行氏ヲシテ、肥前鏡社、伊勢益田荘、尾張西門真荘、参河重原荘、相模懐島内殿
廿四日 民部卿平経高、左大臣良実ニ、師員法師ノ遺財相論ニ就キテ、意見ヲ具申ス、
廿八日 臨時途目、
公経ノ今出川第ニ、御方違行幸アラセラル、
法印醍醐寺無量寿院浄真寂ス、
是月 春日社神人、検非違使別当藤原実持ノ第ニ群参シテ、庁始等ヲ押妨シ、狼籍ヲ行フ、
十一月
一日 朔旦冬至、〇旬ノ儀及び御暦奏ヲ行フ、
二日 頼経、剣ヲ厳島社ニ献ズ、
摂政兼経、鴨御祖社禰宜祐継ト、同社神人トノ但馬土野荘下司職相論ニ就キテ、民部卿平経高ニ諮問ス、〇経高
七日 平野祭、〇春日祭、
八日 幕府、貢馬ヲ内裏ニ進ム、
十二日 五節、
朔旦冬至叙位、
幕府、鎌倉大倉北斗堂ノ地引始ヲ行フ、〇泰時、監臨ス
十四日 新嘗祭、
十五日 豊明節会、
十七日 京都大風雨雷鳴、
十九日 前淡路守従五位下長沼宗政卒ス、
二十日 東寺三綱ノ請ニ依リ、道深法親王家ノ御寄進状ニ任セテ、若狭太良保ヲ同寺領ト為ス、〇勅院事大小国
権中納言藤原道嗣ニ帯剣ヲ聴ス、
廿一日 幕府、保々奉行等ニ令シテ、街衢ニ篝火ヲ焼キ、鎌倉中ヲ警衛セシム、
廿三日 大原野祭、
幕府評定、〇下知ニ背ク地頭ノ所領ヲ没収スルコトヲ停メ、其得分ノ内ヨリ、京都未作ノ篝屋用途銭ヲ徴スル事
丹波経長ヲ施薬院使ニ補ス、
廿五日 朔旦女叙位、
廿六日 従三位藤原行能出家ス、
廿七日 文章博士藤原経範ニ昇殿ヲ聴ス、
右大臣実経第作文会、
廿八日 幕府、京都大番役遅参者ニ、過怠料ヲ徴シ、未作ノ篝屋料ニ充ツベキ事ヲ定ム、
廿九日 幕府評定、〇洛中群盗蜂起ノ風聞アルニ依リテ、京都篝屋ニ大鼓ヲ置キ、在家ニ続松ヲ備ヘシムル事等
三十日 法成寺八講、
是月 醍醐寺、権大僧都実深ヲ定額僧ニ補セラレンコトヲ請フ、
群盗、修明門院ノ四辻殿ヲ犯ス、
十二月
二日 前天台座主慈賢、所持ノ聖教法文等ヲ道覚法親王ニ譲進ス、
四日 臨時除目、
六日 御元服由奉幣使ヲ大神宮ニ発遣ス、
七日 幕府、鹿島社大禰宜中臣頼親ヲ、常陸橘郷地頭職ニ補ス、
十一日 皇大神宮外院御輿宿及ビ禰宜宿館五十余宇炎上ス、
月次祭、
十三日 仁和寺道深法親王、舞ヲ御覧アラセラル、
幕府ノ申請ニ依リ、検非違使庁ヲシテ、京都ノ群盗ヲ鎮遏セシム、
十四日 任大臣節会、〇摂政兼経ヲ太政大臣ニ任ズ、〇兼経、大饗ヲ行フ、
十五日 幕府評定衆左衛門尉二階堂基行卒ス、
十六日 幕府、二所精進屋ヲ建立ス、〇評定ヲ行ヒ、二所、三島、春日社等ニ於ケル、毎月神楽ノ執行、御家人
十八日 京官除目、
十九日 御仏名、
廿一日 摂政兼経、直盧ニ於テ、皇大神宮外院火災ノ事ヲ議定ス、
泰時、評定衆等ヲ率ヰ、頼朝ノ法華堂ニ臨ミ、故評定衆二階堂基行ノ初七日仏事ヲ修ス、
廿四日 皇大神宮外院ノ火災ニ依リ、参議左大弁藤原忠高ヲ伊勢ニ遣シテ、宸筆宣命ヲ大神宮ニ上ル、〇発朝ヲ
法勝寺大乗会、
廿九日 政始、
左大臣良実ノ子道良ニ、昇殿ヲ聴ス、
三十日皇大神宮外院ノ火災ニ依リテ、御元服音楽ノ有無ヲ議ス、
追儺、〇僧事、〇権大納言藤原忠家ニ帯剣ヲ聴ス、
是月 摂政太政大臣兼経ノ政所、代々ノ政所下文以下ノ証文等ニ依リ、信景姓闕ク、ヲシテ、鹿島社内豊野赤見
是歳 新居盛氏、伊予桑村郡上市村ニ観念寺ヲ創建ス、
年末雑載
暦、
変異
神社
仏寺
諸家、
疾病、死歿、
学芸、
寄進、
注進、
流質、
訴訟、
処分、
譲与、
売買、
仁治二年
正月
一日 節会、
幕府、歳首ノ儀ヲ行フ、
四日 頼経、吉書ヲ覧ル、
五日 彗星見ハル、
閑院ニ於テ、御元服ノ儀ヲ行ハセラル、
叙位、
幕府弓始、
七日 白馬節会、〇御元服後宴、
東大寺別当良恵ヲ罷ム、〇法印権大僧都定親ヲ以テ、之ニ補ス、
八日 京都清水北斗堂辺ニ落雷アリ、
御斎会、〇後七日御修法、〇太元帥御修法、
幕府心経会、
十四日 神護寺ニ阿闍梨三口ヲ置ク、
頼経、鶴岡八幡宮ニ参詣ス、
十六日 踏歌節会、
僧正慈賢、天台座主及ビ法務、護持僧等ヲ辞ス、〇僧正慈源ヲ天台座主及ビ護持僧ニ還補ス、
十七日 献策、〇政始、
頼経ノ室藤原氏、二棟御方、鶴岡八幡宮ニ参詣ス、〇幕府、鎌倉ノ春日別宮及ビ筥根、伊豆、三島三社ニ神楽ヲ
廿三日 頼経、北条経時、同時頼等ヲシテ、笠懸並ニ射的ヲ行ハシム、
廿七日 道家、ロン子ト共ニ、春日社ニ参詣ス、
是月 長門国衙、留守所ヲシテ、宣旨ニ依リ、同国阿弥陀寺免田ノコトヲ沙汰シ、同寺辺ニ於テ、殺生ヲ禁断セ
二月
一日 県召除目、
二日 春日祭、
三日 幕府、虚仮佐々木信綱ノ請ニ依リ、其所領和泉横山荘地頭ノ得分ヲ、政子追善ノ為メニ、高野山金剛三昧
四日 祈年祭、
鎌倉ニ白赤気出現ス、
五日 安嘉門院、石清水八幡宮寺ニ御幸アラセラル、
七日 鎌倉大地震、
八日 大原ノ法華堂ヲ供養シ、顕徳院ノ御遺骨ヲ奉遷ス、
九日 鶴岡八幡宮臨時祭、
十日 頼経、筥根、伊豆両社ニ参詣ス、
十一日 京都鷹司河原橋供養、
十二日 鹿島社災ス、
十五日 興福寺常楽会、〇公経、之ニ臨ム、
前権大納言藤原公雅ニ本座ヲ聴ス、
廿一日 天台座主慈源、仁寿殿ニ於テ、七仏薬師法ヲ修ス、
廿二日 頼経、北条朝時ノ名越第ニ方違ス、
廿三日 幕府、頼経ノ子頼嗣ノ魚味、著袴及び乗馬始ノコトヲ沙汰ス、
廿五日 泰時、長秀連ト高田盛員トノ上野菅野荘内ノ境相論ヲ裁シ、奸訴ノ罪ニ依リ、盛員ノ所領一所ヲ収ム、
是月 権僧正公縁ヲ園城寺長吏ニ任ズ、
足利義氏、下野足利荘公文所ヲシテ、父祖忌日ノ仏事及ビ堀内堂ノ講筵以下ノコトヲ催勤セシム、
三月
三日 前天台座主僧正慈賢寂ス、
八日権僧正聖基ヲ護持僧ト為ス、
十二日 摂政兼経、鹿島社ノ火災ニ依リテ、春日社ニ奉幣ス、
十四日 権中納言源顕定ニ帯剣ヲ聴ス、
十五日 永福寺一切経会、〇頼経、之ニ臨ム、〇大江泰秀ノ第ニ赴ク、
十六日 幕府評定、〇泰時、評定所ニ於テ、和歌ヲ詠ズ、
十七日 宣陽門院、東寺所蔵ノ健陀穀子袈裟ヲ修補セシメ給フ、
鎌倉甘縄辺火アリ、〇千葉時胤、安達義景等ノ第災ス、
十八日 石清水臨時祭、
泰時、綿貫入道名闕ク、ヲシテ、津軽岩楯尼ニ、亡夫墓堂ノ仏餉料田トシテ、荒野二町ヲ渡付セシム、
二十日 幕府、六波羅ニ令シテ、諸人相論ノ文書送進ニ就キテ、精勤ノ沙汰ヲ致サシム、
廿一日 東寺御影供、
廿五日 幕府評定、〇海野幸氏ト武田信光トノ上野三原荘ト、信濃長倉保トノ境相論ヲ裁シテ、信光ノ押領ヲ停
廿六日 参河守藤原房名ヲ罷メ、清原教隆ヲ之ニ補ス、
廿七日 鹿島社ノ火災ニ依リテ、春日、大原野、吉田三社ニ奉幣ス、
幕府、鎌倉大倉北斗堂立柱上棟ノ儀ヲ行フ、〇泰時、之ニ臨ム、〇鎌倉深沢大仏殿上棟ノ儀アリ、
四月
一日 平座、
二日 幕府、千度祓ヲ行フ、
三日 摂政兼経、鹿島社ノ火災ニ依リテ、大原野、吉田両社ニ奉幣ス、〇公卿僉議ヲ行フ、
鎌倉大地震、〇由比浦鶴岡大鳥居内内拝殿流失ス、
四日公経第ニ於テ、舞楽アリ、
五日 内大臣家良上表ス、
幕府、御家人等ニ課シテ、鎌倉ヨリ六浦津ニ通ズル道路ヲ新造セシム、〇泰時、之ニ監臨ス、
七日 祭除目、
八日 東寺三長者僧正行遍ヲ法務ト為ス、
九日 稲荷祭ヲ延引ス、
十二日 左馬頭正五位下足利義氏出家ス、
十五日 賀茂祭、
十六日 道家、東寺潅頂院ニ於テ、僧正行遍ニ就キテ、伝法潅頂ヲ受ク、
幕府評定、〇泰時、武田信光ノ起請文ヲ評定衆ニ示シ、評定衆以下一流家督ヲシテ、之ニ傚ハシム、
十七日 任大臣節会、○権大納言藤原兼平ヲ内大臣ニ任ズ、〇兼平、大饗ヲ行フ、
廿三日臨時除目、
廿五日 幕府、大宮盛員ト豊島時光トノ、懸物武蔵豊島荘犬食名ニ就キテノ相論ヲ裁シ、同名ヲ収公ス、〇下知
廿七日 幕府、天地災変祭ヲ行ヒ、天変地妖ヲ祈禳ス、
廿九日 幕府、新田政義、毛呂蓮光ニ因人ヲ逐電セシメシ罪ニ依リテ、過怠料ヲ課ス、〇新大仏殿造営料ニ寄進
是月 厳島社神官等、同社舎屋ノ造否ヲ注進シ、国費ヲ以テ、未造社殿ヲ造営セシメラレンコトヲ請フ、
五月
二日 幕府、大河行友、同俊幸、同幸則等ノ、肥前大河西郷ニ就キテノ相論ヲ裁シ、幸則ヲシテ之ヲ領知セシム
五日 鶴岡八幡宮神事、〇頼経、之ニ臨ム、
参議従三位藤原実蔭薨ズ、
六日 幕府評定、〇狼藉ノ科ニ依リテ、本荘時家ノ所領ヲ没収ス、
十日 幕府、非勘ノ咎ニ依リテ、問注所奉行大江以康ノ所領一所ヲ収ム、〇博奕ノ罪ニ依リテ、三浦景村ノ所領
十四日 幕府、田口成蔵ニ、豊前市丸名田畠山野等ヲ安堵ス、
二十日 幕府、評定衆佐藤業時ヲ罷ム、〇鎮西ニ配流ス、
廿三日 肥後国ノ御家人大町通信、多々良通定ト、同国大町荘地頭職ヲ相論ス、〇幕府、通信ヲシテ、之ヲ領知
廿五日 六波羅、安嘉門院御領大和野辺荘荘官等ヲシテ、前預所観蓮房並ニ定使信盛姓闕ク、トノ訴訟ニ就キテ
廿八日 入道従五位上大江時広卒ス、
廿九日 幕府評定、〇鶴岡職掌家重姓闕ク、ヲ、博奕ノ事ニ依リテ解職ス、〇鶴岡八幡宮寺ヲシテ、神人ノ本数
六月
一日 大宰府、大治延応年間ニ於ケル、筑後国内ノ社寺及ビ官舎等ノ実状ヲ勘録ス、
三日 幕府、宗像社領筑前曲村ヲ以テ、地頭請所ト為ス、〇大宰少二藤原為佐ニ令シ、同村住民ヲシテ、先ノ下
四日 道家、天台座主慈源ヲシテ、法性寺第ニ於テ、七仏薬師法ヲ修セシム、〇一条第ニ於テ、冥道供ヲ修セシ
七日 丹生川上及ビ貴布禰両社奉幣ノ日時ヲ勘申ス、
臨時除目、
八日 熊野新宮災ス、
虚仮、佐々木信綱、遁世ノコトヲ幕府ニ申請ス、
九日 大原野社遷宮、
摂政兼経、大中臣時継ヲ春日社権神主ニ補ス、〇時継ノ座次ヲ定メ、其得分ヲ以テ、恒例臨時御供、直会以下ニ
幕府、災旱ニ依リ、江島ニ於テ、鶴岡八幡宮寺別当定親ヲシテ、祈雨法ヲ修セシメ、陰陽師等ヲシテ、千度祓ヲ
十日 御体御卜奏、
幕府、六波羅ヲシテ、検非違使庁ヨリ、洛中ニ於ケル殺害ノ重犯人ヲ受ケ、之ヲ処断セシム、
十一日 摂政兼経、雑務以下ノ条々ヲ議ス、
幕府、雑人ノ訴訟延滞スルニ依リ、奉行人ノ奉書ヲ以テ、直ニ下知ヲ加ヘシム、
六波羅、備前金山寺柱僧ノ訴ニ依リ、同国守護代ヲシテ、守護並ニ地頭等ノ路次往反ノ煩ヲ為スコトヲ停メシム
十二日 幕府、属星祭ヲ修ス、
十四日 東寺二長者厳海ヲシテ、神泉苑ニ於テ、孔雀経ヲ読誦シ、雨ヲ祈ラシム、
十五日 幕府、六波羅ニ、問注記並ニ文書等ノ調進ニ就キテ、勤節ヲ尽スベキコトヲ沙汰ス、
十六日 炎旱ニ依リ、春日社ヲシテ、神事ノ違例ヲ注進セシム、〇官使ヲ遣シテ、社辺ノ汚穢ヲ巡検セシム、
幕府、筑後守護人北条時章ヲシテ、小河直季ト、同国御家人兼頼姓闕ク、ノ妻トノ所領ヲ半減セシム、〇預リ置
十七日 厳島社遷宮ノ日時ヲ定ム、
幕府、頼経ノ子頼嗣ノ髪置ノ儀ヲ行フ、
十八日 幕府評定、〇六波羅ヲシテ、西国諸社ノ神人及ビ権門寄人等ノ狼藉ヲ行フ者ヲ召進セシム、
奈良僧ノ夢想ニ依リテ、諸人八戒ヲ持ス、
十九日 春日社宝蔵ヲ修理ス、
廿一日 盗、春日社ニ入リ、唯識講ノ閼伽具及ビ若宮社経机ノ金物、並ニ本宮二御殿千木金物等ヲ窃取ス、〇官
肥前晴気領地頭職藤原顕嗣、所職ヲ妻大江氏ニ譲与ス、
廿二日 太政官庁ニ、大神宮禰宜ヲ召シテ、去年皇大神宮外院ノ火災ノコトヲ推問ス、
廿三日 東寺一長者良恵ヲシテ、孔雀経御読経ヲ神泉苑ニ於テ行ヒ、雨ヲ祈ラシム、〇東寺潅頂院ニ於テ、之ヲ
廿七日 粉河寺、金剛峰寺ト境堺ヲ諍フ、〇粉河寺僧徒等、兵具ヲ帯シ、百姓ヲ引率シテ、論地名手荘ニ赴キ、
泰時疾ム、
廿八日 幕府、北条経時、大江泰秀ヲ評定衆ト為ス、
幕府臨時評定、〇佐貫時信ノ訴訟ヲ裁シ、時信ノ養父時綱ノ後家ヲシテ、本夫ノ遺領上野赤岩郷ヲ領掌セシム、
是月 金剛寺二季伝法会ノ条規ヲ定ム、
肥後国留守所、庁宣ノ旨ニ任セ、同国玉名郡寿福寺ニ田地ヲ寄進シ、国司ノ寿算ヲ祈ラシム、
七月
三日 頼経、僧都隆弁ヲ筥根山般若峰ニ遣シテ、十六会ヲ転読セシム、
四日 法勝寺御八講、
幕府、頼経ノ為メニ、八万四千基泥塔供養ヲ行フ、
八日 幕府、七座泰山府君祭ヲ行フ、
十日 道家、春日社ニ参詣ス、
十五日 行勇、荘厳房、退耕、鎌倉寿福寺ニ寂ス、(行勇請文)
十六日 左大臣良実ノ子、道玄、梶井尊覚法親王ノ室ニ入ル、
十七日 厳島社内宮遷宮、
臨時除目、
廿二日 平野社ニ行幸アラセラル、
廿六日 大原野社ニ行幸アラセラル、
幕府、大属星供及ビ属星祭ヲ行フ、〇如法泰山府君祭ヲ行フ、
頼経室、石山局ノ第ニ赴ク、
是月 高野山奥院僧徒等、伝法院ノ法華三昧ヲ妨ゲ、道場ヲ破却ス、〇伝法院僧徒、十津川ノ悪徒ヲ使嗾シテ、
円爾、弁円、宋ヨリ帰朝ス、〇筑前崇福、承天両寺ヲ創建ス、(師範画像)
八月
四日 勧修寺八講結願、
七日 松尾末社櫟谷、宗形両社災ス、
十二日 北条経時ヲ従五位上ニ叙ス、
十五日 石清水放生会、
鶴岡放生会、〇頼経、之ニ臨ム、〇頼経、当座和歌会ヲ行フ、
二十日 入道前権中納言正二位藤原定家薨ズ(定家日記 懐紙 画像)
廿二日 幕府、肥前大河行元ト伊福道行トノ同国大河、伊福両村ニ就キテノ相論ヲ裁シ、行元ノ濫訴ヲ停ム、
廿五日 幕府、鎌倉大倉北斗堂供養ヲ行フ、〇頼経、之ニ臨ム、
廿八日 幕府評定、〇諸人訴訟対決ノ時、懸物ノ状ヲ進ムルコトニ就キテ、其法ヲ定ム、
九月
三日 北条経時、父時氏ノ遺命ニ依リテ、信濃奈古又太郎名闕ク、ノ承久勲功ノ追賞ヲ幕府ニ申請ス、
六日 賀茂社氏人逮捕ノ科ニ依リテ、検非違使中原為季ヲ阿波ニ配流ス、
七日 東寺四長者権僧正実賢辞退ス、
幕府臨時評定、〇細工所野世五郎名闕ク、ニ、相模新田垣内等ノ地ヲ与フ、
九日 鶴岡八幡宮神事、〇頼経、之ニ臨ム、
十日 幕府、前若狭守藤原顕嗣ノ妻大江氏ヲ以テ、肥前晴気領地頭職ト為ス、
六波羅、左衛門尉友成姓闕ク、ノ訴ニ依リテ、薩摩国阿多郡内北方地頭某ノ新儀濫妨ヲ停メシム、
十一日 幕府、京都篝屋ノ続松料用途弁償ノ地ニ、関東ノ公事並ニ守護ノ入部ヲ停止ス、
肥後入道、姓名闕ク、大隅台明寺ニ、守護所使ノ入部ヲ停ム、
十三日 幕府影供、〇和歌会ヲ行フ、
十四日 仗議、〇皇大神宮外院火災ノ時、布衣ノ輩正殿ニ参入セル事ニ就キテ、議定ス、
北条経時、三浦泰村、小山長村等ノ将士ヲ率ヰテ、伊豆藍沢ニ猟ス、
十五日 月食、
十七日 豊受大神宮神嘗祭、〇春日若宮祭、
廿三日 検非違使中原章国、延暦寺横川ノ僧尚信ヲ逮捕ス、〇衆徒、之ヲ訴フ、〇章国ヲ土佐ニ配流ス、〇右衛
廿七日 土御門天皇ノ皇子道仁、前大僧正静忠ニ就キテ、伝法潅頂ヲ受ケサセラル、
是月 従二位源時賢出家ス、
十月
一日 平座、
三日 権大納言源通忠上表ス、
七日 僧事、〇前東寺四長者権僧正実賢ヲ僧正ニ任ジ、法印権大僧都仁恵ヲ東寺四長者ト為ス、
十日 興福寺維摩会、
右近衛大将藤原兼平上表ス、〇兵仗ヲ賜フ、
十一日 幕府、和歌会ヲ行フ、
十三日 京官除目、〇大納言藤原実基ヲシテ、右近衛大将ヲ兼ネシム、
十六日 権大僧都定親ヲ東寺権法務ニ補シ、前僧正良禅ヲ護持僧ト為ス、
十七日 鹿島、香取両社奉幣使ヲ発遣ス、
十八日 領家某ノ下知ニ任セ、右衛門尉長経、姓闕ク、鷹尾地頭代ヲシテ、筑後別符雑掌並ニ公文所ノ申請ニ依
十九日 豊受大神宮仮殿遷宮、
春日社仮殿遷宮、
幕府、興福寺ヲシテ、群盗ノ張本新平太郎等ヲ召進セシム、
廿二日 群盗、鎌倉武蔵大路ノ民家ヲ襲フ、〇佐々木泰清、加地信朝等、之ヲ捕フ、
廿五日 権中納言藤原資頼ニ帯剣ヲ聴ス、
廿六日 摂政兼経、春日社ニ参詣ス、
是月 摂政兼経ノ政所、播磨法楽寺ニ、同国粟賀荘内脇本ノ荒野一所ヲ寄進ス、
十一月
一日 北条朝時、大隅守護肥後入道姓闕ク、ニ令シ、禰寝院内名主百姓等ヲシテ、郡司建部清綱ノ催促ニ従ハシ
三日 幕府、幾内、西海ノ兇徒峰起ノ禁遏、及ビ諸国ニ於ケル博奕ノ停止ニ就キテ、評議ヲ行フ、
四日 頼経、武蔵野荒野開発ノ為メニ、泰時以下ノ将士ヲ率ヰテ、安達義景ノ武蔵鶴見ノ別荘ニ方違ス、
五日 頼経、犬追物ヲ行フ、
八日 右大臣実経、左近衛大将ヲ辞ス、〇兵仗ヲ賜フ、
九日 右近衛中将源雅光ニ禁色ヲ聴ス、
春日社氏人中臣祐胤、同社氏人中臣能綱及ビ同祐幸ノ為メニ、兄祐泰ノ殺害セラレシコトヲ、摂政兼経ノ政所ニ
十日 権大納言藤原実有ヲシテ、左近衛大将ヲ兼ネシム、〇実有ヲ左馬寮御監ト為シ、権大納言藤原公基ニ帯剣
十一日 僧正道智ヲ園城寺長吏ニ任ズ、
十三日 吉田祭、
奈良火アリ、〇一乗院以下諸坊舎及ビ興福寺西宝蔵等焼失ス、
十七日 幕府評定、〇御家人等、許可ナクシテ出家ノ後、所領ヲ知行スルコト、又京都ニ居住スルコトヲ停止ス
幕府、箕勾師政ニ、父政高ノ承久役勲功ノ賞トシテ、武蔵多磨野ノ荒野ヲ給与ス、
廿一日 頼経ノ子頼嗣、魚味、著袴及ビ著綿等ノ儀ヲ行フ、
廿二日 陰明門院、日吉社ニ御幸アラセラル、
廿五日 幕府、坂上明定ノ女ト、弟左兵衛尉明胤トノ相論ヲ裁シ、明定ノ女ヲシテ、鎌倉浜地ヲ、明胤ヲシテ、
泰時、諸将ヲ会シテ、酒宴ヲ行ヒ、経時ニ理世ノ要ヲ訓諭ス、
廿七日 幕府ヲシテ、射手ノ肖像ヲ京都ニ送進セシム、〇泰時、諸将ヲ会シテ、之ヲ銓衡ス、
廿八日 准三宮前関白太政大臣従一位藤原家実出家ス、
廿九日 三浦泰村及ビ其一族等、結城小山ノ一党ト事ヲ構ヘ、将ニ闘争セントス、〇泰時、後藤基綱等ヲ遣シテ
三十日 入道前関白家実ノ疾ニ依リテ、非常赦ヲ行フ、
北条有時、評定衆ヲ辞ス、〇幕府、之ヲ聴サズ、
十二月
一日 故摂政教実ノ女彦子ノ入内ノ事ヲ定メ、従三位ニ叙ス、
幕府、諸人ノ過差ヲ禁ズ、
五日 泰時、時頼ノ精勤ヲ賞シテ、一村ヲ与フ、〇経時等ノ出仕ヲ聴ス、
八日 幕府、小侍所ノ番帳ヲ改メ、同所員ヲシテ、手跡、弓馬、蹴鞠、管絃、郢曲等ノ中、一芸ヲ修メシム、
十一日 幕府、大土公祭ヲ行フ、
十三日 従三位藤原彦子入内ス、〇女御ト為ス、
幕府、六波羅ニ令シテ、問注奉行人ノ遅参ヲ戒メシム、
二十日 太政大臣兼経上表ス、
廿一日 頼経ノ子、頼嗣、乗馬始ノ儀ヲ行フ、
廿二日 土御門天皇ノ皇子仁助、園城寺唐院ニ於テ、前大僧正円浄ニ就キテ、伝法潅頂ヲ受ケサセラル、
廿四日 幕府、武蔵野開墾ニ、多磨川ノ水ヲ通ゼンガ為メ、奉行人指間左衛門尉名闕ク、等ヲ武蔵ニ遣ス、
廿七日 武田信光、子信忠ト義絶スルコトヲ幕府ニ訴フ、〇泰時、之ヲ和解セシメントス、〇信光、聴カズ、
廿八日 京都大成就院ニ阿闍梨三口ヲ置ク、
幕府、政所ヲシテ、雑掌等ノ祈祷供料ヲ対捍スル者ヲ注進セシム、
廿九日 幕府、頼経ノ子頼嗣ニ祗候スベキ者ノ数ヲ定メ、結番シテ勤仕セシム、
園城寺行昭ヲ権大僧都ニ任ズ、
三十日 泰時、頼朝及ビ義時ノ法華堂ニ参詣ス、
是月 従三位源資俊出家ス、
是歳 公経、西園寺第ニ於テ、十首和歌会ヲ行フ、
奈良不空院律師円晴寂ス、
年末雑載
変異、
神社
仏寺、
公家、
諸家、
疾病、死歿、
学芸、
荘園、
寄進、
検注、
年貢、
起請、
処分、
譲与、
貸借、
売買、