図書ダイ ニホン シリョウ000041494

大日本史料 第5編之11

サブタイトル1~10
四条天皇 自嘉禎2年12月至暦仁元年9月
編著者名
東京帝国大学文学部史料編纂所 編者
出版者
東京帝国大学文学部史料編纂所
出版年月
1936年(昭和11年)2月
大きさ(縦×横)cm
23×
ページ
961p
ISBN
NDC(分類)
210.08
請求記号
210.08/To46/5-11
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
折込図3枚
和書
目次

四条天皇
嘉禎二年
十二月
六日 宣旨ヲ下シテ、春日若宮祭ニ官幣ヲ奉ラシム、
幕府、陰陽師ヲシテ、歳末年始雑事ノ日時ヲ勘申セシム、
七日 順徳上皇ノ皇女諦子内親王ヲ三宮ニ准ズ、
八日 興福寺維摩会ヲ追行ス、
九日 前権中納言従二位藤原家光出家ス、〇薨ズ、
十一日 丹後守足利泰氏、馬ヲ幕府ニ献ズ、
十五日 土御門天皇ノ皇子権大僧都尊助、僧都実助ヨリ、仰木門跡ヲ受ケサセラル、
十七日 春日若宮祭、〇始メテ、奉幣使ヲ発遣ス、
十八日 京官除目、〇武蔵守北条泰時ヲシテ、左京権大夫ヲ兼ネシメ、前駿河守三浦義村ヲ正五位下ニ叙ス、
十九日 泰時、幕府北方ノ新造第二移ル、
二十日 荷前定、
廿一日 官奏、
准后諦子内親王ノ院号ヲ定メテ、明義門院ト為ス、
廿三日 天変、〇太白、辰星ヲ犯ス、
従二位藤原家隆出家ス、
三浦泰村ノ室北条氏卒ス、
廿四日 大僧正定豪ヲ東寺一長者ニ補シ、法務ト為ス、〇法印権大僧都行遍ヲ同寺四長者ニ補ス、
廿六日 仗議、〇大神宮摂社小朝熊社神鏡盗犯者ノ罪科ヲ議ス、
醍醐寺座主権僧正賢海ヲ罷ム、〇権大僧都実賢ヲ座主ニ補ス、
幕府、小侍所別当北条経時ヲ罷ム、
廿七日 入道前権中納言正二位藤原仲経薨ズ、
廿九日 除目、〇僧事、
是月 醍醐寺、定額僧及ビ三綱等ノ闕ヲ補セラレンコトヲ奏請ス、
是歳 興福寺、同寺領天山杣人等ノ寺僧殺害ノコトニ依リテ、楽人狛光真ヲ衆勘ニ処ス、
摂政道家、内舎人随身ヲ辞ス、
年末雑載
暦、
変異、
神社、
仏寺、
疾病、死歿、
学芸、
荘園、
寄進、
処分、譲与、
売買、
嘉禎三年
正月
一日 小朝拝、〇節会、
幕府、歳首ノ儀ヲ行フ、
道家、節分ニ依リテ、公経ノ今出川第ニ方違ス、
三日 摂政道家、臨時客ヲ行フ、
五日 敘位、〇修理権大夫北条時房ヲ従四位上ニ敘ス、
六日 頼経、目勝勝負ヲ行フ、
七日 白馬節会、〇加敘、
八日 御斎会、〇後七日御修法、〇太元帥御修法、〇諸寺修正、
幕府心経会、
十日 外記政始、
十一日幕布弓始、
十二日 大中臣盛房ヲ大神宮大宮司ニ任ズ、
十三日 僧事、
十四日 左大臣兼経道家ノ女仁子ト婚ス、
十五日 節供、
十七日 射礼
道家、右大臣良実等ト共ニ、按察使藤原定高ノ深草第ニ方違ス、
頼経、鶴岡八幡宮ニ参詣ス、
廿四日 県召除目、
是月 兵部房円暹、建部清綱ト大隅南俣地頭職ヲ争ヒテ、之ヲ訴フ、〇北条朝時、円暹、清綱ヲ召シテ、之ヲ陳
二月
二日 春日祭、
三日 延暦寺衆徒、園城寺前大僧正良尊ノ一座宣下ノコトニ依リテ蜂起ス、〇綸旨ヲ延暦寺ニ下シテ、之ヲ鎮メ
四日 祈年祭、
五日 釈奠、
七日 検非違使佐々木泰綱入京ス、〇道家第二参ズ、
八日 検非違使藤原定員上洛ス、
十二日 道家、春日社ニ臨時神楽ヲ行フ、〇同社ヲシテ、樹木ノ枯損ヲ注進セシム、
十七日 松尾慶政、法隆寺上宮王院ニ、聖霊会ノ白蓋、幡、花幡等ヲ寄進ス、
十八日 東寺長者大僧正定豪ヲ、高野山伝位院座主ニ環補ス、
廿一日 修理宮城使ヲ補ス、
頼経、筥根、伊豆両社ニ参詣ス、
廿三日 前関白家実ノ子ノ子兼平、元服ス、
廿八日 臨時除目、〇北条経時ヲ右近将監ニ任ズ、
是月 鞍馬寺ニ阿闍梨ヲ寄ス、
三月
八日 臨時除目、
故前大僧正慈円ニ慈鎮ノ諡号ヲ賜フ、
幕府、近習番及ビ将軍身固ノ陰陽師ノ員数ヲ定ム、
九日 両社行幸ヲ延引ス、
十日 摂政道家ヲ罷メ、左大臣兼経ヲ摂政ト為シ、氏長者、随身、兵仗、一座、牛車等ノ宣旨ヲ下ス、
十三日 泰時、伊豆田所女房沙弥西心室ヲシテ、陸奥岩楯村地頭代職ヲ領知セシム、
十九日 石清水臨時祭、
道家、権僧正慈賢ヲシテ、一条殿ニ於テ、七仏薬師法ヲ修セシム、
二十日 前関白家実ニ兵仗ヲ賜フ、
廿一日 東寺弘法大師影供、
幕府、京都警衛ノ家人等不法アルヲ以テ、之ヲ戒飭ス、
廿六日 幕府、天変ノ祈ヲ行フ、
廿七日 皇大神宮旧宮ノ心柱傾倒ス、〇之ヲ軒廊ニ卜ス、〇本宮ヲシテ、之ヲ祈謝セシム、
廿八日 泰時、摂津多田院家人六瀬行弘ヲシテ所領ヲ安堵セシメ、羽塚森本馬允等家人ノ名ヲ削リ、其名田ヲ没
是月 法隆寺、金光院四足門、築地等ヲ建造ス、
四月
八日 法隆寺、万灯会及ビ五百七十坏供養ヲ行フ、
九日 叙位、〇六波羅北条時盛ヲ従五位上ニ叙ス、
入道前宮内卿従二位藤原家隆薨ズ、(家隆和歌懐紙)
十日 摂政兼経、一上ヲ右大臣良実ニ譲ル、
十一日 幕布、北条資時ヲ評定衆ト為ス、
若狭国留守所、賀茂別雷社領宮河荘領大谷村及ビ散在神田等ニ、国衛衙ノ妨ヲ停止ス、
十六日 賀茂祭、
十九日 東大寺大講堂上棟、
幕府、政子十三年忌追善ノ為メニ、明王院ノ近傍ニ、丈六堂ヲ建立ス、〇上棟ヲ行フ、〇頼経、之二臨ム、〇帰
二十日 幕府評定、〇盗賊贓物ノ法ヲ定ム、
廿一日 叙位、
廿二日 頼経、泰時新造ノ第ニ臨ミ、泰時ノ孫戒寿時頼ヲ召シテ、元服ノ儀ヲ行ハシム、
廿三日 石清水ニ行幸アラセラル、
幕府、日色異変アルニ依リテ、陰陽師ヲシテ、之ヲ勘申セシム、
廿五日 東大寺、東南院ニ於テ、因明講ヲ修ス、
廿六日 幕府、小笠原時長ヲシテ、摂津箕面堂供養ノ請僧布施ヲ沙汰セシム、
廿七日 粟田宮遷座、
是月 入道従三位藤原伊時薨ズ、
五月
二日 権僧正道慶ヲ園城寺長吏ニ補ス、
五日道家、前右大臣実氏ノ武者小路ノ宿所ニ方違ス、
十九日 祈雨ニ依リ、醍醐寺座主実賢ヲシテ、醍醐清滝宮ニ孔雀経ヲ転読セシメ、興福寺別当円実ヲシテ、室生
廿二日 幕府、参河大夫姓名闕ク、ヲ肥前晴気領地頭職ト為ス、
廿四日 最勝講、
廿七日 代始ノ賞ニ依リテ、大神宮禰宜ニ位一級ヲ進ム、
是月長門国司、留守所ヲシテ、同国阿弥陀寺供田十二町ヲ、不断念仏用途ニ宛テシム、
前摂政道家ノ政所、金剛寺院主尼浄阿ノ寄進状ニ任セ、金剛寺ヲ九条家ノ祈祷所トシテ、官物以下国役雑事等ヲ
六月
一日 京都大地震、
幕府、佐原盛連ノ遺領和泉吉井郷ヲ、其妻矢部尼ニ給与ス、
三日 右中弁藤原季頼等ヲ東大寺ニ遺シテ、勅封倉並ニ綱封倉ヲ検知セシム、
七日 熊野別当快命卒ス、〇故湛増ノ子湛真ヲ以テ、同別当ト為ス、
九日 石清水別当法印宗清寂ス、
十一日 泰時、政子追善ノ為メニ、大慈寺ニ一切経ヲ供養ス、〇頼経、之ニ臨ム、
十六日 月食、
二十日 幕府、六波羅及ビ諸国守護人ニ令シテ、京都大番役ノ勤否ヲ注進セシム、
廿二日 入道前権中納言正二位藤原範朝薨ズ、
廿三日 幕府、大慈寺郭内ノ新造丈六堂ヲ供養ス、〇頼経、将士ヲ率ヰテ之ニ臨ム、
廿五日 幕府、諸社寺及ビ国司領家ノ訴訟ハ、式目ニ遵由スベカラザルコトヲ議定ス、
廿六日 幕府、持仏堂ニ於テ、八講ヲ修ス、
三十日 幕府及ビ五畿七道ノ諸国司ヲシテ、延暦寺嗷訴ノ張本ヲ逮捕セシム、
是夏 後鳥羽法皇ノ召ニ依リテ、藤原秀能、十首和歌ヲ詠進ス、
七月
七日 幕府、高野山領備後大田荘預所覚伝ト地頭三善康連等トノ相論ヲ裁ス、
八日 幕府、左近将監中原景康ヲシテ、神楽ノ歌曲ヲ大江久康ニ伝ヘシム、
十一日 大成就院内潅頂堂ヲ以テ、御祈願所ト為シ、阿闍梨五口ヲ寄ス、
幕府、南小御堂ニ於テ、政子ノ十三年忌追善ノ仏事ヲ修ス、
十三日 臨時除目、
十七日 鷹司院ヲ御母儀ニ准ゼラル、〇鷹司院、宣陽門院ト共ニ御入内アラセラル、
二十日 故摂政教実の子忠家ニ昇殿ヲ聴ス、
幕府評定、〇罪人逃失シタル時、預リ置キタル者ノ罪科ヲ定ム、
廿一日 春日社、旬御供ヲ行ヒ、奏楽ヲ復興ス、
道家、右大臣良実等ト共ニ、吹田ニ方違ス、
廿三日 摂政兼経初度上表、
廿四日 叙位、
廿五日 北条経時、伊豆藍沢ニ猟ス、
廿九日 幕府、頼経ノ明年上京ノ事ヲ定ム、
是月 法隆寺、舎利堂前ニ於テ、千部法華経ヲ転読ス、
八月
二日 皇妹准后コウ子内親王薨ズ、
五日 幕府評定、〇盗賊悪党等ヲ領内ニ隠匿スル者ノ処罰厄ビ盗賊ノ所領跡ノコトヲ定ム、
四天王寺上座覚順等、寺中ニ乱入シテ放火ス、〇渡辺党、伐チテ之セ破リ、覚順等九十三人ヲ殺ス、
六日 幕府、豊後岐部荘地頭岐部太郎ヲシテ、東大寺大講堂勧進所ノ所課材木引人夫役ヲ勧仕セシム、
七日 幕府、頼経ノ上京ニ依リ、諸国ニ課シテ、六波羅ニ新第ヲ造営セシム、
十五日 石清水放生会、
鶴岡放生会、〇頼経、之ニ臨ム、〇北条時頼、同宮ニ於テ、流鏑馬幕府、当座和歌会ヲ行フ、
十七日 幕府評定、〇謀書等ニ依リテ、所領押領ノ後、二十箇年ヲ経過スルモノノ裁断ヲ停ム、
十八日 頼経、雷雨ニ依リテ、出遊ヲ停ム、
二十日 法印権大僧都慈源ヲ護持僧ト為ス、
廿四日 道家、石清水ニ於テ、三昧堂ヲ供養ス、
廿五日 後鳥羽法皇、御置文ヲ御起草アラセラル、
廿八日 権小僧都実深ヲ権大僧都ニ任ズ、
是月 延暦寺楞厳院検校実助ヲ罷メ、法印聖増ヲ以テ之ニ補ス、
九月
三日 御灯御祓、
五日 幕府、藤原能門ヲシテ、肥前武雄社大宮司職ヲ領知セシム、
十日 法性寺ニ於テ、藻壁門院ノ御八講ヲ修ス、
十二日 高野山伝法院領紀伊弘田荘、四天王寺ノ兵士催促ト号シテ、守護使ノ乱入スルコトヲ訴フ、〇六波羅守
十五日 臨時除目、〇北条政村ヲ従五位上ニ叙ス、
賀茂別雷社領若狭宮河荘雑掌、宮河保地頭某ト大谷畠及び矢代浦ノコトヲ相論ス、〇六波羅、両者ヲシテ、対決
前権大納言正二位藤原公原氏薨ズ、(公氏筆蹟)
十六日 天台座主慈円ノ十三回忌ニ依リ、前天台座主良快、吉水坊ニ於テ、法華法ヲ修ス、〇権僧正慈賢再建ノ
幕府、信濃諏訪社ノ明年五月会ノ神事等ノコトセ沙汰ス、
十九日 摂政兼経、千度祓等ヲ修シテ、室仁子ノ平産ヲ祈ル、
廿六日 紀伊日前、国懸宮臨時祭、
是月 法隆寺、西大門ヲ修理ス、
是秋 閑院ノ修理ニ依リテ、中納言藤原隆親ノ冷泉万里小路第ニ遷幸アラセラル、
順徳上皇、御製ノ和歌百首ヲ、後鳥羽法皇及ビ藤原定家ノ許ニ送リ給ウ、〇法皇ノ御点アリ、定家モ亦点及ビ判
十月
二日 宜秋門院、東一条院、前摂政道家、前太政大臣公経等ト、四天王寺ニ参詣シ給フ、〇道家、阿弥陀経供養
四日 幕府、天変ノ祈ヲ行フ、
左衛門尉坂上明定卒ス、
十日 興福寺維摩会、
十五日 右近衛中将藤原兼平ニ禁色ヲ聴ス、
十六日 信濃善光寺五重塔婆供養、
十九日 三浦泰村、幕府ニ於テ、酒宴ヲ行フ、
廿二日 前木工権頭藤原孝道卒ス、
廿三日 前醍醐寺座主権僧正賢海寂ス、
廿七日 京官除目、
大僧正定豪及ビ権大僧都行遍ヲ護持僧ト為ス、〇定豪ニ牛車ヲ聴ス、
廿八日 六波羅地蔵堂災ス、
是月 法性寺座主法印権大僧都慈源ノ政所、阿闍梨昌範ヲシテ、般若房及ビ其所領等ヲ領掌セシム、
十一月
一日 春日祭、
入道従三位藤原其定薨ズ、
三日 臨時除目、
七日 鎌倉大雨洪水、〇民屋流失ス、〇頼経、筥根、伊豆両社ニ参詣ス、
十一日 賀茂社ニ行幸アラセラル、
十四日 前太政大臣公経ノ西園寺店ニ行幸アラセラル、
十七日 三浦泰村、馬ヲ撲府ニ献ズ、
十九日 五節、〇殿上淵酔、
廿二日 醍醐寺西南院ニ有職二口ヲ置ク、
武仁親王ノ王子道乗、仁和寺観音院ニ於テ、権僧正良恵ニ潅頂ヲ受ケサセラル、
廿四日 後堀河天皇ノ皇女イク子内親王ヲ斎宮ニト定ス、
廿六日 東大寺八幡宮上棟、〇遷宮ヲ行フ、〇社頭ニ於テ、新図影像ヲ供養ス、
廿九日 臨時除目、〇修理権大夫北条時房ノ相模守ヲ罷メ、駿河守北条重時ヲ相模守ト為シ、前民部少輔北条有
是月 法隆寺上宮王院礼堂並ニ廻廊修理竣ル、
十二月
一日 日食、〇大僧正定豪ヲシテ之ヲ祈ラシム、〇幕府亦愛染金剛如法仏ヲ造立ス、〇属星祭ヲ行ヒテ之ヲ祈ラ
四日 道家、一条殿ニ於テ、僧正円浄等ヲシテ、五壇法ヲ修シテ、兼経室ノ平産ヲ祈ラシム、
六日 幕府、甲斐柏尾山寺領鮎沢宿ノ雑事ヲ免除ス、
十三日 前内大臣通光、大般若経ヲ手写シ、之ヲ石清水八幡宮ニ供養ス、
泰時、妻ノ母尼追善ノ為メニ、墓側ニ堂宇ヲ建立ス、〇供養ヲ行フ、
十五日 月食、正現セズ、
十八日 内大臣定通ヲ罷ム、
従三位藤原実俊薨ズ、
二十日 摂政兼経ノ女生マル、
廿五日 任大臣節会、〇大納言藤原基家ヲ内大臣ニ任ズ、〇基家、大饗ヲ行フ、
高野山ケンコウ勝心ヲ罷ム、〇阿闍梨良任ヲケンコウニ補ス、
法印権大僧都慈源、吉水坊ニ於テ、歳末御修法ヲ修ス、
廿六日 安嘉門院、新御所ニ移御アラセラル、
廿九日 御書始ノ儀ヲ行ハセラル、
二品尊性法親王ノ護持僧ヲ罷ム、〇権大僧都慈源、長日如意輪法ヲ修ス、
是月 法隆寺、塔下ノ石壇ヲ造立ス、
是歳 大納言源雅親ヲ奨学院別当ト為ス、
年末雑載
天文、変異、
神社、
仏寺、
公家、
諸家、
疾病、死歿、
学芸、
荘園、
寄進、
譲与
売買、
嘉禎年中
公経、延暦寺楞厳三昧院ヲ修造ス、
暦仁元年
正月
一日 小朝拝、〇節会、
幕府、歳首ノ儀ヲ行フ、
五日 叙位、
七日 白馬節会、〇加叙、
八日 御斎会、〇後七日御修法、〇諸寺修正、
九日 頼経、筥根、伊豆両社ニ参詣ス、
十日 鎌倉火アリ、〇三浦義村、後藤基綱等ノ第災ス、
十六日 踏歌節会、
十九日 幕府心経会、
二十日幕府弓始、
故摂政教実ノ子、尊信、興福寺別当円実ノ室ニ入ル、
廿一日 按察使正二位藤原定高出家ス、〇薨ズ、
廿二日 県召除目、
廿三日 幕府、千葉時胤ヲシテ、香取社造営ノ事ニ従ハシメ、将軍上洛二扈従スルヲ止ム、
廿四日 仁和寺道深法親王、僧都清厳ヲ、但馬新井荘預所職ト為シ給フ、
廿六日 右大臣良実ノ左近衛大将ヲ罷メ、随身、兵仗ヲ賜フ、
廿七日 法印権大僧都慈源ヲ権僧正ニ任ズ、
廿八日 頼経、時房、泰時及ビ諸将士ヲ率ヰ、鎌倉ヲ発シテ上京ス、
是月 仁和寺道深法親王、北斗七星祭ヲ修シテ、太一定分ノ御厄ヲ祈禳セラル、
二月
六日 臨時除目、〇権大納言藤原実経ヲシテ、左近衛大将ヲ兼ネシム、〇実経、大饗ヲ行フ、
七日 検非違使中原友景、天武天皇御陵ノ盗犯人ヲ逮捕ス、〇検非違使庁ニ押送ス、
九日 権大納言藤原実経ヲ左馬寮御監ト為ス、
十一日 閑院内裏修造竣ル、〇大宰権師藤原隆親ノ冷泉万里小路第ヨリ、閑院ニ遷幸アラセラル、
高野山ケンコウ法橋良任ヲ罷メ、阿闍梨信寛ヲ以テケンコウニ補ス、〇信寛ヲ罷メ、良任ヲ以テ、ケンコウニ還
十六日 評定衆前隠岐守二街堂行村卒ス、
十七日 頼経、入京シテ、六波羅ノ新第ニ入ル、
廿二日 頼経、外祖父公経ノ第ニ赴キ、其後父道家ニ謁ス、
廿三日 頼経、参内ス、〇頼経ヲ権中納言ニ還任シ、右衛門督ヲ兼ネシム、〇検非違使別当ニ補ス、
公経、泰時ト会見ス、
廿四日 祈年穀奉幣、
道家、慶政ニ就キテ受戒ス、
廿八日 頼経、馬ヲ内裏ニ献ズ、
廿九日 大蔵卿菅原為長、史記ヲ授ケ奉ル、
頼経、参内ス、〇前右大臣実氏及ビ准后藤原ロン子ノ第ニ赴ク、
閏二月
三日 公経、頼経ヲ招請シテ、之ヲ饗ス、
七日 京都佐女牛東洞院辺災ス、
十三日 陰陽頭安倍維範天文ノ異変ヲ頼経ニ告グ、〇頼経、維範ヲシテ、天地災変祭ヲ修セシム、
十五日 臨時除目、
十六日 鞍馬寺災ス、
天台座主尊性法親王、上表シテ座主職ヲ罷メ給フ、〇権僧正慈源ヲ以テ之ニ補ス、
十八日 盗、昼御座ノ御剣ヲ窃取ス、
二十日 京都大風、〇法成寺歩廊顛倒ス、
廿七日 臨時除目、〇修理権大夫北条時房ヲ正四位下ニ叙ス、
廿九日 僧弁長、弁阿、筑後善導寺ニ寂ス、
三月
二日 頼経疾ム、
七日 臨時除目、〇将軍頼経ヲ権大納言ニ任ズ、
十日 権僧正慈賢ヲ法性寺座主ニ還補ス、
十二日 尼光蓮、子政親ノ、入道明政姓闕ク、ノ遺領丹波犬甘保ヲ押妨スルヲ停メラレンコトヲ訴フ、
十五日 幕府、在京ノ下総国地頭等ニ帰国ヲ命ジ、香取社造営ノ事ニ従ハシム、
十七日 前大納言源雅親及ビ前権中納言藤原資頼ニ本座ヲ聴ス、
十八日 叙位、〇左京権大夫北条泰時ヲ従四位上ニ叙ス、
東寺長者僧正覚教ヲ罷メ、権僧正厳海ヲ以テ、東寺長者ト為シ、権僧正良恵ヲ僧正ニ任ズ、
十九日 高野山大塔供養、
公経、頼経ヲ西園寺第ニ招請ス、〇道家及ビ前右大臣実氏等、之ニ列ス、
廿一日 東寺弘法大師影供、
廿二日 頼経、六波羅第ニ於テ、仁王八講ヲ修ス、〇道家、准后ロン子ト共ニ之ニ臨ム、
廿三日 僧浄光、鎌倉深沢ニ大仏及ビ堂宇ヲ建立セントス、〇事始ヲ行フ、〇仏頭ヲ作成ス、
廿五日 前太政大臣藤原家実ヲ三宮ニ准ジ、兵仗ヲ賜フ、
前陸奥守足利義氏、政子十三回忌追善ノ為メニ、高野山金剛三昧院内ニ大仏殿ヲ建立シ、丈六ノ大日如来像ヲ安
道家ノ女、香御前、熊野ニ参詣ス、
廿七日 石清水権別当宝清ヲ以テ、宇佐宮弥勒寺講師、ケンコウ及ビ喜多院司正八幡宮ケンコウニ補ス、
献策、
廿八日 春日社ニ行幸アラセラル、
三十日従五位下前下野守小山朝政、京都ニ卒ス、
是月 高野山金剛峰寺所司等、金峰山寺神人重俊丸ノ同寺領追却ノ事ニ依リテ、金峰山寺ニ返牒ス、
是春 尊性法親王、吉田山荘ニ御祈願堂ヲ建立セラレ、本尊内ニ安置スベキ金仏ノ鋳造ヲ道家ニ課シ給フ、
四月
二日 幕府、三浦泰村、二階堂行義等ヲ以テ、評定衆ト為ス、
四日 報恩院八講、
頼経、六波羅第二於テ、僧正道慶等ヲシテ、五壇法ヲ修セシム、
六日 臨時除目、〇権大納言藤原頼経ニ帯剣ヲ聴ス、
〇左京権大夫北条泰時ニ兼官武蔵守ヲ罷ム、
十日 京都錦小路白河辺災ス、
前太政大臣家実、上表シテ、准三宮並ニ兵仗ヲ辞ス、○聴サズ、〇再ビ上表ス、〇又聴サズ、
道家ノ子福王法助、仁和寺道深法親王ニ入室ス、〇道家、右大臣良実、左大将実経及ビ頼経等ト共ニ其儀ニ臨ム
十一日 阿闍梨二口ヲ百光院ニ寄ス、
道家ノ嫡孫忠家元服ス、〇正五位下ニ叙ス、
十六日 賀茂祭、
十八日臨時除目、〇権大納言藤原頼経ヲ罷ム、
十九日 吉田祭、
廿一日 京都清水寺ノ僧徒狼藉ノ事ニ依リテ、興福寺権別当兼清水寺別当権僧正円玄ヲ罷ム、〇法印円経ヲ興福
廿四日 前摂政道家、上表シテ兵仗ヲ辞ス、〇道家ヲ三宮ニ准ズ、〇道家、之ヲ辞ス、
廿五日 前摂政道家出家ス、
是月 安嘉門院庁、尼無上智ノ譲ニ任セ、三香得弥ヲシテ、相模二宮河勾荘領家職ヲ進退領掌セシム
伊予国検注所、同国田所ヲシテ、大山積社末社諸山社二季祭供田ノ違乱ヲ停止セシム、
五月
四日 頼経、菖蒲枕、扇等ヲ献ズ、
五日 天変、〇太白、軒轅ヲ犯ス、
入道前権大納言藤原忠信、泰時ニ会見ヲ求ム、〇泰時、之ヲ辞ス、
八日 前大蔵卿藤原親房出家ス、
十一日 幕府、左兵衛尉坂上明胤ヲシテ、石見長田保、播磨巨智荘地頭職、河内藍作手奉行及ビ近江天福寺地頭
泰時、摂津多田荘ノ荘務条規ヲ定ム、
十六日 右大臣良実、頼経ヲ招請シテ之ヲ饗ス、
十九日 最勝講、
廿三日 臨時除目、
六月
一日 道家、堂供養ノコトヲ沙汰ス、〇頼経、北条経時、同時定等ヲ従ヘテ、道家第二宿待ス、
五日 頼経、春日社ニ参詣ス、
七日 内大臣基家、上表シテ罷ム、〇北条朝時ノ子時長ヲ蔵人ニ補シ、右衛門権少尉ニ任ズ
八日 霖雨御祈ノコトニ依リテ、罪因ヲ免ズ、
九日 頼経、紀伊日前宮社司ノ訴ニ依リ、同社ノ造営成功未済ノ輩ヲ督励ス、
十日 幕府、問注所執事三善康俊ヲ罷メ、其子康持ヲ以テ之ニ補ス、〇康俊卒ス、
十二日前参議従二位藤原親定薨ズ、
十三日 幕府、宣陽門院御領丹波野口荘二、守護所使ノ乱入ヲ停止ス、
十四日祇園御霊会ニ依リテ、六条殿ニ行幸アラセラレ、祇園神輿ヲ避ケ給フ、
十五日 祇園臨時祭、
長門国留守所、国宣ニ任セ、元ノ如ク、阿弥陀寺免田内関松分ニ、一長二段ヲ引キ募ラシム、
十六日 大宰府ヲシテ、宇佐造営ノ済例ニ任セ、社寺権門勢家領ヲ論ゼズ、国中荘公一所ヲ漏サズ、平均ニ之ヲ
左大臣兼経、上表シテ罷ム、
十九日 幕府、京都ノ街衢ニ篝屋ヲ設ケ、家人等ヲシテ、洛中ヲ警衛セシム、
二十日 六条殿ニ行幸アラセラル、
廿三日 道家ノ子福王、仁和寺北院ニ於テ出家シ、法助ト号ス、
廿四日泰時、方近将監国守姓闕ク、ト刑部丞仲義姓闕ク、トノ相論ヲ裁シ仲義ヲシテ所領ヲ安堵セシム、
廿五日 京都大雨洪水、〇人屋破損ス、
廿八日 止雨奉幣使ヲ伊勢以下六社ニ発遺ス、
是月 僧栄尊、宋ヨリ帰朝ス、〇肥前万寿寺ヲ建立ス、
七月
三日 幕府、片山広忠ヲシテ、丹波和智荘地頭職ヲ領知セシム、
五日 入道従三位藤原能成薨ズ、
六日 天台座主慈源ヲシテ、如意輪法ヲ修シテ、止雨ヲ祈ラシム、
九日 摂政兼経、宇治ニ赴ク、
十日 司天ノ輩、天変ノ勘文ヲ幕府ニ進ム、
十一日 泰時、政子追善ノ為メニ、一切経五千余巻ヲ書写ス、〇園城寺ニ参詣シテ、之ヲ唐院ニ奉納ス、
十三日 法成寺内法華堂顛倒ス、
十六日 前権大納言藤原頼経ニ本座ヲ聴ス、
十七日 道家ノ室准后ロン子出家ス、
十九日 醍醐寺僧徒ヲシテ、春季仁王会ヲ勤行セシム、
二十日 任大臣節会、〇前左大臣良平ヲ太政大臣ニ、右大臣良実ヲ左大臣ニ、権大納言藤原実親ヲ右大臣ニ、権
道家、権僧正慈源ヲシテ、安居院本坊ニ於テ、大威徳法ヲ修セシム、
廿二日 美濃中村郷ヲ春日社領ト為シ、大嘗会役及ビ大神宮役夫工、諸祓使、造内裏等ノ勅院事、恒例臨時ノ国
廿三日 頼経、石清水八幡宮ニ参詣ス、
廿五日 前摂政道家、出家ノ後始メテ参内ス、
従三位源通氏薨ズ、
廿六日 幕府、将軍ノ在京ニ依リテ、家人等ヲシテ、雑事料銭ヲ上納セシム、
前紀伊守資継、姓闕ク、京都六角堂ニ於テ殺害セラル、
廿七日 幕府、六波羅新第ノ造営所課未済ノ国ヲシテ、之ヲ弁償セシム、
幕府、長門阿弥陀寺不断念仏料田十二町ニ、地頭等ノ濫妨スルヲ停メ、之ヲ不輸免ト為シ、同地ノ殺生ヲ禁断ス
廿八日 幕府、左兵衛尉大神惟家ヲ豊後都甲荘地頭職ト為ス、
廿九日 入道前右大臣正二位藤原道経薨ズ、
是月 大宰府在庁官人ヲシテ、筥崎宮五月会ヲ遂行セシム、
八月
二日 頼経、春日社ニ参詣シ、一切経ヲ供養ス、
家実ノ子円尊慈禅出家ス、
三日 石清水別当棟清ヲケンコウニ、同権別当宝清ヲ別当ニ任ズ、
五日 釈尊、
幕府評定、〇諸人相論ノ時、証文及ビ証人申状叙用ノ可否ヲ定ム、
八日 正三位藤原長清薨ズ、
九日 幕府、源虎王丸ヲシテ、若狭大井本郷ノ地頭職ヲ領知セシム、
十一日 頼経、慶政ヲシテ、法隆寺仏舎利及ビ聖徳太子ノ宝物ヲ道家ノ法性寺第ニ迎ヘシメ、道家等ト共ニ之ヲ
十二日 播磨伊河荘地頭某、同荘内大山寺及ビ大谷寺寺僧ノ訴ニ依リ、総追捕使等ノ両寺長日仏供田ニ違乱スル
十三日 中納言藤原公雅ニ帯剣ヲ聴ス、
十五日 石清水放生会、
十七日 正三位藤原知家出家ス、
十九日 御霊祭、
幕府、山城、大和両国ノ住人等ヲシテ、山城ノ兇徒新平太ヲ捕ヘシム、〇双六ヲ禁ズ、
廿一日 権大僧都最守ヲ法印ニ叙ス、
廿三日 前天台座主大僧正円基寂ス、
廿五日 頼経、賀茂祇園、北野、吉田等ノ諸社ニ参詣ス、
廿八日 臨時除目、〇僧事、〇北条政村、同時盛ヲ正五位下ニ叙ス、
九月
一日 臨時除目、〇北条時頼ヲ左兵衛小尉ニ任ズ、
泰時ノ第ニ於テ、大士公祭アリ、
八日 初斎宮御禊、〇左近衛府ニ入御アラセラル、
九日 天変、
幕府評定、〇幕府ノ下知ニ従ハザル新補地頭並ニ本地頭等ノ処分、及ビ領地ノ知行二十箇年ヲ経タルモノノ法等
十日 醍醐寺座主実賢、法印勝尊ヲ以テ、同寺金堂阿闍梨ニ補セラレンコトヲ申請ス、
十三日 泰時、和歌ヲ詠ジテ、京都ノ旧知己ニ贈ル、
十四日 道深法親王ニ牛車宣旨ヲ下ス、
十七日 叙位、
十八日 摂政兼経ノ室仁子流産ス、〇頼経、北条政村ヲ遺シテ、之ヲ訪ハシム、
二十日 幕府、近江守護佐々木信綱ヲシテ、賀茂別雷社領近江安曇河御厨内藤江村ニ、守護使ノ入部ヲ停メシム
廿二日 初斎宮御禊、〇野宮ニ入御アラセラル、
廿四日 東寺一長者大僧正定豪寂ス、
廿五日 道深法親王、内裏ニ於テ、大北斗法ヲ修セラル、〇前大僧正良尊ヲ新熊野ケンコウニ補シ、僧正真恵ヲ
左京権大夫北条泰時ヲ罷ム、
廿六日 入道大宰大二藤原資経ノ政所、実賢姓闕ク、室ノ肥前能美荘別府方公文職ヲ停メ、平秀家ヲ以テ之ニ還
廿七日 幕府評定、〇家人等ノ任官所望ノ輩、成功ノ減納ヲ議スルモノアルニ依リテ、之ヲ停止シ、成功ノ官職
是月 権大僧都承兼ヲ延暦寺宝幢院ケンコウニ補ス、