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大日本史料 第8編之21

サブタイトル1~10
後土御門天皇 自長享元年閏11月至同2年4月
編著者名
東京帝国大学文学部史料編纂所 編者
出版者
東京帝国大学文学部史料編纂所
出版年月
1942年(昭和17年)3月
大きさ(縦×横)cm
23×
ページ
969p
ISBN
NDC(分類)
210.08
請求記号
210.08/To46/8-21
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
折込図1枚
和書
目次

後土御門天皇
長享元年
閏十一月
一日 御祝、
二日 蜷川親郷卒ス、
周ケイ、魁叟、再ビ相国寺住持ト為ル、〇入寺ス、
三日 手猿楽アリ、
四日 真乗寺住持某、寺領ノコトニ依リテ、酒饌ヲ献ズ、
幕府、久我豊通ノ、大御乳局領山城久我荘法久寺山内跡ニ、本役ヲ催促スルヲ停ム、
五日 伏見宮邦高親王、宗祇ヲシテ、伊勢物語ヲ講ゼシメラル、
六日 京極高清、義尚祈願寺近江勝蓮寺ニ陣ス、〇勝蓮寺、蔭涼軒集証亀泉ニ依リテ、高清ノ足軽ノ乱妨ヲ止メ
七日 河内以下十二国ニ令シ、例ニ依リ、国役采女養料ヲ進メシム、
八日 大乗院尋尊、朝倉貞景ニ物ヲ贈ル、
九日 赤松政則ノ将浦上則宗、近江ノ陣ヨリ入京シ、義政ニ謁ス、
十日 幕府、南御所義政女ヲシテ近江朽木関ヲ安堵セシム、
義尚、蔭涼軒集証亀泉ニ文選ヲ徴ス、
十一日 越後上杉定昌、同顕定ヲ援ケテ、同定正ト関東ニ戦フ、〇定昌、下野赤堀上野介ヲシテ戦功ヲ励マシム
十二日 義政、景サイ蘭坡ヲ相国寺林光院主ト為ス、
十五日 幕府、和泉松尾寺及ビ同寺領ノ段銭以下諸課役ヲ免除シ、同寺ヲシテ天下泰平ヲ祈ラシム、
義尚、伊勢貞陸ニ、旧ニ仍リテ、被官人ノ罪科ニ依リテ没収セラレタル所領ヲ領知セシメンコトヲ約ス、
十六日 義尚ノ女生ル、
二十日 西大寺西室秀如ヲシテ同寺ニ帰住セシム、〇秀如、帰寺ス、
廿一日 伏見宮邦高親王、長講堂ニ参詣セラル、
等持院住持周鏡、月翁、事ニ依リテ退院ス、〇義政、等階メイ瑞ヲ住持ト為ス、〇等階、入院ス、
廿三日 三条西実隆ヲシテ、懸絵ノ銘ヲ書セシメラル、
下総国分胤盛、香取社大禰宜大中臣胤房ヲシテ、香取源七跡ヲ知行セシム、
廿四日 加賀守護代山川高藤、等持寺及ビ等持院領同国粟津上下保ニ兵糧米及ビ人夫ヲ課ス、〇同保百姓等、上
廿五日御拝アラセラル、
細川政元、其被官上田林某ニ山城西岡ノ関所地ヲ与フ、〇国人等、上田林某ノ入部ヲ拒ミ、守護不入ノコトヲ守
廿六日 義尚、中院通秀ヲシテ、加賀額田荘加納、八田荘等ヲ安堵セシム、
南禅寺僧徒、事ニ依リテ互ニ相争ヒ、住持全印、文和、退院ス、〇全印、義政ノ命ニ依リテ帰寺ス、
大隅守護島津忠昌、本田兼親ノ誓書ヲ納レ、忠節ヲ致サシム、
廿八日 義政ニ東山第ノ用材ヲ賜フ、
飛鳥井宋世、雅康、近江鈎安養寺ニ三十首続歌ヲ張行ス、〇義尚、詠歌ヲ与フ、
是月 御料所美濃伊自良荘ヲ直務ト為ス、
幕府奉行飯尾清房、義尚近臣結城政広等、幕府ノ命ヲ矯メ、私ニ社寺本所領ヲ押妨ス、〇細川政元、之ヲ義尚ニ
幕府伴衆伊勢貞誠ノ近江鈎ノ陣、火ヲ失ス、
十二月
一日 御祝、
二日 北野社法楽御連歌、
侍従三条西実隆、近江鈎ノ陣ニ下ルニ依リ、御製ヲ義尚ニ賜フ、〇義尚、返歌ヲ上ル、
幕府ノ軍、近江甲賀ヨリ退ク、〇牢人蜂起シテ之ヲ襲フ、
五日 幕府、平賀弘頼ノ、厳島社領安芸造果保ヲ押妨セルヲ停メ、厳島又四郎ヲシテ、同保ヲ安堵セシム、
浦上則宗、播磨松原八幡社ニ、同国三野南条地頭職ノ内ヲ寄セテ、近江出陣ノ無事ヲ祈ル、
七日 細川政元、将士ヲ率ヰテ、近江鈎ノ陣ニ赴キ、義尚ニ謁ス、
八日 温粕粥ヲ供ス、
九日 幕府、美濃守護土岐成頼ヲシテ、其押領セル同国散在ノ社寺本所領ヲ還付セシメ、其子次郎政房ノ罪ヲ赦
尾張織田広近ノ近江守山ノ陣、火ヲ失ス、
十日 大和長谷寺ノ奉加ニ太刀ヲ御寄進アラセラル、
細川政元、近江ニ狩ス、
渋川万寿丸、其臣森戸修理亮等ノ為メニ、筑前亀尾城ニ殺サル、〇少二政資、亀尾城ヲ攻メテ、修理亮ヲ斬ル、
十一日 御煤払
京都大火、〇盗、細川政国ノ被官鴨野五郎右衛門尉父子ヲ殺ス、
甘露寺親長、新第ヲ正親町西洞院ニ営ム、〇是ニ徙ル、
十二日 伏見宮邦高親王ニ、雪消トシテ酒饌ヲ賜フ、〇仁和寺道永親王等御参内、〇御酒宴アリ、
幕府、相国寺領美濃西山口郷代官職ヲ兵糧料所トシテ、佐竹光明ニ宛行フ、〇相国寺、義政ニ就キテ、其返付ヲ
十四日 青蓮院尊応、高市掃部助ヲ、摂津四天王寺領野畠荘代官職ト為ス、
十五日 摂津守護細川政元、同守護代薬師寺元長等ヲシテ、同国水無瀬宮領ニ、段銭ヲ課スルヲ停メシム、
前南禅寺住持令諸月建寂ス、
十六日 月食、
元三御祝、
十七日 義尚ニ酒饌ヲ賜フ、
前鴨社社務梨木祐宣、同社領加賀開発荘百姓等ノ、同荘ヲ違乱スルヲ訴フ、
幕府、北野宮寺御師松梅院禅予ヲシテ、長者渡領近江八坂荘内大番米殿方分ヲ、関白九条政忠ニ渡付セシム、
十九日 興福寺僧徒等、水屋社架橋ノ事ニ依リテ、互ニ相争フ、
二十日 義尚、本能寺ヲシテ、天下安全ヲ祈ラシム、〇摂津水無瀬宮ニモ亦祈ラシム、
義尚、神祇権大副藤波輔忠ヲシテ、大神宮領諸国所々并ニ御師職ヲ安堵セシム、
廿三日 皇女保安寺宮、鹿苑寺ニ薙髪セラル、
仁和寺道永親王御参内、〇歳末ヲ賀セラル、
義尚、尾張妙興寺ヲシテ、同寺領内同国散在田畠ヲ安堵セシメ、臨時課役等ヲ免除ス、
義尚三条西実隆ヲシテ、和泉式部日記ヲ書写セシム、
廿五日 鴨社社務正四位上梨木信祐ヲ従三位ニ叙ス、
賀茂社社務市継平ヲシテ、同社後地田ヲ安堵セシム、
義尚生母日野富子、近江ノ所領ノコトニ因リテ、義尚ト和セズ、〇山城岩倉山荘金竜寺ニ隠ル、〇勧修寺教秀ヲ
五山ノ相伴衆等、近江鈎ノ陣ニ抵リ、義尚ニ歳末ヲ賀ス、
興福寺、摂律兵庫関荘主藤春房ノ、関料違乱ヲ罰セントス、〇越智家栄、藤春房ノ為メニ、其罪ヲ宥免セラレン
廿六日 広橋守光ノ被官藤堂景能挙族自殺ス、
廿七日 後花園天皇聖忌、
従四位下大内政弘ヲ従四位上ニ叙ス、
義尚ニ物ヲ賜フ、
幕府、山城城東寺住持某ニ同寺及ビ敷地等ヲ返付ス、
義尚、西竹証清ヲシテ、石清水八幡宮領美濃明智上下荘ヲ直務セシム、
義政、広福院永俊ヲシテ、所領丹波多利村、越中弘田荘、備前豊原荘等ヲ安堵セシム、
廿八日 山城船舟三味院造営ノ為メニ、使ヲ朝鮮ニ遣サンコトヲ義政ニ命ゼラル、〇義政、飯尾宗勝元連ヲシテ
幕府、近江田中貞信ヲシテ、北野宮寺領同国田中郷田西万木地頭職ヲ、同寺ニ還付セシム、〇同覚蔵坊僧春ニ、
三十日 年越御祝、〇義政、義尚等、酒饌ヲ献ズ、
赤松政則ノ将浦上則宗、近江鈎ノ陣ニ抵リ、義尚ニ歳末ヲ賀ス、
備後守護山名政豊、山内豊通ニ、料所同社伊予地頭分ヲ宛行フ、
是月 幕府、松田長秀ヲシテ、諸寺ニ折紙銭ヲ徴セシム、
義尚、結城尚隆ト近江鈎ノ陣ニ和歌ヲ詠ズ、
是冬 越前守護朝倉貞景、斯波義寛ト争ヒ、幕府ノ命ヲ奉ゼズ、〇細川政元、貞景ヲシテ、幕府ニ従ハシム、
是歳 景三横川ヲシテ御扇ニ賛セシメラル、(補庵京華新集)
竜沢、天隠、復建仁寺住持トナル、
越後守護上杉房定、同国大島荘以下ノ検地ヲ行フ、〇再ビ検地ヲ行フ、
大内政弘、五山ノ僧侶等ヲシテ、障子画ニ賛セシム、
大内政弘、大和長谷寺ノ為メニ、鉄牛ヲ朝鮮ニ遣シテ大蔵経ヲ求ム、
宗貞国等、屡使ヲ朝鮮ニ遣ス、
朝鮮王李ケツノ宣慰使鄭誠謹、対馬ニ来ル、
朝鮮禦侮将軍崔ショク、国王李ケツニ上書シテ、火砲ヲ以テ、我辺民ノ沿海劫掠ニ備ヘンコトヲ陳ス、
我国人ノ朝鮮ニ帰化セル者ノ孫某、軍役ニ従ハンコトヲ、国王李ケイニ請フ、
年末雑載
天文、災異、
神社、
仏寺、
禁中、
幕府、
諸家、
生死、疾病、
学芸、遊戯、
荘園、所領、
寄附、
売買、
契約、
訴訟、
長享二年
正月
一日 四方拝、〇平座ヲ停ム、
義尚、大館尚氏ヲシテ、義政ニ歳首ヲ賀セシム、
義尚、近衛尚通ニ物ヲ贈ル、
二日 廷臣等、歳首ヲ賀ス、
義政誕辰、
義尚、畠山政長ヲシテ、同義就ヲ伐タシム、
四日 千秋万歳アリ、
御歌始、
勝仁親王及ビ伏見宮邦高親王ニ物ヲ賜フ、
義尚、物ヲ献ズ、
五日 御造作事始、
六日 若王子僧正某、其坊官ノ為メニ、近江鈎ノ陣ニ殺サル、
七日 正三位近衛尚通ヲ従二位ニ叙ス、〇正三位二条尚基、同菊亭公興、同久我豊通ヲ従二位ニ叙ス、
相国寺住持周ケイ、魁叟、疾ニ依リテ退院ス、〇景昭、楚岫、再ビ同寺住持トナル、
八日 後七日法ヲ停メ、太元帥護摩ヲ醍醐寺理性院ニ修ス、
護持僧、参内シテ歳首ヲ賀ス、
九日 三宝院政紹ノ近江鈎ノ陣所火ク、
十日 正二位花山院政長ヲ、従一位ニ叙ス、
曲舞アリ、
山科言国雑掌大沢久守ヲ召シテ、花ヲ立テシメラル、
廷臣、禁裏及ビ義政ニ参賀ス、〇義尚モ亦、物ヲ献ジテ歳首ヲ賀ス、
伏見宮邦高親王、三条西実隆ニ物ヲ賜フ、
幕府、北野社ヲシテ、転読大般若経、仁王講ヲ行ヒ、天下泰平ヲ祈ラシム、
十一日 尊敦親王及ビ第三皇子仁尊等、御参内、〇酒饌ヲ献ゼラル、〇近臣、宮女モ亦、酒饌ヲ献ズ、
十三日 雪ヲ賞セラレテ、御宴アリ、
十四日 三条西実隆、伊呂波文字鎖ヲ作リテ、勝仁親王ニ献ズ、
十五日 御祝、〇三毬打アリ、
義尚、近江鈎ノ陣ニ和歌会始ヲ行フ、
十六日 禁中恒例百万遍念仏、
幕府恒例祈祷、
十七日 神宮奏事始、
内々月次和漢聯句御会、
幕府、東寺ニ、東山山荘普請人夫ヲ課ス、
二条持通、興福寺別当政覚ト共ニ、近江鈎ノ陣ニ赴キ、義尚ニ参賀ス、〇近衛政家、勧修寺教秀、中院通秀、甘
十八日 賀茂社正禰宜森貞久ノ請ニ依リ、賀茂神宮社ヲ、他所ニ引移サシム、
嘉楽門院御所ニ御門建立ノコトニ就キ、白川忠富ヲシテ、甘露寺親長ニ諮ラシメラル、
十九日 御蹴鞠始、
御嗅茶アリ、
廿一日 勝仁親王御所ニ行幸アラセラル、〇廷臣、宮女等、酒饌ヲ親王ニ献ジ、御宴アリ、
廿二日 東大寺尊勝院実誉、近江鈎ノ陣ニ赴ク、〇其僕、結城尚隆ノ部下ト争闘シ、実誉モ創ヲ被ル、
廿三日 御湯始、
廿四日 月次和歌御会、
廿五日 月次連歌御会、
御香聞、
廿七日 御受戒アラセラル、
廿八日 御祝、
御方違別殿行幸、
和漢聯句御会、
廿九日 義尚、近江鈎ノ陣ニ、松拍子ヲ張行ス、
蔭涼軒集証、亀泉、義政ニ梅枝ヲ進ム、
三十日 北野宮寺御師松梅院禅予、義尚ニ誦経巻数ヲ進ム、
是月 義政、屡諸寺ニ詣ル、
陸奥伊達尚宗ノ族大崎義兼、内訌ヲ避ケテ尚宗ニ寄ル、〇尚宗、金沢某ヲシテ、之ヲ扶ケ、大崎ニ帰ラシム、
二月
一日 春日祭ヲ延引ス、〇之ヲ追行ス、
御祝
二日 大内政弘、参陣スルコト能ハザルニ依リ、部将間田弘胤ヲシテ、近江鈎ノ陣ニ赴カシム、〇弘胤、義尚ニ
三日 義政、蔭涼軒集証亀泉ニ、建仁寺修造ニ就キテ、朝鮮ノ奉加銭ノコトヲ問フ、
五日 外様番衆、酒饌ヲ献ズ、
六日 御小弓アリ、
興福寺薪猿楽、
義尚、近江鈎ノ陣ニ、猿楽ヲ張行ス、
七日 彼岸中日ニ依リテ、近臣ニ御斎ヲ賜フ、
八日 幕府、諸五山ヲシテ、三星合ヲ祈禳セシム、
九日 禁中怪異アルニ依リ、陰陽頭土御門有宗ヲシテ、之ヲ祈禳セシメラル、
十一日 触穢ニ依リ、吉田兼倶ヲシテ、内侍所ニ代拝セシメラル、
御宴アリ、
伊勢貞宗ノ母、橘寺、長谷寺等ヲ巡礼ス、〇奈良ニ抵ル、〇細川下野守ノ母モ亦、長谷寺ニ参詣セントシテ抵ル
十二日 真乗寺住持某、参内ス、
十三日 大内政弘ノ子亀童丸、首服ヲ加フ、〇義尚、之ニ義興ノ二字ヲ授ク、〇義尚ノ執奏ニ依リテ、義興ヲ周
義政、山城地蔵院ノ訴ニ依リ、二宮次郎ノ同院領ヲ押領スルヲ斥ケ、之ヲ地蔵院ニ還付セシム、
尾張守護斯波義寛、近江鈎ノ陣ヨリ上洛ス、〇義政ニ謁ス、〇同守護代織田敏定、国ニ就ク、
十四日 細川政国、五山ノ僧ヲ招キ、観花ノ宴ヲ張ル、
十五日 涅槃会、
十七日 嘉楽門院ノ御不例ニ依リ、御薬ヲ進メサセラル、〇勧修寺教秀、甘露寺親長等ヲシテ、院司及ビ諒闇ノ
廿一日 正三位土御門有宣ヲ、従二位ニ叙ス、
義政、越前守護朝倉貞景ノ族同景久ヲシテ、仙洞御所旧跡ノ松ヲ、東山山荘ニ運バシム、
廿二日水無瀬法楽当座和歌御会、
廿三日 近衛政家、西園寺実遠等、酒饌ヲ献ジ、手猿楽ヲ張行ス、
義政、幕府料所美作江見荘ヲ、東山山荘領ト為ス、
廿四日 義政、相国寺造営ノ為メ、遣明船ヲ出サントス、〇其使僧ヲ定ム、
廿五日 庚申ヲ守リ、勧修寺経茂ヲ召シテ、囲碁ヲ遊バサル、
東寺、寺領周防美和荘兼行名ノ代官内藤弘矩ノ、年貢無沙汰ヲ停メラレンコトヲ幕府ニ請フ、
細川政元、千句連歌ヲ張行ス、
廿八日 勝仁親王御所月次御楽、
廿九日 静樹院住持某ヲシテ、聖運長久ヲ祈ラシム、
是月 幕府、伊勢国司北畠具方ニ、嫌疑四ケ条ヲ責問ス、〇具方、使ヲ遣シテ、之ヲ弁疏ス、〇幕府、具方ヲシ
幕府、相国寺及ビ等持寺ノ訴ニ依リ、摂津兵庫関ヲ両寺ニ安堵セシムルニ依リ、東大寺衆徒、之ヲ斥ケラレンコ
三月
一日 御祝、
御料所近江船木荘、年貢ヲ進納ス、
義政、三条西実隆等ヲシテ、新編句類ヲ続集セシム、
三日 節供御祝、〇闘鶏アリ、
五日 上巳御祓、
御楽始、
安芸小早川敬平所領同国沼田荘検地奉行、連署起請文ヲ敬平ニ出ス、
六日 賀茂下上社ヲシテ、嘉楽門院ノ御不例御平愈ヲ、祈ラシメラル、
義尚、近江鈎ノ陣ニ疾ム、〇義尚、諸寺院ヲシテ、平愈ヲ祷ラシム、
七日 臨時ノ御拝アリ、
宮女ヲ鞍馬寺ニ遣シテ、代拝セシメラル、
八日 嘉楽門院ノ庁ニ院司ヲ置キ、前権大納言葉室教忠、左中弁坊城俊名、大内記唐橋在数ヲ以テ之ニ補ス、
嘉楽門院ノ御不例ニ就キ、幕府ヲシテ、用度ヲ献ゼシメラル、〇義政、義尚互ニ推イシテ決セズ、〇使ヲ日野富
甘露寺親長疾ム、〇其疾ヲ問ハセラル、
九日 嘉楽門院御不例篤キニ依リ、密ニ同御所ニ行幸アラセラル、
義政、山城清涼寺ノ念仏会ニ参詣ス、〇三宝寺ニ詣ル、
義尚、近江鈎ノ陣ヨリ、夢想連歌懐紙ヲ北野社ニ納ム、
十日 山城頂妙寺権大僧都日祝ヲ権僧正ニ任ズ、
幕府、前北野宮寺御師禅椿ノ京都ヲ徘徊スルニ依リ、同社祠官ニ、之ガ追捕ヲ命ズ、〇細川政元、同政誠等ヲシ
十一日 嘉楽門院御不例御祈ノ為メ、内侍所臨時御神楽ヲ行ハセラル、
大和信貴山ノ禅徒、学衆、事ニ依リテ、相争フ、〇大乗院尋尊ノ斡旋ニ依リテ和ス、
十二日 観藤ノ御宴アリ、
十四日 第四皇子、葉室教忠第ニテ、御行事始ヲ行ハセラル、
義政側室大館氏、大神宮ニ参詣セントシテ、奈良ニ抵ル、
十五日 義尚、権大納言ヲ辞ス、〇聴サレズ、
十七日 義政、和泉念仏寺ヲシテ、同寺領ヲ安堵セシム、
十八日 鴨県主梨木祐平ヲ、比良木社権祝ト為シ、鴨社前権禰宜鴨祐長遺跡及ビ同社領越中寒江荘、越前志津荘
二十日 聯輝軒永崇ノ執奏ニ依リ、誓願寺ニ太刀ヲ御奉加アラセラル、
庭田重経ヲ清荒神ニ遣シテ、代拝セシメラル、
廿一日 義尚、山城常在光寺ニ太刀及ビ馬ヲ奉加ス、
三条西実隆、近江鈎ノ陣ニ赴ク、〇義尚、実隆ヲシテ、禁裏御本袖中抄ヲ借用セシム、〇之ヲ書写セシム、
廿二日 勝仁親王、御霊社、祇園社及ビ清水寺等ニ御参詣アラセラル、
廿四日 越後守護上杉房定ノ子民部大輔定昌、上野白井ニ自殺ス、
廿六日 大内政弘、仁保護郷ヲ左近将監ニ推挙ス、
廿八日 義尚、宗祇ヲ北野社連歌会所奉行ト為ス、
廿九日 内侍所御神楽、
三十日 三月尽和漢聯句御会、
禁中触穢アリ、〇廷臣等ニ勅問アラセラル、
相国寺雲頂院、末寺美濃竜門寺及ビ寺領神淵郷ヲ還付セラレンコトヲ、蔭涼軒集証亀泉ニ依リテ、幕府ニ請フ、
是月 六角高頼ノ将伊庭某等、伊賀ニ在リ、同国人ヲ誘ヒテ高頼ノ被官トナシ、義尚ノ軍ヲ旋スヲ待チテ、近江
四月
一日 御祝、〇主水司、氷ヲ献ゼズ、
二日 御貝覆アリ、
幕府、泉湧寺ヲシテ、近江沼波荘観音寺及ビ寺領ヲ安堵セシム、
七日 義政、斎藤宗基ヲ、南禅寺別奉行ト為ス、
赤松政則ノ兵、山名政豊ノ兵ト播磨坂本ニ戦フ、
安房里見義実卒ス、〇子成義嗣グ、
八日 嘉楽門院御不例御祈ノ為メ、名号御連歌ヲ行ハセラル、〇同御所ニ百万遍念仏ヲ修セラル、
九日 稲荷祭、
十四日 日吉祭、
御料所、美濃伊自良荘、年貢ヲ勝仁親王ニ進納ス、〇親王、酒饌ヲ献ゼラル、
幕府、北野宮寺領能登菅原荘、同湯河、四柳等ヲ、社家直務ト為ス、
十五日 御祝、
賀茂祭、
松尾祭ヲ復ス、〇社人等、争闘シテ、途ニ神輿ヲ遣棄ス、
幕府、美濃守護代斎藤妙純ヲシテ、飯尾貞運所領同国那比村ヲ、重ネテ貞運ニ渡付セシム、
十六日 義尚、宗祇ヲ近江鈎ノ陣ニ招キテ、伊勢物語ヲ講ゼシム、
相国寺住持景昭、楚岫、退院ス、〇景三、横川、再ビ同寺住持トナル、
十八日 勝仁親王御所御蹴鞠アリ、
十九日 義政、相国寺鹿苑院ノ訴ニ依リ、安楽光院及ビ御園某ノ、林光院領加賀横北郷ヲ違乱スルヲ停ム、
臨川寺三会院主智岳、松嶺、義政ニ、三会院及ビ友雲庵ノ額字ヲ請フ、〇義政、景三横川ヲシテ代書セシム、
義政、南禅寺僧良本ヲシテ、東山山荘西指庵ノ斗帳ヲ縫ハシメントシ、加賀佐野荘ヨリ上洛セシム、
廿四日 勝仁親王、三条西実隆ヲシテ、著到御和歌ニ合点セシメラル、
廿七日 幕府、神馬ヲ、愛宕社、野宮社等ニ寄進ス、
讃岐守護細川政之、美濃守護土岐成頼其子次郎、政房、出雲守護京極政経等、鈎ノ陣ニ抵ル、〇次郎、京都ニ義
廿八日 嘉楽門院崩御、〇伏見般舟三昧院ニ殯シ奉ル、
義政、相国寺鹿苑院ノ請ニ依リ、同院ヲシテ、其西在家敷地ヲ沙汰セシム、
義政、西芳寺ニ、同寺ノ羅漢像及ビ鯉魚ノ絵ヲ徴ス、
是月正三位町広光、同四辻実仲ヲ従二位ニ叙ス、
松木宗綱、四辻季経、冷泉為広等、大神宮ニ参詣ス、