図書ショウワ ショキ ノ コウチ セイリ ト テツドウモウ ノ ハッタツ000040780

昭和初期の耕地整理と鉄道網の発達

サブタイトル1~10
立川の昭和史 第2集
編著者名
立川市教育委員会 著者
出版者
立川市教育委員会
出版年月
1999年(平成11年)3月
大きさ(縦×横)cm
21×
ページ
280p
ISBN
NDC(分類)
213.6
請求記号
213.6/Ta14/2
保管場所
開架一般
内容注記
調査・執筆:立川市歴史民俗資料館 文献あり 年表あり
和書
目次

第1章 耕地整理とは
耕地整理の目的
耕地整理の利益
耕地整理の実績
立川の耕地整理の特色
第2章 立川発祥の地・柴崎村
第3章 立川が発展した三要因
甲武鉄道の開通
東京府立第二中学校の設置
立川飛行場の開設
第4章 耕地整理が計画された背景
町制施行後も続く急激な発展
陸軍航空本部技術部の立川への移転
(株)石川島飛行機製作所の立川への移転
陸軍航空本部補給部所沢支部の立川への移転
軍都立川圏の形成
第5章立川町の耕地整理の概要
東京府・都公報の告示で見る立川町の耕地整理
第一耕地整理組合関係
第二耕地整理組合関係
第三耕地整理組合関係
向郷耕地整理共同施行地関係
羽衣町土地区画整理一人施行関係
公文書で見る立川町の耕地整理
どんな公文書があるのか
公文書はどこにあるのか
東京都公文書館所蔵の立川町耕地整理関係の文書
「第一耕地整理組合諸書類」綴で見る立川町の第一耕地整理
「発来翰綴」で見る立川町の第二耕地整理
文献の記術で見る立川町の耕地整理
新聞記事で見る立川町の耕地整理
「耕地整理碑」で見る立川町の第二耕地整理
錦町六丁目にある「耕地整理碑」
耕地整理碑の碑文
耕地整理碑の碑文の内容
東京都長官大達茂雄氏の略歴
「寄付者碑」の内容
耕地整理碑建立の時期
それまで碑はどこにあったのか
第6章 市民が語る立川町の耕地整理とそのころの南口の様子
関係者の証言が伝える立川町の耕地整理
これからは自動車の時代(小川愛子)
実際の仕事の中心となって(中島秀男、中島良男)
地主は縁の下の力持ち(寺沢重男)
昭和五年の土地賃貸借契約証書(高柳孔亮)
「換地説明書」と「実測図」(宮崎虎雄)
ただ一冊の「市制施行上申書」(板谷光汎)
耕地整理関係の書類が見つかった(小川富史)
府庁の帰りに二・二六事件に遭遇(井上智恵)
先祖の土地は減らせない(加藤義夫)
大けやきを四本も伐った(堤栄次郎)
板谷さんが相談に来た(西村治男)
ただ一人の耕地整理体験者(鈴木春吉)
父は耕地整理に反対だった(松村謙一)
放射状の道路はあきらめた(五十嵐栄治)
耕地整理の測量士(田宮文治)
耕地整理の生き字引(上原義昭)
南口の草分けの人々
昭和初期のたちかわ(香川節)
小学校通りとその周辺
諏訪通り商店分布図(長谷川綾子、中山輝一、田中トラ、石川賢吉)
彰義隊で敗れて(佐伯武二)
耕地整理より古い演芸館通り(浜中清)
立川で最初の印刷所(鈴木闊郎)
小学校へ通う道(真壁晴雄)
諏訪通りに家がない頃(榎本文次郎)
軍人たちの住宅地(桜井滝江、桜井鉄男)
立川町役場付近(矢部正重)
中学通りとその周辺
下水溝工事は現場打ちで(中島富治)
中学通りの最古参(鈴木栄八)
創業八十年・錦通りのこうじ店(北島キヨ)
高幡不動の山が見えた(西野雪枝)
和泉町にお店があった(山川幸宥)
新道とともに開店(小野金作)
中学通りの自転車店(猪鼻英男)
幼児教育に命をかけて(関俊二)
中学通り坂下付近(堀江佐文次)
日野橋際の材木店(伊藤博)
耕地整理地区
南口駅前・立川タクシー(岡部良夫、岡部亘夫)
南口駅前そば店・奈美喜庵(並木啓一)
昭和七年から・魚花魚店(加藤清)
お茶とお菓子・清水屋分店(清水康一)
薪炭燃料商から出発(万田静枝)
昭和五年・柳屋乾物店(荒井常七)
幻の立川市長(佐藤昌義)
征爾ちゃんも卒業生(大貫千代子、大貫良子)
南口駅前に立つ少年(山崎保明)
海の幸、山の幸、川の幸(布施明)
第三小学校の歴史とともに(谷昇)
第7章 立川町の耕地整理のまとめと関係年表
第8章 昭和初期の立川の鉄道網の発達
立川の交通機能の第二次発達期
立川駅の大改造
中央線の複線化と電化
国分寺―立川間の復線化と電化
国立までの電車の開通
立川までの電車の開通
青梅鉄道の複線化
南武鉄道の開通
立川駅南口の開設
五日市鉄道の開通と推移
五日市鉄道の開設
五日市鉄道と南武鉄道の合併
南武鉄道の国有化
立川・拝島間の廃線
立川駅の基本型が完成
新聞記事で見る昭和初期の立川駅関係年表
協力者氏名・参考文献あり