ヒロシマを持ちかえった人々
- サブタイトル
- 「韓国の広島」はなぜ生まれたのか
- 編著者名
- 市場 淳子 著者
- 出版者
- 凱風社
- 出版年月
- 2000年(平成12年)11月
- 大きさ(縦×横)cm
- 20×
- ページ
- 363p
- ISBN
- 477362504X
- NDC(分類)
- 369.37
- 請求記号
- 369.37/I13
- 保管場所
- 閉架一般
- 内容注記
- 文献あり 年表あり
- 昭和館デジタルアーカイブ
第1部 在韓被爆者 闘いの軌跡
見捨てられた在韓被爆者(一九四五~一九六六年)
恐るべき原子爆弾
被爆者の一〇人に一人が朝鮮人
在韓被爆者と呼ばれて
祖国の闇に葬られて
日本では被爆者援護始まる
日韓条約で政治の谷間に
立ちあがった在韓被爆者(一九六七~一九七八年)
「座して死を待つことはできない!」と協会結成
「からだを治して!」と日本に直訴
孫振斗さん密入国、日本で支援始まる
孫振斗さんの手帳裁判闘争
「補償なるか」と期待高まるが……
日本での治療の道、開かれる
補償を拒みつづける日本政府(一九七九~一九八九年)
日韓の被爆者分断と渡日治療
在韓被爆者排除の基本懇意見書
一九七〇年代末の在韓被爆者の実態
焼け石に水の渡日治療
二三億ドル対日補償請求
戦後未処理問題として浮上
人道的支援ではなく補償を(一九九〇年~)
大統領訪日で解決か
屈辱の人道的医療支援金四〇億円
一九九〇年代初頭の在韓被爆者の実態
四〇億円で何が変わったか
被爆者援護法でも蚊帳の外
戦後補償裁判に連なって
「生きていてよかった」と思えるように
第2部 「韓国の広島」を生みだしたもの
陝川との出会い
在韓被爆者調査に参加
在韓被爆者との出会い
在韓被爆者問題の出発点
陝川との出会い
遅すぎた謎解き
「韓国の広島」と呼ばれる陝川
陝川というところ
「韓国の広島」と呼ばれる理由
陝川における日本の植民地政策とその実態
「韓国併合」前夜の陝川
朝鮮侵略の野望
侵略者日本人の目に映った陝川
植民地支配の実態
武力で築く支配基盤(一九一〇~一九一九年)
三・一独立運動独立に命をかけた陝川の人々(一九一九年三月~四月)
作れ作れの米・棉花・繭(一九二〇~一九三〇年)
兵站基地作りの農村振興運動(一九三一~一九三六年)
人も物も侵略戦争に駆りだされた(一九三七~一九四五年)
陝川の人々の暮らし
総督府主導による農産物の増産政策
農村の衰退がはっきりと現れた一九二〇年代
農村の疲弊が急加速した一九三〇年代
農家に赤字をもたらしたもの
「草根木皮」の生活で延命
自作農から小作農へ没落
自然災害で農村疲弊がさらに激化
広島と朝鮮人
軍都広島の形成
日清戦争で軍都への道
侵略戦争とともに肥大化
広島の朝鮮人
広島在住の朝鮮人数
朝鮮人にたいする渡航政策
陝川から広島への道
陝川と広島を結ぶ太いパイプ
人々を広島に向かわせたもの
広島に向かう人々の流れ
パイプは地縁・血縁で作られた
パイプが通じた広島の町
パイプの鍵となる人物
広島での暮らし
原爆地獄から祖国への道
広島市の原爆被害
陝川出身者の原爆被害
祖国の解放と帰国
「韓国の広島」という異名をとった陝川
年表・引用・参考文献あり
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