大阪偕行社附属小学校物語
第1章 一本の「棗の木」を訪ねて
桃山御陵と大阪偕行社附属小学校
京都乃木神社設立運動と高島鞆之助
京都乃木神社の「棗の木」―史料館と柳樹房の第三軍司令部―
東京乃木神社と棗の木
乃木邸の棗の木とアメリカハナミズキ
長府乃木神社と棗の木
全国の調査結果―ステッセルと乃木将軍の「棗の木」を訪ねて―
第2章 高島鞆之助と乃木希典(一)―乃木と静子夫人のお見合い―
上智大学と高島鞆之助邸
高島鞆之助邸と棗の木
クルトゥルハイム聖堂の内部
乃木と静子夫人の媒酌人
高島鞆之助の山口県出張―『明治天皇紀』より―
乃木希典の苦悩―「萩の乱」への実弟の参加―
高島鞆之助と乃木希典の出会い
第3章 高島鞆之助と乃木希典(二)―西南戦争での出会い―
私学校党の暴発
政府軍の戦闘準備開始
乃木連隊長と連隊旗紛失事件
乃木連隊長の奮戦と田原坂
高島鞆之助の鹿児島入り―勅使柳原前光使節への随行―
高島鞆之助と背衝軍の結成
別働隊司令官高島鞆之助の進撃―日奈久上陸―
今も残る艦砲射撃の史跡―八代屋の柱に残る弾痕―
別働隊第一旅団司令官・高島鞆之助の決断―宇土半島での危機克服―
突囲隊を迎えた高島鞆之助―木原山から熊本城をのぞむ―
政府軍の田原坂総攻撃開始
第4章 高島鞆之助と乃木希典(三)―二人が共有する文明観―
西郷隆盛の文明観―野蛮国と文明国の相違点―
高島鞆之助の文明観と中国政策
高島鞆之助の文明観と樺太政策
高島鞆之助の文明観と朝鮮半島政策
高島鞆之助と乃木台湾総督派遣
乃木台湾総督の赴任と業績
第5章 宮中大改革と高島鞆之助
明治政府の宮中大改革
皇室・国家の干城、高島鞆之助の登場
明治天皇と高島鞆之助の関係(一)
明治天皇と高島鞆之助の関係(二)
明治天皇と質実剛健―相撲―
明治天皇と質実剛健―酒―
明治天皇と侍従の忠節(一)
明治天皇と侍従の忠節(二)
第6章 明治天皇の帝王学とは
なぜ『西国立志篇』が使われたのか
儒教道徳と西洋道徳の結合
『西国立志篇』とナポレオン
明治天皇の探求的態度
明治天皇がナポレオンから学ばれたこと
元田永孚の第一回講義―『論語』の公冶長―
「和魂」に「儒教」と歴史を結合する講義
フランクリンの十三徳と「金剛石の歌」
第7章宮内省と大阪偕行社附属小学校
高島陸軍大臣辞任と「聖旨」の伝達
高島の逝去と御真影の下賜
コンノート殿下の第四師団訪問
大阪偕行社附属小学校への来校観察者
大阪偕行社附属小学校の宮内省型の特徴
第8章 ドイツ将校団と高島鞆之助
ドイツ将校団と高島鞆之助
ドイツ将校団と乃木希典
乃木の帰国と高島鞆之助―神戸から大阪に直行―
メッケル少佐の招聘
クラウゼリッヒ精神とその継承
日本陸軍の兵制諸改革
メッケルと高島鞆之助の交流
第9章 偕行社と大阪偕行社附属小学校
全国統一組織「偕行社」の誕生
戦術研究会「月曜会」問題の克服
偕行社の諸活動
高島鞆之助と大阪偕行社―社屋の落成―
大阪偕行社附属小学校の創設
大阪偕行社附属小学校の設立主意と将校観―「職業軍人」か「武士的将校」か―
全国に三校あった偕行社附属小学校
第10章 武士的将校と大阪偕行社附属小学校
徒歩主義ランドセル通学
ランドセル通学て学習院
徒歩主義の大阪偕行社附属小学校
学習院のウサギ狩り―乃木院長時代―
大阪偕行社附属小学校のウサギ狩り―片桐校長時代―
武士道精神と剣道授業
明治の武士道観―新渡戸稲造博士の「武士道」
剣道授業と乃木希典―太刀筋を見る―
剣道授業と片桐武一郎―絶対、参ったと言うな―
第11章 「水師営の会見」とは何か
有賀長雄博士と「水師営の会見」
旅順開城規約の締結
大迫第七師団長と「水師営」
日露戦争と高島鞆之助
「水師営の会見」の事前準備
北京駐在記者モリソンと「水師営の会見」
乃木将軍と「水師営の会見」
文部省唱歌「水師営の会見」
普仏戦争と観戦武官の派遣
普仏戦争と明治天皇―宮中での情報収集―
普仏戦争と乃木希典―『所感録』の作成―
学習院の榊壇と「棗の木」
第12章 終戦直後の「水師営の会見」―昭和天皇とマッカーサー元帥の出会い―
封印された昭和天皇・マッカーサーの会見
昭和天皇とマッカーサーの写真撮影
予想外の展開―乃木将軍を尊敬していたマッカーサー元帥―
沈黙を守り通した昭和天皇
一枚のショッキングな写真による屈辱的敗北感―敗戦国的屈辱史観―
マッカーサー元帥が植えたアメリカハナミズキ―乃木精神の継承―
戦後の天皇記者会見と皇室報道の特徴
不思議な昭和天皇の乃木希典への言及
昭和天皇発言の歴史的意義―精神の谷間への架け橋―
乃木将軍の思い出―三回にわたる言及―
第13章 昭和天皇の警鐘(一)―心の教育―
人格主義の教育へ
母親代わりの足立タカと裕仁親王
心の乃木式教育法(一)―ツギは恥ではない―
心の乃木式教育法(二)―下りる時に駆けてはダメ―
心の乃木式教育法(三)―寒い時は走ろう―
第14章 昭和天皇の警鐘(二)―規則正しい生活―
規則正しい生活を
乃木希典学習院長のリズム生活
東宮御学問所のリズム生活
明宮嘉仁親王のリズム生活
封印された夫婦岩文化
第15章 幕末維新の「水師営の会見」
戊辰戦争と庄内藩
もう一人の降伏帰順使節の謎
高島鞆之助の空白部分を探る
庄内藩降伏帰順式と武士道精神
庄内藩主忠篤と藩士の鹿児島訪問
上野公園の西郷像と『西郷南洲遺訓』の出版
幕末維新の「水師営の会見」―乃木第三軍司令官のインスピレーション―
第16章 水師営精神の源流をたどる
水師営精神の源流
西郷思想の骨と筋肉
筋肉としての儒教(一)―朱子学『近思録』への傾倒―
筋肉としての儒教(二)―『伝習録』『言志録』による陽明学―
私学校用教科書の発見―『南洲手抄言志録』―
西郷思想とその特徴(一)―知行合一―
西郷思想とその特徴(二)―良知―
西郷思想とその特徴(三)―理気一元論―
第17章 片桐校長と大阪偕行社附属小学校
明治三十年三期説と大阪偕行社附属小学校
片桐武一郎校長の登場
片桐武一郎校長の学校改革
高島精神の継承と片桐校長
大阪偕行社附属小学校の校訓へ
片桐校長時代の偕行社教育(一)―鍛練主義―
片桐校長時代の偕行社教育(二)―深呼吸と生活リズム―
片桐校長時代の偕行社教育(三)―知行合一―
片桐武一郎校長の答礼
片桐武一郎校長と授業
資金募集と片桐武一郎校長
軍国主義と片桐武一郎校長の辞職
終章 「棗の木」はなぜ残ったか―辞世の句―
口絵・写真あり