生活者の日本統治時代
人々の生活模様が見えてこないのはなぜか
制度を越えた人と人との行き交いの実際を知りたい
なぜ体験者からの「聞き書き」が必要なのか
第1章 植民地朝鮮の虚像と実像
私の受けた戦後韓国の教育
親世代の話とのギャップ
戦後韓国の「反日本民族民族主義」
日本に来てから知ったこと
欠落していた「世界史的な観点」
日本統治時代の朝鮮体験者の生の声を聞きたい
植民地支配下にあった者たちへの善意の眼差しの危うさ
第2章 聞き書き―日本人の体験から
日本人体験者について
誇り高き京城中学の朝鮮人級友たち(阿部元俊)
生まれも育ちも朝鮮新義州(林健一)
朝鮮人小学校で教えて(佐久間房子)
総督府警察幹部だった私(坪井幸生)
戦後韓国を支えた京城帝国大学時代の級友たち(吉田道弘)
ソウル上流家庭の女性たちの品格(吉田多江)
劉鴻洵江原道知事への敬愛(大師堂経慰)
平安南道小学校希望者全員入学化の達成(工藤真澄)
総督府農商局で終戦までを勤めあげて(山木利男)
朝鮮人に助けられた戦後収容所の生活 林夫妻
第3章 聞き書き―韓国人の体験から
韓国人体験者について
殖産銀行の我が黄金時代と恩師への敬愛(朴承復)
個人的な親しい感情と統治政策への許し難い思い(閔圭植)
あの当時、差別に気づいていなかったことが悔しい(金洙容)
よき友・よき教師、そして「謝罪しない日本人」(朴鍾植)
秩序正しかった日本人と日本人有利に作られていた法律(李万甲)
第4章 朝鮮殖産銀行の日本人と朝鮮人
有賀光豊という人物
可能な限りの公平政策と戦後韓国を支えた朝鮮人超エリートたち
「産米増殖計画」を朝鮮に施行させた三島と有賀
朝鮮米作農業の飛躍的な発展をもたらした朝鮮殖産銀行の奮闘
第5章 「和解できないわけ」はどこにあるのか
聞き書きから感じたこと
文化・習慣の違いから生まれる誤解
「実際性」「事実性」に重点を置こうとしない韓国の知識人
「国」と「クニ」の区別と韓国市民社会の成熟こそ日韓和解の条件
身体化された「クニ」はけっして壊されていない