あの戦争
1 宣戦布告と緒戦の大勝利(昭和16年12月8日-14日)
2 一躍英雄になった山本五十六連合艦隊司令長官(昭和16年12月15日-21日)
3 香港占領と猛烈な貯蓄運動(昭和16年12月22日-28日)
4 お年玉は真珠湾奇襲攻撃の写真(昭和16年12月29日-昭和17年1月4日)
5 開戦のきっかけは石油確保(昭和17年1月5日-11日)
6 漁船徴用で深刻な魚不足(昭和17年1月12日-18日)
7 衣料の点数切符制とラバウル占領(昭和17年1月19日-25日)
8 天気予報なしの4年間。マレー半島を制圧(昭和17年1月26日-2月1日)
9 唯一苦戦のバターン半島(昭和17年2月2日-8日)
10 「イエスか、ノーか」、シンガポール陥落(昭和17年2月9日-15日)
11 ボルネオ、スマトラの石油獲得(昭和17年2月16日-22日)
12 作家・画家も報道班員に(昭和17年2月23日-3月1日)
13 真珠湾の九軍神を発表(昭和17年3月2日-8日)
14 独立運動、アジアの志士たち(昭和17年3月9日-15日)
15 収容所入りした在米日系人(昭和17年3月16日-22日)
16 軍事優先の関門海底トンネル貫通(昭和17年3月23日-29日)
17 新学期と「マライのハリマオ」人気(昭和17年3月23日-4月5日)
18 海軍、インド洋も制覇(昭和17年4月6日-12日)
19 B25、本土初空襲の虚と実(昭和17年4月13日-19日)
20 浮かれる株抑制し国債買い強制へ(昭和17年4月20日-26日)
21 戦争遂行へ挙国一致の翼賛選挙(昭和17年4月27日-5月3日)
22 フィリピンの米比軍降伏と珊瑚海海戦の戦略的敗北(昭和17年5月4日-10日)
23 ゾルゲ、尾崎ら国際スパイ団検挙の発表(昭和17年5月11日-17日)
24 ビルマ解放、南方作戦一段落(昭和17年5月18日-24日)
25 第二段作戦の連合艦隊、運命のミッドウェーへ(昭和17年5月25日-31日)
26 形勢逆転、ミッドウェー海戦の大敗(昭和17年6月1日-7日)
27 日本、レーダー開発でも後れを取る(昭和17年6月8日-14日)
28 海軍、暗号戦でも完敗(昭和17年6月15日-21日)
29 親日のグルー米大使、交換船で帰国(昭和17年6月22日-28日)
30 「戦場に架ける橋」はフィクションだった(昭和17年6月29日-7月5日)
31 支那事変を引きずりながらの太平洋戦争(昭和17年7月6日-12日)
32 誇大戦果発表のツケは必ず回ってくる(昭和17年7月13日-19日)
33 国民みんなラジオ体操イチ、ニッ、サン(昭和17年7月20日-26日)
34 辻参謀、「制空権ハ敵手ニ在リ」と打電(昭和17年7月27日-8月2日)
35 米軍、ガダルカナルに上陸(昭和17年8月3日-9日)
36 日本も原爆の研究進めたが…(昭和17年8月10日-16日)
37 野村大使ら帰国。ガダルカナルの一木支隊全滅(昭和17年8月17日-23日)
38 戦火の夏、“幻の大会”に沸いた甲子園(昭和17年8月24日-30日)
39 敵情不明のまま上陸、ラビの陸戦隊の悲劇(昭和17年8月31日-9月6日)
40 満州国軍に夢託した人たち(昭和17年9月7日-13日)
41 ポートモレスビーへあと一歩。ワスプ撃沈の快挙(昭和17年9月14日-20日)
42 「五族協和」の理想も高く(昭和17年9月21日-27日)
43 飢えるガ島へ「鼠輸送」「丸通」で懸命の糧食輸送(昭和17年9月28日-10月4日)
44 レーダーに「猫の目」で対抗のソロモン海戦(昭和17年10月5日-11日)
45 日独を結んだ潜水艦の苦労(昭和17年10月12日-18日)
46 愛された士官、海軍主計大尉小泉信吉の戦死(昭和17年10月19日-25日)
47 南太平洋海戦、太平洋上の米空母ゼロに(昭和17年10月16日-11月1日)
48 仏印、「南洋学院」での青春(昭和17年11月2日-8日)
49 国民、ガダルカナルの苦戦を知る(昭和17年11月9日-15日)
50 ブナに連合軍上陸。短命だった「愛国百人一首」(昭和17年11月16日-22日)
51 銃を鎌に持ち替えて、兵の援農出動(昭和17年11月23日-29日)
52 陸軍作戦部長が東条首相に「この馬鹿野郎!」(昭和17年11月30日-12月6日)
53 横浜港でドイツ仮装巡洋艦が爆発(昭和17年12月7日-13日)
54 軍事費に国家予算90年分を使う(昭和17年12月14日-20日)
55 ガ島撤退、陸海どちらが先に口にするか…(昭和17年12月21日-27日)
56 「壮烈、鬼神も哭く」ブナ守備隊の最期(昭和17年12月28日-昭和18年1月10日)
57 国民標語は「欲しがりません勝つまでは」(昭和18年1月11日-17日)
58 長崎市民が「化け物」と呼んだ戦艦「武蔵」(昭和18年1月18-24日)
59 「ガ島」変じて「餓島」になる(昭和18年1月25日-31日)
60 「二万英霊の加護により」ガダルカナル撤退成功(昭和18年2月1日-7日)
61 国民も飢えて戦況悪化を知る(昭和18年2月8日-14日)
62 ガ島に取り残され捕虜になった兵士たち(昭和18年2月15日-21日)
63 連隊長、軍旗処理に苦悩しながら戦死(昭和18年2月22日-28日)
64 輸送船団全滅、「ダンピールの悲劇」(昭和18年3月1日-7日)
65 長期持久が短期決戦か、迷走する日本軍の戦略(昭和18年3月8日-14日)
66 戦没船員6万人、船舶喪失818万トン(昭和18年3月15日-21日)
67 戦意高揚に協力した従軍画家たち(昭和18年3月22日-28日)
68 大阪名物「通天閣」も応召(昭和18年3月29日-4月4日)
69 山本長官、陣頭指揮でラバウルへ(昭和18年4月5日-11日)
70 暗号解読され待ち伏せ、山本長官戦死(昭和18年4月12日-18日)
71 満鉄のシンボル、あこがれの「あじあ号」(昭和18年4月19日-25日)
72 5分で沈んだ豪華客船「鎌倉丸」(昭和18年4月26日-5月2日)
73 軍需造船用に「神木」も供出(昭和18年5月3日-9日)
74 孤立無援、北海の孤島での戦い(昭和18年5月10日-16日)
75 山本元帥戦死発表に国民衝撃(昭和18年5月17日-23日)
76 アッツ島守備隊玉砕、世界も驚いた「バンザイ突撃」(昭和18年5月24日-30日)
77 ワシントンの命令だった山本長官機撃墜(昭和18年5月31日-6月6日)
78 厳秘扱いにされた戦艦「陸奥」の爆沈(昭和18年6月7日-13日)
79 チャンドラ・ボース、忽然と東京に(昭和18年6月14日-20日)
80 「共栄圏」外交に大忙しの東条首相(昭和18年6月21日-22日)
81 ムンダ、サラモアへ連合軍反攻開始(6月28日-7月4日)
82 指揮官先頭で刺し違えた二つの海戦(7月5日-11日)
83 南東支隊、ジャングルでの勇戦敢闘(昭和18年7月12日-18日)
84 夢と消えた日独連絡機「A26」(昭和18年7月19日-25日)
85 キスカ島撤退、霧と忍耐が奇跡呼ぶ(昭和18年7月26日-8月1日)
86 ケネディ中尉の“災難”と「東京急行」の終焉(昭和18年8月2日-8日)
87 言論圧迫、雑誌「中央公論」の“暑い夏”(昭和18年8月9日-15日)
88 ジャングルの海にのまれたニューギニアの戦い(昭和18年8月16日-22日)
89 社長さんも「応徴士」になった軍需生産(昭和18年8月23日-29日)
90 戦災恐れ処分された動物たちの悲劇(昭和18年8月30日-9月5日)
91 イタリア降伏、バドリオは「裏切り者」の代名詞に(昭和18年9月6日-12日)
92 徹底的に研究された「零戦」の欠点(昭和18年9月13日-19日)
93 「総動員体制」でも後れを取った日本(昭和18年9月20日-26日)
94 「絶対国防圏」への後退と陸軍船舶兵の活躍(昭和18年9月27日-10月3日)
95 アッツ島慰霊祭と生還した英霊たち(昭和18年10月4日-10日)
96 フィリピン独立とラウレル大統領(昭和18年10月11日-17日)
97 徴兵猶予停止で学徒出陣(昭和18年10月18日-24日)
98 倒閣運動の中野正剛代議士が自殺(昭和18年10月25日-31日)
99 戦況悪化の中で「大東亜会議」開催(昭和18年11月1日-7日)
100 「戦陣訓」神話の虚実(昭和18年11月8日-14日)
101 軍需省が発足しても陸海の対立変わらず(昭和18年11月15日-21日)
102 連合軍の大反攻開始、タラワ守備隊玉砕(昭和18年11月22日-28日)
103 赤十字マーク無視、病院船ぶえのすあいれす丸撃沈(昭和18年11月29日-12月5日)