図書アノ センソウ000041022

あの戦争 続編

サブタイトル1~10
紙上追体験
編著者名
産経新聞社 [編]
出版者
産経新聞社
出版年月
2001年(平成13年)2月
大きさ(縦×横)cm
30×43
ページ
109p
ISBN
NDC(分類)
210.75
請求記号
210.75/Sa65
保管場所
閉架大型1
内容注記
発売:産経新聞ニュースサービス
和書
目次

104 中野学校と高砂族出身将兵の活躍(昭和18年12月6日-12日)
105 ラバウルの孤立化進む(昭和18年12月13日-19日)
106 捕虜を使って対米放送「日の丸アワー」(昭和18年12月20日-26日)
107 決勝の年は神だのみで明ける(昭和18年12月27日-昭和19年1月9日)
108 陸海航空、縄張り争い(昭和19年1月10日-16日)
109 遣独潜水艦が持ち帰った最新鋭レーダーの図面(昭和19年1月17日-23日)
110 起死回生へ胎動する特攻思想(昭和19年1月24日-30日)
111 クェゼリン玉砕、一方的な殺りく(昭和19年1月31日-2月6日)
112 ドイツ軍の「大島情報」筒抜け(昭和19年2月7日-13日)
113 トラック大空襲、基地機能を喪失(昭和19年2月14日-20日)
114 「竹槍より飛行機だ」と書き懲罰召集食う(昭和19年2月21日-27日)
115 真珠湾と違い徹底的に破壊されたトラック(昭和19年2月28-3月6日)
116 “薮へび”になったインパール作戦(昭和19年3月7日-13日)
117 タロキナで孤立の第六師団、一矢報いる(昭和19年3月14日-20日)
118 「赤城丸」奇跡の生還者たちの叫び(昭和19年3月21日-27日)
119 パラオ奇襲受け、古賀連合艦隊司令長官殉職(昭和19年3月28日-4月3日)
120 コヒマ占領も、戦機すでに去る(昭和19年4月4日-10日)
121 「海軍乙事件」灰色の決着(昭和19年4月11日-17日)
122 支那派遣軍、大陸打通作戦を開始(昭和19年4月18日-24日)
123 庶民は酒・たばこ確保に悪戦苦闘(昭和19年4月25日-5月1日)
124 建造追いつかない船舶の喪失(昭和19年5月2日-8日)
125 サイパン、遅すぎた防波堤作り(昭和19年5月9日-15日)
126 満を持しタウイタウイに大艦隊集結(昭和19年5月16日-22日)
127 ビアク島で“みちのく健兵”奮闘す(昭和19年5月23日-29日)
128 インパール戦線、将軍二人のいさかい(昭和19年5月30日-6月5日)
129 インド独立30年早めた日本軍(昭和19年6月6日-12日)
130 ついにB29が本土へ。北九州爆撃。(昭和19年6月13日-19日)
131 マリアナ沖海戦大敗、首相ついに弱音吐く(昭和19年6月20日-26日)
132 インパール作戦中止、白骨街道の敗走(昭和19年6月27日-7月3日)
133 住民巻き添え、サイパン島玉砕(昭和19年7月4日-10日)
134 東条内閣“重臣の世論”で総辞職(昭和19年7月11日-17日)
135 小磯内閣スタート。残る「東条幕府」の後遺症(昭和19年7月18-24日)
136 国力の差が出たマリアナ沖海戦(昭和19年7月25日-31日)
137 カウラの日本軍捕虜の玉砕突撃(昭和19年8月1日-7日)
138 グアム島も玉砕。玉砕の島に生き延びて(昭和19年8月8日-14日)
139 B29の的は小倉造兵廠と八幡製鉄所(昭和19年8月15日-21日)
140 空腹の記憶、学童集団疎開の哀歓(昭和19年8月22日-28日)
141 ビルマ・雲南戦線でも玉砕相次ぐ(昭和19年8月29日-9月4日)
142 「ダバオ誤服」でパニックに(昭和19年9月5日-11日)
143 ペリリュー、精強第十四師団の戦い(昭和19年9月12日-18)
144 米内海相が発言、「連合艦隊は今や、ない」(昭和19年9月19日-25日)
145 戦機迫るフィリピン、米軍上陸予定繰り上げ(昭和19年9月26日-10月2日)
146 連合軍入城のパリを逃れた日本人(昭和19年10月3日-9日)
147 空前の誇大戦果発表、台湾沖航空戦の幻影(昭和19年10月10日-16日)
148 米軍レイテ島上陸。大西中将、特攻の決断(昭和19年10月17日-23日)
149 栗田艦隊、反転の悔いは永遠に(昭和19年10月24日-30日)
150 混迷の中、「レイテ地上決戦」の決定(昭和19年10月31日-11月6日)
151 明暗分けた船団輸送、オルモック湾の戦い(昭和19年11月7日-13日)
152 輸送船団には興味なかった栗田艦隊(昭和19年11月14日-20日)
153 「サクラサクラ」、ペリリュー守備隊玉砕(昭和19年11月21日-27日)
154 未完空母「信濃」、悲運の最期(昭和19年11月28日―12月4日)
155 空地協同のブラウエン飛行場殴り込み(昭和19年12月5日-11日)
156 御楯特別攻撃隊、サイパンへ復仇攻撃(昭和19年12月12日-18日)
157 レイテ島は「自活自戦」で永久抗戦(昭和19年12月19日-25日)
158 元旦もB29来襲で明けた昭和二十年(昭和19年12月26日-昭和20年1月8日)
159 ルソン島持久戦の開幕(昭和20年1月9日-15日)
160 風船爆弾、米本土を襲う(昭和20年1月16日-22日)
161 東を向く支那派遣軍と繆斌工作(昭和20年1月23日-29日)
162 食欲、傲慢、米英ソのヤルタ密約(昭和20年1月30日―2月5日)
163 悲惨!マニラ市街戦(昭和20年2月6日-12日)
164 戦火はついに都下、硫黄島へ(昭和20年2月13日-19日)
165 穴にもぐり「一人十殺」戦法の硫黄島(昭和20年2月20日-26日)
166 名誉挽回、壮絶な長白山丸の最期(昭和20年2月27日-3月4日)
167 東京大空襲、火の壁の中、死者10万(昭和20年3月5日-11日)
168 小野寺少将、「ソ連参戦」を打電(昭和20年3月12日-18日)
169 硫黄島玉砕、初出撃の「桜花」全滅(昭和20年3月19日-25日)
170 沖縄へ米軍上陸、戦略持久の日本軍(昭和20年3月26日-4月1日)
171 一億総特攻、戦艦「大和」も沈む(昭和20年4月2日-8日)
172 「沖縄県民かく戦えり」(昭和20年4月9日-15日)
173 ルソン島、ベンゲット道の激闘(昭和20年4月16日-22日)
174 「特攻の真実を伝えたい(昭和20年4月23日-29日)
175 ソ連軍への降伏嫌ったドイツ軍(昭和20年4月30日-5月6日)
176 政府、正式に終戦工作に着手(昭和20年5月7日-13日)
177 ドイツ終焉見届けた日本人たち(昭和20年5月14日-20日)
178 義烈空挺隊、沖縄へ突入(昭和20年5月21日-27日)
179 スティムソン長官、原爆投下の決断(昭和20年5月28日-6月3日)
180 無差別爆撃へ岡田中将「法戦」(昭和20年6月4日-10日)
181 マノクワリ、「南の島に雪が降る」(昭和20年6月11日-17日)
182 玉砕覚悟、島田沖縄県知事の赴任(昭和20年6月18日-24日)
183 沖縄戦終っても続くフィリピンの戦い(昭和20年6月25日-7月1日)
184 本土決戦に狂奔する軍民(昭和20年7月2日-8日)
185 米機動部隊北へ、ついに北海道が孤立(昭和20年7月9日-15日)
186 勝てなくても負けない気持ちで(昭和20年7月16日-22日)
187 赤トンボで敵艦沈めた「七軍神」(昭和20年7月23日-29日)
188 末期症状みせる皇軍(昭和20年7月30-8月5日)
189 原爆投下とソ連参戦の暴虐(昭和20年8月6日-12日)
190 聖断下る、「国体護持」の一線守れ(昭和20年8月13日-19日)
191 安ど、自失、混乱続く敗戦日本(昭和20年8月20日-26日)
192 降伏の儀式もさまざまに(昭和20年8月27日-9月2日)
193 進駐初日から性犯罪起こす米軍(昭和20年9月3日-9日)
194 東条大将自決に失敗、恥を忍び東京裁判へ(昭和20年9月10日-16日)
195 楽土満州は一転して地獄に(昭和20年9月17日-23日)
196 天皇、マッカーサー元帥を訪問。復員船第一号(昭和20年9月24日-30日)
197 亡命者守った日本人の仁義(昭和20年10月1日-7日)
198 改憲論議の曲折の末に押し付け憲法(昭和20年10月8日-14日)
199 スマランの流血、戦後の戦争続くジャワ(昭和20年10日15日-21日)
200 外交機能停止へ別府ダブリン総領事の抵抗(昭和20年10月22日-28日)
201 ソ連軍に掠め取られた北方領土(昭和20年10月29日-11月4日)
202 財閥解体に三菱・岩崎小弥太の抵抗(昭和20年11月5日-11日)
203 在欧日本人、米国経由で帰国の途へ(昭和20年11月12日-18日)
204 占領軍、日本のサイクロトロンを破壊(昭和20年11月19日-25日)
205 戦争責任追及で議会も混乱(昭和20年11月26日-12月2日)
206 国共内戦に巻き込まれ戦後も戦った日本軍(昭和20年12月3日-9日)
207 「最後の貴族」近衛文麿の自決(昭和20年12月10日-16日)
208 報復第一主義のBC級戦犯裁判(昭和20年12月17日-23日)
209 GHQ、原爆記録映画を没収(昭和20年12月27日-30日)
210 年頭詔書で「朕は国民と共に在り」(昭和20年12月31日-昭和21年1月6日)