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大日本史料 第7編之9

サブタイトル1~10
後小松天皇 自応永14年7月至同15年4月
編著者名
東京帝国大学文学部史料編纂所 編者
出版者
東京帝国大学文学部史料編纂所
出版年月
1943年(昭和18年)3月
大きさ(縦×横)cm
22×
ページ
975p
ISBN
NDC(分類)
210.08
請求記号
210.08/To46/7-9
保管場所
地下書庫和図書
内容注記
折込図2枚
和書
目次

後小松天皇
応永十四年
七月
廿五日 春日社下遷宮、
廿九日 唐橋在通ニ方略試ヲ課ス、
山科教言、美濃国内ノ所領及ビ山城山科東荘ニ、造太政官庁段銭ノ賦課ヲ停メラレシコトヲ幕府ニ請フ、
是月 東寺雑掌頼勝、若狭守護一色詮範ニ、同寺領同国太良荘ニ人夫以下ノ国役ヲ課スルヲ停メラレンコトヲ請
八月
一日 八朔ノ祝ニ依リ、山科教興、義満ノ北山第ニ参賀ス、
四日 北野祭、
義持、内蔵寮御服所ヲシテ、大口ヲ縫ハシム、
前権大納言従一位坊城俊任、出家ス、
五日 義満、明使ヲ北山第ニ引見ス、
九日 太政官庁造営要脚段銭ヲ大和国ニ課ス、
義満、北野社ニ参篭ス、
十二日 義満、内蔵頭山科教興ノ請ニ依リテ、同寮領河内楠葉ノ率分ヲ、総関務ニ混ジテ、勘過スルコトヲ停ム
十三日 肥前松浦延、地ヲ同国宛陵寺ニ寄進ス、
十五日 石清水八幡宮放生会、
信濃善光寺塔供養、
十六日 駒牽、
東寺雑掌、遠江守護斯波義教ニ同寺領同国細谷郷領家職ノ半済ヲ停メラレンコトヲ請フ、
十七日 幕府、東寺及ビ醍醐寺ヲシテ、止雨ヲ祈ラシム、
志敬、簡翁、等持寺住持トナル、〇入寺ス、
十八日 御霊祭、
太政官庁造営日時定、
義満、花山院忠定ヲシテ、近江市子荘ヲ安堵セシム、〇忠定、義満ニ恩ヲ謝ス、
十九日 御蹴鞠、
廿一日 周繁、少林、相国寺住持トナル、〇入寺ス、
山科賀安丸、嗣教、三千院門主義嗣ノ侍童トナル、
薩摩島津忠朝、同国冠岳山三所権現ニ武運ヲ祈ル、
廿三日 義満、奈良ニ到リ、西大寺光明真言ヲ聴聞ス、
廿六日 紀伊守護畠山満慶、幕府ノ旨ヲ受ケ、同国内ノ大伝法院領ニ、太政官庁造営段銭ヲ催促スルヲ停ム、
廿八日 賀茂夏平ヲ賀茂社ノ神主ニ補ス、〇夏平、恩ヲ義満ニ謝ス、
廿九日 紀伊守護畠山満慶、同国大伝法院ヲシテ、同国七箇荘及ビ直河荘等ヲ安堵セシメ、諸公事、国役及ビ守
三十日 箏ノ緒ヲ山科教言ニ賜フ、
是月 東寺雑掌、重ネテ、同寺領備中新見荘領家職代官垪和為清ヲシテ、同職年貢ヲ沙汰セシメラレンコトヲ幕
出雲北島資孝、同幸孝、同国杵築社領内下部ノ狼藉ノ刑ヲ定ム、
九月
三日 幕府、伊達範宗ト今川法世トノ訴論ヲ裁決シ、駿河守護今川泰範ヲシテ、論所同国入江荘内三沢小次郎跡
七日 前円覚寺住持中円月潭寂ス、
八日 少二武資、筑前高良社別宮大宮司ヲシテ、同社領ヲ安堵セシム、
十日 義満、山城退蔵庵ニ詣ル、
十四日 義満、臨川寺三会院ニ詣ル、
十五日 義満、重ネテ、兵庫ニ遊ブ、
十七日 盛長、姓ク、闕越中守護畠山満家ノ旨ヲ受ケ、江良太郎左衛門入道ヲシテ、石清水八幡宮領同国埴生荘
廿一日 常陸守護左馬権頭佐竹義盛卒ス、〇義盛、上杉憲定ノ子義憲ヲ養ヒテ嗣トセントス、〇国人悦バズ、〇
廿四日 幕府、京都ニ地口銭ヲ課シテ、実相寺修理費ニ充ツ、
廿九日 伊勢国司北畠満雅、兵糧料所トシテ、同国遍照寺領ヲ佐藤助次郎ニ宛行フ、
是秋 幕府奉行人飯尾浄称、義満ノ怒ニ触レテ篭居ス、
十月
一日 日食ニ依リテ、旬平座延引、〇追行ス、
三日 梵晃、東啓、相国寺住持トナル、〇入寺ス、
下野宇都宮満綱、鎌倉ニ卒ス、
五日 崇賢門院、北野社ニ参篭セラル、
七日 亥子ノ御祝、
北野万部経会、
宗朝、姓ク、闕幕府ノ旨ヲ受ケ、隅田三郎左衛門尉ヲシテ、真板康貞ノ東寺八幡宮領山城上久世荘公文職及ビ名
十日 義満及ビ義持、参内ス、
十一日 醍醐寺座主三宝院満済、隆円ヲシテ、同寺南禅院ヲ安堵セシム、
十三日 義満、万寿寺ニ莅ム、〇徳大寺公俊ヲ訪フ、
周防国清寺、同寺敷地ノ四至ヲ定ム、〇同国守護大内盛見、之ヲ承認ス、
十六日 月食、
十七日 義満、銭ヲ献ズ、
義持、病ム、
十八日 周防守護大内盛見、同国国分寺領内ニ邸地ヲ点定シ、其替トシテ、同国倉成名ヲ同寺ニ寄進ス、
二十日 義満、明人ヲ伴ヒテ、常在光院ニ紅葉ヲ観ル、
若狭守護一色満範、守護代三方範忠ヲシテ、東寺領同国太良荘ニ、造皇大神宮役夫工米ヲ催促スルコトヲ停メシ
廿一日 義満、北山院ト高雄ニ紅葉ヲ観ル、
廿八日 義満、紀伊日前国懸社ニ造営料ヲ寄進ス、
廿九日 春日社立柱上棟、
十一月
一日 義満、侍童御賀丸ノ邸ニ湯治ス、
六日 鎌倉円覚寺火ク、
八日 陸奥岩城朝義卒ス、
九日 春日社正遷宮、
権中納言兼左兵衛督検非違使別当広橋兼宣ノ別当ヲ罷ム、
十日 春日祭、
十一日 梅宮祭、
十四日 山科教言、伊勢貞行ニ頼リテ、其子教冬ノ不興ヲ解カレンコトヲ義持ニ請フ、
十九日 日野重光ノ子、義資、四条隆直ノ子隆盛、及ビ斯波義教ノ子、義淳、元服ス、〇隆盛ヲ侍従ニ任ズ、
廿一日 義満、重ネテ、東院光暁ヲシテ、修南院領大和金力名ヲ安堵セシム、〇供御所ヲ懐俊ニ返付セシム、
廿七日 九十番御歌合、
廿九日 前東福寺住持霊瑞雲叟寂ス、
十二月
一日 義満、北山第惣社ニ神楽ヲ奏ス、
二日 前南禅寺住持一隣一庵寂ス、
三日 義満、法華八講ヲ北山第ニ行フ、
八日 義満、北野社ニ参篭ス、
九日 義満、細川満国ニ備中浅口郡、同闕所分、同国矢田郷、伊予宇麻郡、同闕所分及ビ摂津小林上下荘等ヲ宛
十一日 幕府、三河守護一色満範ヲシテ、同国衙代官ノ同国深恩院領比志賀郷ニ課役ヲ譴責スルヲ停メシム、
石見守護山名氏利、同国益田兼家ヲシテ、同国内ノ所領ヲ、波多野永寿丸氏秀ヲシテ、同国長野荘黒谷郷地頭職
十四日 紀俊長等、和歌会ヲ張行ス、〇義持、為メニ和歌ヲ詠ズ、
興福寺維摩会、
十七日 内侍所御神楽、
義満、西園寺実永ノ第ニ莅ム、
義満、摂津河上興福寺諸関ヲ往復スル諸船ノ、権門勢家ノ名ヲ仮リテ、強ヒテ通過スルコトヲ停ム、
十九日 義満、奈良ニ抵ル、
廿一日 山城醍醐寺清滝社遷宮、
赤松義則、東寺ニ歳末巻数ノ贈遺ヲ謝ス、
廿三日 大中臣長盛ヲ大神宮大宮司ニ補ス、
当座和歌御会、
廿七日 貢馬御覧、〇義満、義持、参内ス、
鎌倉府、下野鑁阿寺ヲシテ、同寺ノ鳴動ヲ祈禳セシム、
廿九日 廷臣等、幕府及ビ義満ニ歳末ヲ賀ス、
九条経教ノ子、経覚、出家ス、
三十日 義満、明年元三ノ御服ヲ献ズ、
是月 百首和歌ヲ召サセ給フ、
金剛峰寺ケンコウ行算ヲ罷ム、〇法印悉地院長恵ヲ之ニ補ス、
是歳 義満、使ヲ朝鮮ニ遣シテ、書及ビ物ヲ贈ル、
義持、安芸仏通寺ニ小早川則平ヲ遣シ、同寺住持周及愚中ニ法語及ビ道号頌ヲ求ム、
日向大隅両国守護島津元久、幕府ノ召命ニ依リテ上洛セントシ、伊集院頼久ヲ遣シテ、其邸宅ヲ造営セシム、
参議従二位世尊寺行俊薨ズ、
啓原、太初、明ニ寂ス、
我辺民、屡朝鮮ノ辺彊ヲ侵ス、
年末雑載
災異、
神社、
仏寺、
諸家、
死歿、疾病、
学芸、風俗、
荘園、所領、
年貢、諸役、
訴訟、
処分、譲与、
寄附、
売買、
貸借、
紛失、
雑、
応永十五年
正月
一日 四方拝、〇節会、
北山院拝礼、
幕府ワン飯、
二日 殿上淵酔、
五日 叙位、
前建長寺住持円方無外寂ス、
七日 白馬節会、
八日 後七日法及ビ太元帥法、
十日 右近衛大将義持、直衣始出仕ノ公卿殿上人等ヲ点定ス、
十一日 幕府評定始、
十二日 義満、参内ス、
前能登総持寺住持善救普済寂ス、
十六日 踏歌節会、
義満、尊星王法ヲ北山第二修ス、
十七日 幕府的始、
十八日 御三毬打、
廿四日 義満、等持寺ニ詣ル、
廿五日 義満、山科教遠ヲシテ、備前居都荘上村ヲ、同教言ヲシテ同荘下ヲ一円ニ知行セシム、
廿五日 義満、山科教遠ヲシテ、備前居都荘上村ヲ同教言ヲシテ、同荘下村ヲ一円ニ知行セシム、
廿八日 伏見宮栄仁親王、義満ヲ北山第ニ訪ハセラル、
二月
一日 義満、摂津兵庫ニ遊ビテ、明船ヲ観ント欲シ、京都ヲ発ス、
二日 加賀守護修理大夫斯波義種卒ス、
三日 内蔵寮御服所、御大口ヲ進献ス、
五日 春日祭、
六日 幕府ノ室町第ニ蝦蟆ノ怪異アリ、
九日 義満、北野社ニ参篭ス、
十二日 義満、北山大塔ノ本尊ヲ造立セントシテ、興福寺大仏師成慶ヲ東寺ニ遣シ、同寺塔婆安置ノ本尊四仏、
二十日 前東福寺住持曇春東巌寂ス、
廿三日 正四位下万里小路豊房ヲ従三位ニ叙ス、
廿四日 小除目、
義満、美濃大興寺ヲ諸山ニ列ス、
廿七日 義満ノ子、義嗣、童殿上、
是月 和泉薬師寺、同国内仏寺総講師職ヲ安堵セシメラレンコトヲ幕府ニ請フ、
三月
四日 小除目、〇叙位、〇足利義嗣ヲ従五位下ニ叙ス、
青蓮院門主義円、出家ス、
九州探題渋川満頼、肥後詫磨満親ヲシテ、同国六箇荘内小山村地頭職ヲ安堵セシム、
六日 武蔵広園寺、国済寺等開山令山峻翁寂ス、
八日 正親町宮入道義仁王ヲ親王ト為ス、
義満ノ北山第ニ行幸シ給フ、〇御連歌、御蹴鞠、御遊、舞童御覧等アリ、〇和歌及ビ三船ノ御会ヲ催サセラル、
十一日安芸毛利頼広、同国吉田荘内麻原郷地頭職ヲ子幸鶴丸ニ譲与ス、
廿四日 従五位下足利義嗣ヲ正五位下ニ叙シ、左馬頭ニ任ズ、
廿八日 北山第行幸本家賞トシテ、正五位下足利義嗣ヲ従四位下ニ叙ス、〇正二位日野重光ヲ従一位ニ叙ス、
唐橋在直、孫在行ノ名簿ヲ上リテ、寮省試ヲ請フ、
廿九日 左馬頭足利義嗣ヲ左近衛中将ニ任ズ、
義満父子、参内ス、
是月 東寺雑掌、同寺八幡宮領若狭太良荘ニ、人夫以下ノ国役ヲ免除セラレンコトヲ、同国守護一色満範ニ請フ
四月
一日 稲荷祭延引、〇追行ス、
義嗣、楽ヲ習フ、
三日 義嗣、任継ノ坊ニ莅ム、
四日 義満、石清水八幡宮ニ参詣ス、
七日 大中臣忠智ヲ大神宮大宮司ニ補ス、
八日 義満、山城円福寺住持宗漸東源ヲ相国寺鹿苑院ニ延見ス、
十日 義満、大神宮ニ参詣セントシ、京都ヲ発ス、〇大和長谷寺ニ参詣シテ帰ル、
十三日 薩摩伊集院頼久、同国伊集院持丸名ノ地ヲ同国広済寺ニ寄進ス、
十九日 賀茂祭、
二十日 関白一条経嗣ヲ罷メ、左大臣近衛忠嗣ヲ之ニ補シ、藤原氏長者ト為シ、随身兵仗ヲ賜ヒ、牛車ヲ聴ス、
廿一日 義満、義嗣ヲ伴ヒテ、一色満範ノ邸ニ莅ム、
万寿寺住持梵シュン季璞寂ス、
大和法華寺西塔火ク、
廿二日 吉田祭、
廿三日 義満、鳥取侍従律師ヲシテ、和泉上郷内上村地頭職及ビ散在名田畠ヲ安堵セシム、
廿五日 義嗣、内裏ニ元服ス、
小除目、〇叙位、〇従四位下左近衛中将足利義嗣ヲ参議ニ任ズ、〇従三位ニ叙ス、
廿七日 義満、山科嗣教ヲシテ、北山第ニ元服ノ儀ヲ行ハシム、〇義満、親ラ之ニ加冠ス、
是月 一条良忠、名ヲ経輔ト改ム、
尾張織田常竹、同国妙興寺天祥庵庵規ニ証判ヲ加フ、